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時が経つのはあっという間だ。ぽかぽかと暖かかった春が、一月の間に一気に夏になってしまった。小さな竹の筒にささっている季節はずれの赤い風車が、ぬるい風を受けてからからと回る音を聞きながら、はぼうと外を眺めていた。幸村と話すようになってからいつのまにかひとつ季節が終わっていた。毎日が矢のように過ぎ去って、それを感じる余裕も無かった。 幸村達がこの上田から出立してからその後なんの情報も入ってこない。勝ったのか、負けたのか、苦戦しているのかそうでないのか。通信手段が無いこの世界では、遠い場所での出来事などは、旅人や行商人から聞くしか手立ては無い。昔は、飛脚という手紙やら郵便を運んだりする人が居たようだが、戦乱の世になって関所が設けられたことによって領国間でのやりとりはずっと困難になった、と聞いた。 「真田様はああみえて、大層お強いお侍様だという噂だよ。心配なんてしなくても、大丈夫さ」 おばあさんも、馴染みのお客さんたちも、皆で口を揃えてそう言う。それが真実なのかそれともを安心させる為の嘘なのかはわからない。だが、あの日、大勢の鎧武者達の中に見た幸村の姿はとても頼もしかった。おそらく、心配など無用のものだろう。 そうこうしている内に、ようやっと甲斐から来たという人から戦のことを聞くことが出来た。北条の守りに多少苦戦はしているようだが、なあに、お館様がおられるのだから心配なかろう、という話だった。 幸村からお館様についてのお話はさんざん聞かされていたけれど、こうして他のひとの話から、”お館様”への信頼を聞くと、なんだかくすぐったいような、嬉しいような気持ちになる。町のひとからも敬愛される、そんな主に仕えているのだ、あのお方は。 戦のことは心配なさそうだとわかると、今まで「大丈夫大丈夫」と宥めるように話しかけてくれていたお客さんが、このようなことを言い出した。 「甲斐はここよりもずっと大きな町だ。案外いいひとでも見つけて、よろしくやっているのかもしれねえよ」 「ほうら、女だからってぼやぼやしていると、あっさりどこかのいい女に攫われちまうんだぜ」 その度に、幸村さんと自分とはそんな関係では無い、とか、幸村さんはそんな色恋にうつつを抜かすようなことをするひとじゃない、などと言い返していたが、成程、そのような可能性とて十分に有り得るのだ。関係ないとは口で言いながらも、もしも幸村さんが町の綺麗な女の人と…と考えると、悲しいようなむかつくような気持ちになる。 それでも、小さな巾着に入れて大切にしまってある鉄臭い一文銭をぎゅうと握り締めると、心がすうと落ち着いた。他の誰でもない、自分に預けられた彼の覚悟。家紋にまで掲げている真田の六文銭、その一枚を預かったことのある人間など、他にそうそう居ないだろう。 幸村は一月で戻ると言ったが、当初は三月はかかるだろうと言っていた。一月など既に過ぎ去り、やはり無理だったのだなと残念に思う気持ちもあるがそれも仕方の無いことだ。 宛ての手紙が届いたのは、今度彼が店に顔を出すまでにはつくれるようになっておこうと、新しく教えてもらった葛饅頭づくりに手を出している時のことだった。 「わたし宛に、ですか?」 「そうです」 「ええと…どなたから?」 「真田幸村様です」 その名を聞いたとき、驚きやらなにやらでふらっと意識が遠のいた。そんなことって、あるんだろうか。戦地から手紙を出すことなんて可能なのだろうか。少しだけ皺になっているその紙を震える手で受け取った。 なんだなんだと奥から出てきたおばあさんが、「あら!」と声を出したのを、急いで制する。あんまり大きな声を出すと、他のお客さんたちが面白がってどれどれと寄って来るのが目に見えているからだ。おばあさんは、心得たという顔をして、黙ってまた店へ戻っていった。よかった。出て来たのがおばあさんではなくおじいさんだったら、やあやあうちのが真田様から文を頂いてしまったよちょっとみんな来ておくんな!と騒ぎ立てて台無しにするところだ。 そう、と現代よりも幾分か弱いその紙を開く。そして中を覗いて、頭を抱えて蹲りたい気持ちになった。 読めない。 いや、全く読めないわけでは無いのだが、読めそうで読めないもどかしさがあった。完全に読めないものもある。紙を握り締めながら焦るを見て、これを持って来てくれた男のひとが首を傾げる。 「もしや、読めないのですか」 察した男の言葉に、は素直に頷いた。どうしようもない。この時代では読み書きの出来ない者も大勢居たから特におかしいことでも無いのだろうけれども、それにしても恥かしい。こんな書きかたじゃなくて、一字一字形どおりに書いてくれていれば読めるんです!と叫びたかった。 「あの、読んでくれませんか」 申し訳無さに埋まってしまいそうになりながらも、はその手紙を差し出して頼んだ。よろしいのですか、という言葉に何度も頷く。おばあさんや仲の良いお客さんに頼んでも良いかもしれないが、知り合いに頼むほうが恥かしい。 「では…」 の心情を察してくれたのか、あまり響かない小さな声で彼はその手紙を読み上げた。 大分暑くなって来たけれども、身体を壊したりしてはいないか。 未だ、早起きは続けているのかどうか。 戦はもうすぐに終わる、じきに戻る。 聞き慣れない表現もあったけれども、そのような意味合いのことそすらすらと読み上げる男の声は耳に心地よい。それは彼の声が好ましいからなのか、それとも読み上げられる手紙が幸村からの言葉だからなのか。落ち着かず両手を握ったり放したりしながら聞き入る。 「それから最後に、あなたに会えぬことが寂しい、と」 「え」 「はやく会いたい、と書かれております」 「そ、うですか」 やはり、自分で文字くらいは読めるようになっておかなければならない。ただでさえもなんだか照れくさいのに、人からそういう言葉を聞くと、両手で顔を覆って蹲りたくなる。 「…寂しがっておいででしたよ」 静かな声に顔を上げると、そのひとはとても柔らかい表情でこちらを見ていた。少しだけどきっとしてしまったのは秘密だ。 「…あの、また幸村さんに会ったりするご予定はあるんですか」 「あるかもしれませんし、無いかもしれません」 「じゃあ、もしも会った時で良いんですけど…一言だけ、伝えてくれますか」 「何なりと」 薄茶けた白の上に広がる言葉を見て、頬がゆるむ。手紙もデジタル化されて、今じゃ手書きの手紙なんて滅多にお目にかかれないだろう。生きた文字が躍る、この手紙を書いてくれた幸村のことを思う。あの茶色い尻尾。よく通る声。握られた拳。団子を頬張る幸せそうな顔。自分の名を呼んで、やわらかく緩められるあの表情。 「わたしも早くあなたに会いたいです」 その言葉を聞いて、「確と、承りました」と男のひとが微笑んだ。なんだかあたたかい気持ちになって、も微笑返す。 空は高く、雲の流れは早い。あのひとも、この空を見上げているのだろうか。 <<< >>> (080406) |