船のコックが死んだのは、四日前の海賊との戦闘だった。
なまじ戦いにおいても腕の立つ戦闘員も兼ねたコックだったのが仇になった。
大男に突進されたコックはそのまま海に飲まれて、それきりだ。
コック一人、どうとでもなる言ってキッドは航海を続けようとしたが、二日も持たなかった。
戦闘ばかりに長けたクルーのなかに、包丁を扱える人間など誰一人としていなかった。下っ端に作らせてみても、豚の飯のような残飯が出来上がるばかりだ。
おかげで航路を変更して、寄るつもりもなかった島に寄ることを余儀なくされたキッドは、端から見ても酷く不機嫌だった。

「船を着けろォ!!」

怒鳴り声が船の中を行き交う中で、キッドは甲板で不満そうに腕を組んでいる。


「…おいキラー。コックを積んだら島を出るぞ」
「分かっている」
「チッ…こんなシケた島にいるとは思えねェがな」
「選り好みするなよ。最悪次の島で交換してもいい」


これ以上この食事で航海を続けるのは無理だ。
それを、自分でも十分分かっているのだろう。キッドは忌々しげに舌を打った。




La fortuna e cieca





父親がコックだったせいか、物心ついた頃から遊び場は厨房、おもちゃは厨房のなかの調理器具だった。幼いながらに父親の仕事を手伝ったことも覚えている。
毎日毎日信じられない量の食事を作っていた父の料理の味、おふくろの味というものがあればまさにあれがにとってそうだった。もちろん、おふくろではなくおやじなわけだが。

鍋からはビーフシチューのいいかおりが漂ってくる。
少し皿にとって味見をする。いい味だ。父親の味と、同じ味。
空になったお腹から、はやく食わせろと催促の音が鳴った、そのときだ。

がんがん

乱暴に戸を叩かれる音がして、びくりと肩が跳ねた。
いったい誰だろう。コックの誰かが忘れ物でもしたのだろうか。
居留守を使おうかどうしようかを迷っているうちに、もう一度、今度は先程よりも強いノックの音がした。
少し考えて、厨房から出る。


「はーい。いま開けますー」


カーテンが閉められた店内、椅子が上げられているテーブルの間を縫って、扉へと向かう。
ぎぃ、と軋みを上げながら、鍵の開けられた扉が開いていく。
そこに立つ人影を認めて、は心底後悔した。

赤く逆立った髪に、このサウスブルーではあまり見ない日に焼けていない肌。見るからに悪そうな悪人顔の男が、そこに居た。
それ一人ではなく、派手なストライプの仮面のようなものをつけた男に、ドレッド頭の男も付き添っている。明らかに堅気ではない雰囲気だ。

海賊。

その二文字が頭を巡った。


「おい、この店はあいてんのか」
「え…」


戦闘の赤い髪の男が口を開いた。低くて恐ろしい声だ。開いてるのか、なんて見れば分かるだろうに。扉の前に「臨時休業」の札だってかかってるし、店の中だってこの状態だ。
けれど赤い男の目は「開いてると言え」と凄んでいた。それでなくともデカイ男3人に囲まれて、怖くない女なんていない。ましてや相手はおそらく海賊だ。彼の望むとおりの答えを出さなければどうなるか…
けれど開いているなんて嘘をついたって、いま店にはひとりしかいないのだ。

ごくり、と唾を飲み込んで考える。
先程まで「海賊を怖がっている住民」を馬鹿にしていたことも忘れて、恐怖に足が竦んだ。


「あの、今日はお休みです」
「あァ?匂いしてんだろうが。やってんだろ」
「に、におい?」


においとは何のことかと一瞬考えて、それから自分が先程まで厨房で料理をしていたことを思い出す。におい、とはあれのことか。
臨時休業はかけていたが、中で何かを作っているとわかって扉を叩いてきたのだ、この海賊は。
どうしようどうしようと焦りが頭の中を渦巻く。


「これはあの、あれですあれ」
「なんだ。早く言え」
「まっ、まかない的な、そんな感じで…」
「なんでもいい。出せ」


赤い人が、を押しのけて店内に入ってしまった。それに続いてマスクとドレッドまで店に入ってしまう。
心臓が冷えた。なんてことだ。
こんなことが料理長に知れたらはここを追い出されてしまうだろう。いやそれどころか、今激昂した海賊に殺される可能性もある。


