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最近、どうにも旦那の様子がおかしい。 戦の時や甲斐のお館様と会ったときなどを除いては、それなりに大人しく威厳のあるお武家様を演じて見せている幸村であったが、近頃では佐助が報告をしている時でさえどこかうわの空で、一人でぼうと庭を眺めているかと思えば、自分の掌を見つめて時折だらしなく頬を緩めたりと、はっきりいって気持ちが悪い。 特に先日、自分にもいいひとくらい居るというようなことを言って、縁日に城を飛び出していってからは、その様子に拍車がかかったように思う。 近頃では周辺諸国の様子が慌しく変化し、忍びとしての仕事が多かったため主の私生活にあまり関与していなかった佐助であったが、この幸村の頭の浮かれようには、忍隊の他の者達まで心配している(といえば聞こえはいいが実際気味悪がっている)ものだから、佐助も重い腰を上げざるを得なくなった。 とはいえ、この直情型の主のこと、ちょっと聞いてみればすぐに口を割るだろうと考え、こそこそと探るようなことはせずにまず真正面から問い正してみた。 「旦那ァ、最近機嫌いいみたいだけどなんかあった?」 「ああ、あったな」 「へえ、どんなこと?」 「教えぬ」 そう言って、また自分の掌を見つめながらにやける主に、あまり関わりたくないと真剣に思った。 同じく真田忍びである才蔵に何か思い当たる節はないのかと聞いてみると、「まあ、大方女だろう」という答えが返ってきた。それは佐助も考えていたことであったが、この鍛錬とお館様と菓子とで構成されているような主が、一体どこでそんな女を見つけられたのかが疑問だ。 もう童では無いのだから、佐助とて四六時中幸村の行動を見ているわけではない。むしろ放っておくことの方が多い。であるから、まあ佐助の見ていぬところで女を捕まえていたとておかしくはないのだが、それを己が知らぬというのは癪に障る。 某は明日が来るのが待ち遠しいぞ、佐助!などと意味の分からぬことを言う主の、こうなった原因を突き止める為、佐助はその翌日から丸一日、主の後をつけることにしたのだった。 そして、その原因は案外早く見付かった。 早朝、佐助の言が原因で始まった騒々しい朝の日課。馬を駆って町を駆ける幸村をつけていくと、とある水茶屋の前で幸村が馬を止めた。その水茶屋は、幸村が大層気に入っている団子が売ってある茶屋で、以前は佐助や小姓が無理矢理に団子を買いに行かされていた。 馬上で照れたような笑顔を浮かべる幸村を見て、成程、最近この茶屋に使いに出されぬわけはそういうことかと思い至った。 水茶屋の前には、娘がひとり、箒を握り締めて立っていた。 (この子に会いに来てたってわけね…) 以前よりも、より一層早起きに力を入れるようになったのも、その時間が毎日ほとんど変わらないのも、団子を買いに自分の足で行くようになったのも。 幸村が何事かを話して、それに対して娘が笑う。 (見たこともないような顔しちゃって) ちゃんと、男の顔をしている。そこに在ったのは、己の知る真田幸村とは、まるで別人のようなひとりの男の姿だった。その姿を見て、ああ旦那もようやくか、といった安堵の気持ちと、それから少しだけ寂しさが湧き上がる。丁度、巣立ってゆく雛を見た親鳥の気持ちというべきか。 (あほくさ、何が親鳥だよ) 短い会話を終えて、また荒々しく馬を駆って走り去る幸村は追わずに、佐助はその場で大きく伸びをした。 太陽が昇ろうとしている。この空にも、そして主の心にも。 清らかな朝の空気を吸い込むと、自然と口が笑みの形をとった。 主の中の太陽は、無事に昇ることができるのか、それとも半ばにしてまた沈んでしまうのか。 こりゃあ、面白いことになりそうだ。帰ったら才蔵にも教えてやらなきゃな。心の中でほくそ笑んで、忍びはまた音も無く、城へと戻っていった。 「で、ちゃんって言うんだって?」 佐助の言葉に、幸村は盛大に茶を噴き溢した。 げっ、何やってんだよあんた!と罵声を浴びせながら、佐助は手拭で汚れた畳を拭いた。 「お、お、おまえ…!」 「やだなー旦那ってば、そんな大事なこと俺様に黙ってるなんてさ。幼き頃から粉骨砕身お仕え申し上げてるってのに、初恋の相手すら教えてもらえないなんて俺様かわいそう」 「な、馬鹿を申すな!こ、こ、こいなどと!」 「じゃ何だっていうのさ」 「恋などと、そんなものに現を抜かすような腑抜けになった覚えは無い!」 某を馬鹿にするのもいい加減にしろ!そう吐き捨てて、足音荒く幸村はその場を立ち去ってしまった。 鴬張りの廊下に、どしんどしんと振動が伝わる。 (あーらら…) 奥手の極みにある主は、未だ自分の中に芽生えつつある感情の名を知らぬらしい。初めて誰かを恋うたのだ、仕方無いといえば仕方無い。 膝に頬付いてにやりと笑む。 さて、この主がこれからどのように変わってゆくのか、それともやはり変わらぬままか。 暫く退屈しないで済みそうだ。 そう言ってのけた忍隊の長の顔は、新しい玩具を見つけた童のような顔だったという。 <<< >>> (080403) |