主に近しい忍びは幸せだろうか。
皆はそれを幸せなことだと言うが、佐助には本当に幸せなことなのかどうかわからない。

武田忍び、真田忍びは、他では考えられぬ程に格別の待遇を受けている。有り得べからざることだ、本来であれば。主である真田の者達、特に幸村は忍びを自分と同等の人間であるかのように扱う。身分も何も無い、ただ使い捨てれば良い筈の忍びを、まるで自分の家臣のように大事にしてくれているのだ。
忍びは忍びであり、家臣では無いというのに。

幼き頃、幸村に引き合わされ彼の忍びとなってから、気付けばもう随分と歳月が流れていた。あっという間であった。
本来の意味での忍びとして仕えることを、幸村は良しとしなかった。兄のように仲間のように共に育ち、学び、教え、守った。佐助が幸村にとってもっとも近しい者になることは必然であったのだ。

これは幸せなことなのだろう。だが、時折このような扱いではなく、本当に道具として扱ってくれろと思うこともあるのだ。いっそ幸村が主でなければ、己がこんな思いをせずに済んだかもしれぬと思い、幼き頃に幸村と引き合わせた師匠すらを恨んだこともある。この度も、佐助は激しくそれを思った。



「縁談…?」



目をまるく開いて呆然とする主に、ただ一言「はい」とこたえた。膝をつき頭を垂れて、なるべくならばこのまま主の顔を見たくないと心の内で思う。
だがしかし、いつものように「顔をあげよ」と声を掛けられ、ゆっくりを目線を幸村へと戻した。
もっと取り乱すかと思っていたのだが、意外にも彼は随分と落ち着いた様子で口を開いた。



「お館様から、でござるか」

「そ。大将のお取り成しですよ」



そうか、と一言篭もった声を出して、幸村は押し黙った。
その様子を見て心中で唇を噛み締める。この朴念仁の間の悪さといったら天下一だ。
先日、ようやっと幸村は己の心の内を理解した。あの茶屋の娘に対する己の想いに気付いたのだ。幸村は勿論そのことを隠しているつもりであるようだが佐助にはお見通しだった。
見破れぬ筈がない。それほどに、この主と忍びとの繋がりは深かった。
…元々隠しごとが得意ではない御仁であるから、佐助だけではなく才蔵にも小助にも他の忍び達にとっても既に周知の事実であるようだが。

忍びの仕事を終えて躑躅ヶ崎館近くの忍び小屋に寄った際にお館様に召し出され、未だ正式に決まってはいないが、と幸村の見合いの話を持ち出された。既に相手方とは話がついているということだった。幸村もそろそろよい歳だ、妻を娶り身を固めれば少しは落ち着くであろう、と豪快に笑う武田の総大将に、佐助もそうですねと頷くことしか出来なかった。
昌幸の死後、実の子のように可愛がってきた幸村のことを考えての取り成し。一介の忍びが口を挟むことなど不可能だ。

もう少し主が気付くのが早ければ、あるいは幸村が信玄の傍にあったのならば、縁談など取り成されることもなかったかも知れない。だが既に先方にも話しがついているという状況で、今更「なかったことに…」など出来よう筈もなかった。


「そのうち、正式に知らせが来ると思うよ」


もやもやと霞がかった胸の内を知られぬようにと、己の顔に鉄の仮面を被った。眉ひとつ動かさず、淡々と事実だけを述べる。
だが、幸村は佐助の顔をじいと見て「佐助が気に病む必要は無い」と声を掛けてきた。他の誰も見破れぬこの仮面でさえ、主は簡単に引き剥がし心を透かして覗くのだ。佐助が、幸村のことならばなんでも分かってしまうのと同じように、この主も己の忍びのまことを見逃さない。



「佐助、聞いてくれるか」



また暫く、目を伏せて押し黙った後、幸村は徐に口を開いた。お前はもう知っておろうが、と息をつく。



「某は、殿のことが、好きなのだと思う」



静かに、呟くような声は低く耳に心地よい。普段には耳を塞ぎたくなるほど煩い声の持ち主であるくせに、時折こうやって随分と大人びた声を出すのだ、この真田幸村という男は。



「佐助、お前はいつだったか某に言うておったな。これが、恋であると」

「あーうん、まあ…」

「某は、そういう意味でおなごを慕ったことが無かった。故に、気付かなかったのだ」

「うん…」

殿を見ると内が騒ぐ。胸の奥で炎が燃えるようになるのだ。今この時も、殿に会いにゆきたくて堪らぬ」

「そう」

「佐助」




「これが、恋うということなのだろう」



佐助が笑って否定してやれば、幸村のこころも変わるだろうか。いや、変わらぬだろう。これが恋かと聞いておきながら、既に主の中で答えは出てしまっているのだ。だから佐助も、ただ「そうだね」とこたえた。

分かってはいたが、直接主の口から流れるその思いに、頭を殴られたような気分だった。
戦場でその背と命を守ってやることは出来ても、ずっと見守ってきた主が初めて内に実らせたこころを、守ってやることはできない。それが限界だった。
己がただの忍びであったなら、冷徹さ以外の心を失った道具であったなら、こんな思いを味わう必要もなかったのかもしれない。仕事だ仕事だと割り切っていても、幸村がこじ開けた人間としてのこころが裂かれて血を流す。
ああこれじゃ、才蔵あたりに過保護だと言われてしまっても仕方が無い。



「佐助、大義であった。もう下がってよいぞ」



にこり、と笑って下がれと命じる主に、深く頭を垂れた。ごめん、旦那、ごめん、と心の中で謝罪する。
するとまるで本当に心を読んだかのように、幸村が「佐助、おぬしが謝ることではない」と言った。

そんなことわかってるよ。俺様が悪いわけじゃない。誰が悪いわけでもない。

でも、そういうことじゃねえんだよ。







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(080411)