おめでとうございます。

その夜、自分が発してしまった言葉は、思った以上の衝撃をの心へともたらした。幸村が嫁を貰う、という事実が急に現実味を帯びての目の前に立ち塞がったのだ。正直に言うと、胸が潰れてしまいそうな気持ちだった。これから、幸村をいつもどおりに見ていることなどとても出来そうになかった。

その次の朝から、は外に出る時間をすこしずらした。

もとより約束など交わしては居ない上、馬で走り過ぎるとなれば一瞬のこと。少しでも時間がずれてしまえば会うことは出来ない。それを分かっていて、朝少し遅く起きるようにした。この時代には時計なんて便利なものはないけれども、空の明るさ、鳥の声、そういったもので大体の時刻は把握できる。

これまで何も無いときには毎朝欠かさず挨拶をしてきたというのに、少し時間をずらすと本当に嘘のように全く会わない。いや、これまで毎日のように顔を合わせることが出来たこと自体が、実は驚くべき奇跡であったのかもしれない。おまけに、避けられていることを感じ取ったのか、幸村は茶屋にすら来なくなってしまった。少し落ち着いたらまた元通りに、と思っていたがこうなってしまえば最早それすら難しい。自分がやったこととはいえ、もう布団に潜って泣き出したい気持ちでいっぱいだった。

しかしそんなの心に構うことなく、一日一日は矢のように過ぎ去ってゆく。幸村の居ない毎日は単調な作業の繰り返しに思えた。おばあさんは、そんなの空気を感じ取ってそれとなく気遣ってくれるが、空気の読めないおじいさんの方は「最近真田様はいらっしゃらないなあ」なんて暢気に呟いて、おばあさんに頭をはたかれていた。




丁度、幸村と言葉を交わしてから八日も経った頃だろうか。


「団子ひとつ。おりんさんのじゃなくて、そこのお嬢さんの作ったやつで」


久し振りに自分の作った団子が指名された。この頃には、おばあさんの作った団子もの作った団子も同じものとして店に出されていたから、特に指定されない限りは適当に盛られた団子の中から客に出していた。の団子を特に指定してくるような物好きは、が下手糞な団子しか作れなかった頃からの常連の客か幸村くらいのものであったから、初めて見るこの客がわざわざの作った団子を指定してくることが信じられなくて、もう一度聞き返してしまった。


「そ。おりんさんじゃなくて君の団子ね」


どうやら聞き間違いではなかったらしい。ついでに水出ししたお茶もあれば、と付け加えて、物好きな客は緋毛氈の上に寛いだ。あんまり見ない髪の色だ。オレンジ色のような茶色のような、この時代にしては明るい色の髪を後ろでひとつに結び、煤けた彩度の低い緑の着流しを着ている。手足が長くて、よくよく見るととても整った顔をしていた。
店の奥へ戻り、自分の作った団子の中でも特に出来が良い(と思われる)団子をひとつとって皿に乗せ、茶とともに外へと運ぶ。物好きな客は、のその様子を無遠慮にじろじろと見ていた。…そんなに、見なくてもいいのに。



「どうぞ」

「どーも」

「……あの」

「ん?」

「どうして、わたしのお団子を?」

「食べてみたくて」



答えになっているようななっていないような言葉を寄越して、彼は団子をひとつ口の中に放った。団子を噛んで、一口茶を飲んで、彼が下した評価は「普通」だった。褒めているのか貶しているのか良くわからない。



「久し振りに、わたしのお団子って指定して貰えて嬉しかったです」

「へえ、俺以外にも指定した人居たんだ」

「はい」

「それ、どんな人?」



団子を食べ終え串を器用に回しながら、オレンジ色の髪のお客さんは探るような目をこちらに向けた。
どんな人かと言われても、返答に困る。城主様です、なんてとてもじゃなけれど言えない。友達です、というのもなんだかおこがましい気がした。



「…優しくて、」

「うん」

「真っ直ぐで、」

「…うん」

「…わたしの下手糞なお団子でも美味しい美味しいって食べてくれて、ちょっと照れ屋で世間知らずなところがあって、男のひとなのに甘いものが好きで、それなのに時々言うことが物凄く鋭くて、強くて、あったかくて、それから…」

「ねえ」



幸村のことを思い出して一生懸命言葉を選ぶを遮り、彼はじいとこちらを見つめながらひとことこう言った。



ちゃんはさ、そのひとのこと、好きなの」



言われて、言葉に詰まる。好きなの、だなんて。そんなことを聞かれるだなんて思いも寄らなかった。
常連客相手だったとしたら、多分怒りながら否定するか、ふざけて好きですよーなんて言ってしまうところだ。
好きなの?と聞かれれば、答えはひとつ。けれど、もう挨拶すらも出来ない人に対してこんな想いを抱くのは不毛すぎる。でも、彼の顔が思った以上に真剣だったからか、それとも馴染みの客でなかったからか分からないけれど、すんなりと本音が外へと転がり出した。



「はい」



好きです。

直接口から出た言葉は、の胸を焦がした。そうして心の中で想う。あのひとのことが好きです。でも、だめなんです。

「そう」

彼は、低い声でそれだけ言って、残りの茶を一気に煽った。緋毛氈の上に小銭を置いて、もう行くわ、と立ち上がる。さっさと去ろうとする背中に、ありがとうございました、と声をかけて頭を下げると、彼はこちらに背を向けたまま立ち止まった。



「あのさ」

「はい」

「出来ればそれ本人に伝えてやってくんねぇかなあ」

「え?」



何のことかと尋ねる前に、彼は「なんでもないよ」と背中ごしにひらひらと手を振ってそのまま通りへ吸い込まれて、目立つ筈のオレンジ色の髪は、あっという間に視界から消えた。








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(080801)