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通りの肉屋が潰された、という話を聞いたのは海賊達が店へやってきた1日後のことだ。 なんでも「海賊王になるのはおれだ」と言い切った彼に対して「海賊王だのなんだのデカイ口を叩くな、とっととこの街から出て行け」と啖呵を切ったという話だった。 彼の名前は「ユースタス"キャプテン"キッド」と言いそれなりに高い懸賞金のかけられている海賊らしく、それにに啖呵を切るなんて余程腕に自信があるのか…いずれにしても馬鹿なことをしたものだ、と街の人達が口々に言った。 「ああ、海賊はこれだから…すぐに武力で捻じ伏せようとする」 こちらにチラチラと視線を寄越しながらそう言ったのは、副料理長だった。 この男はこの店のなかでも特にに厳しい部類だったが、件の夜以来、ますますを目の敵にするようになった。 いつもどおり芋の皮を剥いているに対して、これ見よがしにため息をついてくる。 「海賊王だのなんだのと、サウスブルーのちんぴら海賊なんかがおこがましい」 「はぁ…」 「若いもんは自分を過信して、出来もしない夢を見るもんだ」 「はぁ…」 「海賊王しかり、ワンピースしかり、…オールブルーしかり」 「…」 オールブルー。その単語を聞いて、は思わず手を止めた。 ようやく反応を見せたに喜んだのか、副料理長はにんまり顔で話を進めた。 「お前の親父も大概馬鹿な男だった」 「…はぁ」 「結局オールブルーなんて見つけられないまま、どこぞで野垂れ死んだんだろうよ」 「…」 「海賊ほど馬鹿で嫌なやつらはいねえな。お前も捨てられちまってかわいそうに」 ナイフを握る手に力が篭もった。 違う。そう言いたいけれども、言葉が出ない。 目頭が熱くて、でも涙は出なかった。 やっと漏れたのは、この言葉だけだった。 「…オールブルーはあります」 誰が何と言おうと、その海はある。父はを捨てたわけじゃない。その海を探しに行くには危険すぎて、を連れていくことが出来なかったのだ。 レストランに預けられた日を、今でも昨日の事のように思い出せる。 オールブルーを見つけたら帰ってくる、そうしてそこに連れて行ってやる。 そう言ったのだ。 全てが揃う夢の海へ。 「ふん、まあ言うのは自由だがな。どちらにしろお前は海にすら出れねえよ」 副料理長が鼻で笑った。 腹の底が熱く、火が燃えているかのようだった。 あの、赤い髪の海賊…ユースタス・キャプテン・キッド。 あの人も、「海賊王なんて」と言われたとき、今のと同じような気持ちだったのだろうか。 diavoleria 低い笑い声と話し声が聞こえてきたのは、が店の外にごみを置きに出たときだった。 裏口から店の脇の路地を回って表通りへ顔を覗かせると、そこにいたのは件の海賊たちだった。 酒を片手に、見たことのある船員達が愉しげに肩を組んで千鳥足になっている。 今日はどこの酒場が犠牲になったのだろうか。 あの赤い髪の船長は、その船員達の少し後ろを、こちらはしっかりとした足取りで歩いていた。 このひとたちの船は、どんな船なんだろう。 幼い頃乗っていた船の厨房の様子は思い出せるのだけれど、船の外観となるとまったく記憶にない。 海賊船って、どんな船なんだろう。サウスブルーのあの紺碧の海を渡る船は。 純粋な好奇心と興味に動かされて、はそろりと彼等の後をつけようとした。 …のだが。 「…なにしてやがる」 当然というか何というか、二、三歩進んだところであっさりと気付かれてしまった。 強面が振り向き、燃えるような目がの隠れている場所を射抜く。 このまま隠れていてもどうしようもない、とは観念して顔を覗かせた。 「てめェは…店の見習いか」 「そ、そうですっ!」 「俺達の後をつけて、何するつもりだったんだ。あァ?」 「いやあの…」 船が見たかったんです。後から思えばただそう言えば良かっただけの話だったのかもしれない。 けれど海賊に睨まれて、は冷静な判断を失っていた。 ただ船が見たかったのだ。 サウスブルーの紺碧を駆ける船を。の行けない世界をこれから旅する船を。