そなたが持っていてくださらぬか。
そう言って手渡された、元の世界と比ぶれば大分歪な貨幣に細い紐を通して、誰にも気付かれぬようにこっそりと首にかけたのは二日ほど前のことだ。

戦が終わり、幸村が帰ってくれば手許を離れるものだと思っていた一文。彼の首には、今も六文銭には足りぬ数の渡し賃がかけられている。それはおそらく、と幸村と幸村に近しい者しか知らぬことだ。わざわざ首にかかる銭の数を数えようという者もいないだろう。

戦が終わり幸村が帰ってきて、一文を託されて土産の柘植櫛を貰ったあの日以来、幸村の態度がすこし変わった。
どきりと心臓の跳ねるような声での名前を呼んだかと思えば、いやなんでもない、と言ってただ笑う。気が付けばこちらをじいと見つめていて、が幸村のほうを見遣ると必ずといっていいほど目が合うのだ。なんだか真っ直ぐその目を見ることができなくて、の方がついつい目を逸らしてしまう。
また目が会うかも知れぬと思うとどうにもそちらを向けなくて、幸村と話をするときも、以前のように目は合わせずに視線を彼の顔の少し下にやってしまうのだ。
そうすると、今度は幸村の首にかかる五文が目に入る。それはそれでまた気恥ずかしくて、一体どのように幸村に接したものかと悩んでしまう。


そんなの心中にもお構い無しに、やはり今日も幸村ははにかんだような笑顔を見せながら、こちらをじいと見つめてきた。
それに耐え切れずに、はとうとう口を開いた。



「わ、わたしの顔に、なにかついてますか?」

「いや、そのようなことはない」

「じゃああの、あんまり見つめないでください…」



なんだか恥かしいです、と言うと、幸村ははっと気が付いたように、すまぬと一言謝ってこちらから視線を外した。
そして今度は、不自然な程にの方を見ようとしなくなった。の言葉を素直過ぎるほど素直に受け取ってしまった幸村に、こちらを見るなという意味ではないということを説明して、やっと以前のように顔を合わせられるようになった。
…それでもやはり、背に感じる視線は相変わらずであったが。



「これは、どうされたのだ」と、緋毛氈に座る幸村に手をとられたのは、いつものように代わりの茶を運んできた時であった。あたたかくて大きな手に包まれた自分の手は、随分と小さく見える。
なんのことかわからずに間抜けた声で返事を返し、幸村が示す辺りを見ると、どこでついたものやら、1cmほどの赤い筋が入っている。血は出ていないが、表皮だけが綺麗に切れてしまっていた。



「あれ、いつついたんだろ…」

「わからぬのか」

「気付きませんでした」



傷とともに自分の手を見てみると、この世界に来た最初の頃よりもずっとずっと荒れてしまっていた。元の時代ではする必要のなかった水仕事に力仕事をしているのだ。荒れてしまうのも無理はない。
それを幸村に見られていると思うと恥かしくて、は手をひいた。
だが幸村は手を離さず、そうっと傷のあたりを撫でる。
「痛くはないか」と言いながら撫でるその手付きがあんまりにも優しいものだから、「すぐ治りますし、痛くないですから」といって幸村の手を外そうとした。


「あ、」


身をかがめて幸村のその手を掴んだところで、する、との首から何かが滑り落ちた。鈍く光る銅の色。
幸村から預かり紐を通して首にかけた、一文だった。

かあ、と顔が熱くなる。
大切な預かりものとはいえ、大事に身に着けていることを知られた。幸村も、まさかそのようにしてがこれを持っているとは思わなかったのだろう。
目の前で揺れる貨幣を見て一瞬目を丸くしたのち、片手での手を握ったまま、その一文に片手を伸ばした。
良く考えれば然程騒ぎ立てることでもなかった筈なのに、とにかく何か言い訳をしなくては!という気分になって、は焦りながら早口で捲くし立てた。



「これは大切な預かりものだし無くすわけにはいかないから」

「…」

「幸村さんと同じように首に下げてれば無くさないと思って…」

「…そうでござったか」

「その、ごめんなさい」

「何故、謝るのだ」



なんとなく…。これはちゃんと袋に戻して、保管しておきます。
そう言って首から外そうとするをとめて、幸村は目を細めた。



「お揃い、でござるな」

「へ?」

「斯様に大切に扱ってくださるとは思わなんだ」



感謝致す。

続く言葉とともに向けられた笑みは、照れくさそうな、嬉しそうな、初めて見る笑顔であった。
その笑顔を惚けたように見つめる。子供のような、大人のような笑顔。心臓がどきどきと打つ。
そのままぼうと見つめていると、幸村がふいと顔を背けて、少しだけ目元を赤らめながらまたの手にできた傷を親指で撫でた。
ちくりと痛みが走ったけれども、それを言ったら多分幸村は慌てて手を離してしまうだろうから、言わなかった。
先程まではもう恥かしいから早く手を離して欲しいと思っていたのに、今はなんだか手が離れるのが惜しい。



「…殿の気持ちが、今よう分かった」

「わたしの気持ち?」

「そのようにあまり見つめられると、…照れる」



そう、徐に口を開いた幸村は本当に照れているようで、よく見ると耳の先までもがすこし赤らんでいる。
それがなんだかとても可愛らしく見えてしまい、幸村に気付かれぬようにこそりと微笑んだ。

殿はおなごなのだから、大事にせねばなるまいぞ」

と、傷を撫でながら照れ隠しに零れ出た労りの言葉に、胸がぽかぽかと温かくなる。
はにかみながらこちらを向いた幸村の動きに合わせて、一文欠けた銭飾りがちゃりんと小さな音を立てた。







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(080429)