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「近くの神社で縁日のまつりがあるって聞いたけど、旦那はまだ連れて行きたいおんなの一人も居ないわけ?」 ことの発端は、忍びが呆れ顔で言った言葉だった。 幸村は女人があまり得意ではない。 侍女やくのいちとはそれなりに交流があるものの、それ以外のおなごとはあまり話す機会も無い。 これではゆかぬと、幾度か見合いの話もあったが結局は全て流れてしまった。 幸村は武士だ。 未だお館様のご上洛は成っておらず、故にまだまだ働かなくてはならぬ。 女人にうつつを抜かすなど、そのような暇も、腑抜けた姿をさらすつもりも無ければ、色恋に溺れる気もない。 他の男達のように、町の娘の尻を追い掛け回すなどという破廉恥な振る舞いはもってのほかだ。 だが、「奥手も程ほどにしないと、子を産んでくれる女だって見付かりゃしないぜ」と揶揄されてしまえば、さすがの幸村もかちんとくる。 「そのようなおなごくらい、某にもおるわ!」 と啖呵を切って、足音も荒く忍びの傍から離れた。 背後から、佐助の「うっそだあ!誰だよ、ほんとにそんな女いんの?」という声がかかったので駆け戻って一発拳を送り込もうかとも思ったが、彼奴の手に乗せられてしまうのも癪だ、とそのまま無視して城を飛び出してしまった。 …といういきさつで、勢いのままに町へ出てきてしまった幸村であったが、当然のことながら恋仲であるおなごなど居よう筈もない。 真田忍びの気風とはいえ、あの忍びの言動は目に余る。 思い返せばますます腹の底から怒りが這い上がってくる。 町はいつもよりも浮ついた雰囲気で、時折仲睦まじい男女が寄り添って神社のほうへと歩いていくものだから、それが益々腹立たしい。何故、あんなにも始終へらへらと笑っていられるのであろうか。 ずんずんと当てもなく歩いていると、いつのまにかあの水茶屋の手前まで来てしまっていた。 そこでふと、先程見た仲睦ましい男女の姿を思い出す。 あれが、自分と殿であったなら。 己の横で、花が綻ぶように笑うの姿を思い浮かべる。 きっと楽しいだろう。 未だに「幸村」という己の名を呼ぶことを少し躊躇う彼女との会話は、幸村のこころを優しくしてくれる。 目を逸らして少しだけ言い澱み、おずおずと差し出される言葉は心地よく内を満たす。 もしも、一緒に縁日へと誘ったならば、 (殿は、来てくれるだろうか…) ぐ、と拳を握り締めて、足を踏み出す。 ゆけぬと断られたら、その時はその時だ。縁がなかったと諦めれば良い。 そう思い、すっかり馴染みとなった水茶屋の前に立った。 「あら、真田様!いらっしゃいませ」 まず始めに幸村に気付いたのはおりんだった。 続いて、店の奥からがぱたぱたと出てきた。 幸村と目が合うと、ぱあ、と満面の笑顔を見せる。 それにつられて、こちらも思わず顔が崩れる。 「こんにちは、幸村さん」 「久方振りでございますねえ」 「お風邪でも召したのかと、心配していたのですよ」とおりんが続ける。 久方振りとは言っても、幸村が茶屋に来なかったのはわずか六日ばかりだ。 これまでは二日とあけずに来ていたのだから、久方振りといえばそうかもしれないが。 だが、と会うのはそうではない。 あの日、「幸村」という名前を呼んでもらうことが出来た朝から、毎日のようにふたりは顔を合わせている。 勿論、会釈だけでの前を走り過ぎる時もあるのだが、大抵はそこで馬を止め、とりとめのない会話を交わすようになった。 「も寂しかったでしょう」とおりんが揶揄するように言ったが、はそれには答えず、少し困ったようにこちらを見て笑った。 おりんは、と己が毎朝顔を合わせているなどということは知らぬようだ。 の黒い目と己のそれとが合う。 お互いに同じことを考えているような気がして、秘密めいた視線にときめかしさを覚えた。 「今日は、何に致しましょう。ちょうど、饅頭が蒸かしあがったところですよ」 「いや、今日は…」 「またの団子ですか?たまにはあたしの団子も食べて欲しいものですよ」 白い歯を見せながら、おりんがからっとした笑い声を上げた。 その勢いに押されながら、どう切り出して良いやら、幸村は口を引き結んだ。 それに気付いたが、こちらの言葉をじいと待っている。 「今日は、茶を飲みに来たわけではないのだ」 「あらまあ、では一体何用で?」 「…近くで、縁日があるだろう。それで…その、」 所在無い手を首の後ろに当てながら、のほうへと視線を向ける。 はごく小さく首をかしげた。幸村の意図を読み取れなかったのだろう。 一緒に、という肝心の言葉がどうにも出て来ず、幸村はそのまま押し黙ってしまった。 だが代わりに、そこは年の功とでも言うべきだろうか、幸村の言わんとするところを素早くおりんが察知した。 「、今日はそこの神社で御縁日のまつりがあるそうだよ」 「え、そうだったんですか」 「あんた、行ったことないだろう。どうだい、真田様に連れて行ってもらったら」 ええっ、と声を上げてがこちらを見上げる。 「真田様さえ宜しければ、このこにまつりを見せてやってくださいませんかねえ。あたしらは店があるから」と続く言葉に、強く頷く。 本当ならば、直接自分で言いたかったのだが、それはそれだ。 「あの、でも…」 「いいんだよ、今日は特別だ。いっておいで」 おりんがの背を押し出す。近くで向き合うような形になり、が身体を強張らせ少しだけ仰け反らせた。 「ええっと…」と俯くの手を取る。 小さくて柔らかく、温かい手だった。 はっとしてこちらを見上げるに向かって、出来うる限り優しい笑顔を向ける。 途端、彼女の頬に朱が咲いた。 「宜しくお願い致しますね、真田様」 「心得た。夕刻までには戻そう」 ゆこう、と声をかけて小さな手を引く。 その手は思っていたよりもあっさりと、幸村の導くままについてきた。 平静を装ってはいたものの、実際のところは、まるで心の臓が耳元で鳴っているかと錯覚するほどに緊張していた。 先程まで煩わしく感じていた町の浮ついた雰囲気も、いざ自分がその中にはいってしまえば全く気にならない。 視界の端で連れ添う男女も、笑う親子も、全てが微笑ましい。 自然と、口元から笑みがこぼれる。 成る程、あの者達が絶えずにこやかにしている理由は、こういうことであったのか。 横から小さく「ありがとう、ございます」というの声がきこえた。 返事の代わりに、すこしだけ強く、その柔らかな手を握る。 ごく小さな力で手を握り返された時、どうかこの高鳴る鼓動よの耳に入ってくれるなと、まるで祈るように思った。 <<< >>> (080401) |