「今日は休みでコックがみんなお休みなんです!」
「じゃあお前は何なんだ」
「見習い…」
「なんでもいい。早くしろ。おれは気が短ェんだ…」


ぎろ、と睨まれてはどうしようもない。
ヒッと小さな悲鳴を漏らして、は急いで店の明かりをつけ、厨房へと戻った。

おそらく、人生のなかであれほど素早く動いた日もないだろう。とりあえず急ぎでつくったサラダと、先程つくったシチュー、それから温めたパンを盛り付けて運ぶ。夜の分もと思って多めに作っておいて、本当に良かったと数刻前の自分を褒めてやりたい気分だ。
…いや、そもそも料理なんて始めなければこんな事態にはならなかったかもしれないが。


「あの、あとは今から作りますので!」


明らかに絶対足りないだろうなと予感して、催促をされるまえにそう言った。
ふん、と鼻を鳴らしてスプーンを手に取った彼等を見ないようにしてまた厨房に戻る。
背中には汗がだらだらと流れていた。


それからはもう、あまりよく覚えていない。
随分お腹が減っていたのか、彼等はとても良く食べた。
は恐怖と焦りで死にそうになりながら厨房と広間を行ったり来たり忙しなく動いて、彼等がようやく満足そうに食事をやめたときには涙すら出そうになってしまった。


「おい」
「はいいっ!」


食べ終わった赤い人が、腕を組んで踏ん反り返りながら口を開いた。
まさか話しかけられるとは思っていなかったから、びく、と思い切り身体が跳ねてしまった。


「この店のコックはどうした」
「いやーあのー実家に帰ってます今…」
「あぁ?」
「だからあの、家に…」


ぎろ、とまた睨まれて黙ってしまう。あのひと、いちいち顔が怖いのだ。
怯えきってしまったわたしに気が付いたのか、赤いひとよりも幾分か優しい…ような気がする口調で、マスクのひとが口を開いた。…といっても口なんて見えないのだけれど。


「コックを探している」
「へ?」
「この店のコックを一人、船に乗せることにした」


穏やかな調子とは裏腹に、言っていることは随分横暴な言葉だった。
乗せる、というその言葉からは、おそらくは有無を言わさないのだろうという意思が伝わってきた。
どうやらこの海賊達の狙いは、コックらしい。だがこのレストランのコック達が首を縦に振るとは、到底思えなかった。


「多分無理だと思うんですけど…」
「なぜだ?」
「この島のひとたちはその、海賊の方が、に、苦手ですから…」
「大抵の人間は海賊が苦手だろう」
「まあそうなんですけど、ここの人達それが顕著っていうか…」


言いながら、途中から海賊相手にこんなことを言って大丈夫なのかという当然すぎる疑問にぶち当たった。面と向かって「おまえら嫌われてるよ」と言っているようなものなのだ。
まずい、殺されるかも…と思ったの恐怖はどうやら杞憂だったようで、こういう扱いに慣れているのか、彼等は特に気にしてもいないようだった。


「だが乗せる。もう決めたことだ」
「はぁ…」
「見習いでこの腕だ。ここのコックで決まりだ」


なんとも海賊らしい言い分だ。赤い人も其の通りだと言わんばかりににやにやと笑っていた。
笑い顔すらも怖い。隣のドレッドの人も笑っていた。こちらの笑顔も怖い。マスクで顔を隠している彼が、ある意味一番安心できた。
そして、先程の一言。
それは、の作ったものが美味かった、というある意味での賛辞だ。たとえ相手が海賊であったとしても、嬉しいことには変わりはない。

ちょっとだけ、分からないように盆で口元を隠しながらにやけていると、赤い髪の悪魔みたいな男が立ち上がった。


「明日の夜、ここに船員を連れて来る」
「ク、船員ですか?」
「店を開けておけ。逃げやがったら…分かってるな」
「……」


恐ろしげな顔で凄まれて、はおもちゃのように首を縦に振った。
その答えに満足そうな顔をした彼等は、ようやく店から出ていく。

彼等が扉の向こうに姿を消したあと、膝から力が抜けてかくんとその場に座り込んだ。
…この事態、いったいどうやって料理長に知らせよう。







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(090922)