「とんだ疫病神だな…」
「すいません…」

自宅の玄関で、料理長は頭を抱えていた。
あの毛嫌いする海賊が店で昼飯を食べていったというだけでも憤ろしいというのに、さらに明日の夜に食事をしに来るというのだから当然といえば当然の反応だ。
しかも、店のコックを一人連れて行く、とまで言っている。
全ての責任はにあるが、今更どうこう言ったところで結果は変わらない。それを分かっているのだろう、料理長はそれ以上を責めようとはしなかった。


「皆を店に集めろ。今後のことを話し合う」


それだけ言って、料理長はドアを閉めた。
の口から出るのはもはや重苦しい溜息だけだ。ああ、あのとき自分が料理なんて作っていなかったら、なんて。全ては後の祭りというものだ。




店の中は酷く重苦しい雰囲気に包まれていた。
それもそのはずだ、誰を海賊に差し出すか、という話し合いをしているのだから。
海賊に対して強い嫌悪感を抱いている島の住民だ。誰も行きたいと言うはずがないし、できれば他の誰かが犠牲になって欲しいと思っている。
ちらちらと交わされる視線が厳しい。それがに集まるまで、そう時間はかからなかった。


、お前が行けばいいんじゃないのか?」
「お前が招いたことだろうが」


非難めいた視線は痛いが、コックがでいいなら彼等はあの時点でそう言っていたはずだ。
見習いはお呼びでないということだろう。
ならばをコックに昇格させてという案も出たが、そんな小細工をして海賊を怒らせたらどうする、という意見のほうが勝った。


「とにかく明日の夜を乗り切るしか無い。その後のことは、その時に考えよう」


料理長がそう言った。そのあとのこと。考えると気が重くなるのか、沈むような溜息がとこからともなく漏れ出していた。





il lupo e l'agnello






そして、約束の夜がやってきた。
赤い髪の人が言ったとおり海賊船の船員の全てがやってきたようで、それなりに広かったはずの店が窮屈に感じられるほどだった。
あの赤い髪の人がどうやら、予想通りというか、一番偉い人…つまり船長であるようだった。
全員に素早く酒が配られたところで、乾杯の号令をかけたのはその人だった。

わあ、と歓声が上がって、酒宴が開かれる。
この店は本来静かに食事を楽しむ店だが、目の前の光景はまさに獣の晩餐だった。
味が分かっているのか分かっていないのか、むしろこれでは残飯を出しても同じなのではないかと思うくらいに、酒と共に食事が流し込まれていく様は圧巻だ。

あまりの食欲にコックだけでは手が足りなくなり、予想通り当然のようにも駆りだされた。
それを予期して準備していたスープを温める。
小さいころ、父親から一番最初に教えてもらったそれは、が作るなかでも一番の自信作だった。…どうせ、彼等に味なんて分かりはしないのだろうけれども。
とにかく今ある食材を使って、メニューだのなんだのは気にせず自分がそれぞれ作れるものを作る。
最初のうちには盛り付けに凝ったりもしていたが、途中からそれもなくなった。どうせ腹に入れば同じだと思っている連中だ、とコックがぼやいていた。

お酒も、食事も、瞬く間に消えてゆく。
まるでゴミ箱に放り投げているかのようだ。

も、人生のなかでこんなにも忙しく働いたことはない、と密かに思った。
それと同時に感じるのは、厨房に立っているという高揚感だ。
戦場のようなこの調理場の雰囲気は、幼い頃に父が立っていた厨房に似ている。


まるで底なし沼のような海賊達の胃袋がようやっと満たされたころには、厨房に立つコックたちはほとんど死人のようになっていた。
ぐったりと座り込む彼等を横目に、下っ端のはひとり皿洗いに勤しむ。


「おい」


店のほうから、低い声が聞こえてきた。
びく、とコックたちが身体を震わせる。来た。そう思ったのだ。
給仕の男が、もう恐怖を前面に押し出しながらそちらへ向かった。
あの声はおそらく、海賊の船長のものだろう。


「これを作った人間を船に乗せる。顔を見せろと伝えろ」


一体何を指しているのか、厨房のわたしたちには見えない。
けれどコック達の顔に、「どうか自分の作った料理でありませんように」という必死の願いが浮かんでいた。
給仕の男が弱々しく是と言った声がして、足音が近付く。
それをまるで死神の来襲でも見るかのように、コック達が絶望に沈んだ顔で迎えた。



「こ、このスープを作った者を、とのことで…」



給仕の男が持ってきたものを見て、は心臓が止まったかと思った。
彼が持ってきたそれは、が用意したものだったからだ。

コックの視線がに集まる。

予想外の展開だ。
こんな展開は、考えてもみなかった。
声すら出ない。


「おい、何やってる。早くしろ」


不機嫌そうな声が店から響いて、慌てたコック達がの背中を押した。
言葉も出ないまま、厨房から追い出される。
まるで自分のものでないような足で、店へと向かった。



「テメェは…」



の顔を認めたときの赤い髪の海賊の顔ときたら、傑作だった。
心の底から驚いたような顔をしていたのだ。あんな怖い顔の海賊が、こんな表情もするのか、と半分麻痺した心でそう思った。
ドレッドの人も驚いた顔をしていた。それから、マスクの人も、顔は見えないけれど驚いているのがわかった。
しかし正直、一番驚いているのはだ。どうしてこんなことに。

赤い髪の海賊は、暫くを眺めたあとで、椅子に寄り掛かり鼻を鳴らした。



「…弱い女は必要ねェ」
「キッド」
「こうなりゃ誰でもいい、男のコックを呼べ」



これまた予想外の展開になった。
自分で言っておいて、が女だと分かったら今度は誰でもいいと言い出したのだ。
マスクの男が嗜めるように声をかけたけれども、赤い髪の男は意にも介さない様子で、給仕をまた急かした。

…正直、安心したと同時に、不愉快だった。
矜持を傷つけられた、とでも言えばいいのだろうか。複雑な気持ちだ。

給仕に連れられて、新たな哀れな子羊が連れられて来る。
スケープゴートは、見習いから上がってまだ2年目のコックだった。









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(090922)