「シャンブルズ」


その声と同時に、の視界がぐるんと変わった。
思わず目を閉じて、次に感じたのは背中にじんわりとした温かさ。
耳に、「アイアイー!」という甲高い声が届く。
いつまで立っても斧の衝撃は訪れず、代わりに低い声が極近くで響いた。



「手を貸してやろうか、海兵屋」



忘れもしない、声だ。そんな馬鹿な、ありえない、そう思いながらゆっくりと目を開く。
彼は、既に出航したはずだ。だってもうログは溜まったのだから。
だというのに、出航した筈のその男が、の目の前に立っていた。
…にやりと笑みを浮かべた、ハートの海賊団船長、トラファルガー・ローが。

先程までがいた筈の場所には、あの白熊が立っていて、大男にきつい蹴りを入れたところだった。
どうして、という言葉は喉から出てこない。
その代わりに、先程あの男に拳を入れられた腹が痛んで、変な咳が出てしまった。


「まだ死んでねえな」
「し、死なないよ、失礼、なっ」


突然現れたトラファルガー・ローの一団に驚いてか、周囲の海賊たちが色めき立つ。
あいつらと同じ海賊であるはずなのに、トラファルガー・ローが現れたことに、は酷く安心してしまった。
多勢に無勢は変わっていない。だってここにいるのは、と、トラファルガー・ローと、それからベポというあの白熊の3人だけなのだから。
それでもなぜか、安心してしまった。
安心しすぎて、泣きそうだった。


「なんだ、泣くのか」
「なっ、泣かないわよ海賊の前でなんかっ」


目が赤くなったを見て、トラファルガー・ローがまた馬鹿にしたように笑う。腹は立つが、それより安堵のほうが大きい。
ぐず、と鼻まで啜ってしまった。


「ま、街のみんなは…」
「他の奴を行かせてる。安心しな、無事だ」
「よかった…」
「街の奴等が、置いてけぼりの海兵がまだ街に置いてけぼりになってるって煩くてな」


住民たちが気にかけていてくれたことに、なんだかくすぐったくなる。
そうか、それでこんなところにトラファルガー・ローが来たのか。


「この数を一人で相手取ろうとはな。海兵屋は腑抜けだとばかり思ってたぜ」
「ふ…!」
「あの男が言うとおり、お前の行動は勇敢じゃなくて無謀だ」


どうして海賊に説教されなければいけないのだろう。
そう思いながらも、自分でも無謀だと思っていたのだから言い返せない。
しかも、腰が抜けて立つこともできない。
トラファルガー・ローはそんなを片腕で支えながら、くっくっと喉で笑った。



「…だが、そういう馬鹿も嫌いじゃねぇ」



見上げると、トラファルガー・ローはいつものようにを小馬鹿する笑みとは、また違った笑顔を見せていた。にやり笑いには変わりないんだろうけれども、少しだけ違う。
あの目つきの悪い目をこちらにチラと向けて、それからまた前に戻す。
そうして、から手を離した。

…腰が抜けているはトラファルガー・ローの足元にずるずると座り込んでしまった。
「締まらねぇな」と言われても、どうしようもない。


「ベポ」
「アイアイ〜!」


名前を呼ばれた白熊が、最後に目の前の海賊に一撃を食らわせて、その場から飛び上がり離脱する。それと同時に、トラファルガー・ローが手をだらりと掲げてお決まりの文句を言い放った。


「ROOM」


あの半透明のサークルが辺りを包む。ここから逃げないと、も危ないのではないのだろうかと思ったけれど、残念ながら動けない。
彼が太刀を抜くと、周囲の海賊の身体がばらばらに、スパッと斬れてしまった。
…やっぱりこのひとも、ビックリ人間だ。

「シャンブルズ」の声に合わせて、ばらばらになった海賊達がぐるぐるとサークル内を回り始める。トラファルガー・ローの指先が指揮者のようにばらばらな身体を操って、めちゃくちゃに繋いでいく。
まさしく「shambles」だ。


罵声と悲鳴のなかで、その混乱を操る死神のようなトラファルガー・ローは、不敵で、そして…みとめたくはないが、酷く頼もしく、格好良かった。
ぐるぐると回る、ちぐはぐな身体と同じように、自分の胸が裂かれてぐちゃぐちゃになっていくような感覚。
相変わらず涼しい余裕たっぷりなトラファルガー・ローの表情が変化することはなく、それを見上げていると、心臓がばくばくと大きな音を立てて走り出す。

ふと、目線を下ろしたトラファルガー・ローが、にやり笑いを深くした。


「なんだ」
「…悪い海賊ばかりじゃないのね」


周囲の悲鳴をバックミュージックに、低く笑う声がする。




「惚れろよ」




狂乱を作り出しながらそう言い放った目つきの悪い海賊に、は「…そこは、惚れるなよ、でしょ」と小さく文句を言った。








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(090915)