そしてあわよくば、懐かしい海賊船の調理場を覗いてみたかった。 けれどその時のには、それを言うことが得策には思えなかった。 代わりに口から出てきたのは、こんな一言だった。 「あああの、船に乗せて貰いたいと思ったんです!!」 一瞬にして、世界から音が消えた。 前を歩いていた千鳥足の海賊も、それからあのマスクの人も、船長も突然黙ってしまって、色々な思いのつまった目でを見ていた。 先程の自分の言葉がまるで「あたしをコックとして連れて行って!」という意味に聞こえるのだということに気付いたのは、千鳥足の海賊が「あいつ正気か?」と呟いたときだった。 は思わず息を飲んだ。 別に、コックとして連れていけという意味での発言ではなかった。ただ船を見たかっただけだ。 けれど、そういうのもありかもしれない。 恐怖で思考が麻痺していたのかもしれないが、突然「海賊船に乗って海に出る」ということが名案であるかのように感じられた。 今、このままこの街に残ってもを待っているのは、終わりの無い見習いの仕事と、海賊の娘として白い目で見られる生活だ。 『どちらにしろお前は海にすら出れねえよ』 あのいけ好かない副料理長の言葉が浮かぶ。そうだ、このままではは海に出ることなく陸の上で一生を終えることになってしまうだろう。 それならばいっそのこと、この船に乗せてもらえばいい。 相手は、海賊王になると言っている以上いずれはグランドラインに入る海賊。 と父親の夢の海を探すのに、これほど適した船はあるだろうか。 「見習いだけど、料理は作れます。の、乗せてください!」 「…船に雑魚は必要ねぇ」 それだけを言って、船長格は踵を返してしまった。 けれど言い出してしまった以上も後には引けなかった。 「小さいころ、海賊船に乗ってたことがあるんです!」 無視して船へ戻ろうとする背中を追いかける。彼等はちらりとも振り返らない。 は思い切って彼等を走って追い越し、その前に立ちはだかるようにして向き直った。 自分でも、大変なことをしているという自覚はあった。 相手は海賊なのだ。目の前で進路を塞いだことで、斬り殺されてもおかしくない。 さすがに足を止めた彼等の目の前で、心を落ち着けるように一度息を吸う。 「お、オールブルーって知ってますか」 「あぁ?知らねェな」 「東西南北、全ての海の幸、この世界の全ての食材が揃う幻の海のことです」 なんだそりゃ、と千鳥足の海賊がにやにやと笑った。 あの笑いは「そんなものあるはずねぇだろ」という笑いだ。これまでに何度も何度も、はあの笑みを見てきた。 けれど、赤い髪のキャプテン・キッドは笑っていなかった。 「この世界のどこかにあるんです、その海が」 「…だからどうした」 「あ、あなたは海賊王になるんでしょ?」 ぴく、と船長の方眉が釣りあがった。 どうやらその話題は逆鱗らしく、千鳥足の船員達の雰囲気もきゅうと締まる。 「だから、それがどうしたと言ってる」 「だから、乗せてください!」 「あぁ!?テメェしつこ…」 「海賊王になるんでしょ!世界の海の覇者になるんでしょう!だったら、オールブルーに一番近いのはあんただわ!だからあたしも乗せてって!!」 出した声は、叫び声に近かった。 この船を逃したら、きっとは二度と海には出られない。 そんな奇妙な直感があった。 しん、と辺りが静まる。千鳥足の船員も、マスクの人も、そしてキャプテン・キッドも何も言わない。 聞こえるのは、遠い波の音と、自分の心臓の音だけだった。 耳が痛くなるほどの、沈黙。 それを破ったのは「ふっ」という赤い髪の船長の笑い声だった。 きゅうと吊り上がった唇が、赤い上弦の月を描く。 こつこつと靴を鳴らして、彼が近付いてくる。 大きな身体が目の前に来た時、思わずは目を瞑ってしまった。 …が、船長格はに声をかけることもなく、すう、との横を通り過ぎてしまう。 それに続いて、船員達もを通り過ぎて歩いていってしまった。 声も出せず、呆然とそれを見送る。 …無視、されたのだろうか。 最後尾にいたドレッド頭のひとだけが、通り過ぎ際に小さく 「お前案外度胸あるな」 と呟いた。 <<< >>> (090922) |