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相変わらずは毎日のように早起きをして、駿馬を駆る彼の姿を見送っている。 結局、目が合ったのはあの一回きりだ。 …そう、あの馬上のお侍さんは、真田幸村、という名前らしい。 それを聞いた瞬間、これは大変なことになったと思った。 真田幸村といえば、そりゃあ有名な名前だ。 しかも、甲斐の武田信玄公から現在この上田を任されている、つまりは城主様にあたるらしい。 まさかそんな人に、あんな団子を食べさせてしまうことになるなんて考えてもみなかった。 あれ以来、ほとんど毎日のようにお城からお使いが来るようになった。 おばあさんのお団子を十数本と饅頭や葛餅を注文し、それから必ず、わたしの発展途上のお団子を二、三本。 こんな出来の悪いものをお城に出すなんて駄目です、本当に勘弁してください、とお使いにやってきた小姓さんに頭を下げたのだけれども、「幸村様から頼まれたのだ」と言われてしまえば、差し出すより他に無い。 まさか、あの美味しくも無い団子を気に入ってくれたなんて、そんな都合の良い話がある筈がない。 一体どうして真田様がの団子を注文してくるのか考えたりもしてみたが、思い当たる節もない。 とにかく、注文してくれるからにはもっと美味しいものを作らなければならない、とこれまで以上に菓子作りに精を出すようになった。 そして、次にあのひとがやってきた時には、今度こそ、今度こそ真正面から挨拶をして、自分の拙い出来の団子を食べてくれたことへのお礼を、と。 その機会は、の思っていたよりもずっと早くにやってきた。 日差しがやわらかく、気持ちのよい風が吹く日だったと思う。 「いらっしゃーー……」 と、それ以上の言葉はどうにも口から出てこなかった。 濃紺の着物に袴姿、毎朝のように眺めている、尻尾のように結わえられた茶色の髪。 そこに立っていたのは、紛れも無く、あの朝焼けのひと、真田幸村様だった。 ぽかん、と口をあけて立っているの姿を見て、彼は眉尻を下げて薄く微笑んだ。 「すまぬが、茶を一杯頂けまいか」 「……」 暫く、ぼうとそこに突っ立って相手の顔を見ていたが、彼の怪訝そうな表情にハッと意識を取り戻す。 「え、あ、お茶ですね!すみませんあのいまおじいさんを呼んで来ますね!」 「構わぬ」 「でも…!」 今、おじいさんもおばあさんも店の奥の方に引っ込んでいる。 そのとても整った顔と店の奥とを見比べながら、そわそわしているを見て、焦げ茶色の目が細められた。 彼が「抹茶と葛餅を」という言葉とともに日当たりの良い緋毛氈の縁台に腰掛けたところで、ようやくの心も落ち着いてきた。 ごくり、と唾の飲み込んで手をきつく握り締める。 言わなくては、言わなくては! 「さ、真田様っ!」 「なっ、なんでござろう」 大きな声に驚いたのか、真田様の肩がびくりと震えた。 だがそれにも構わず、身を乗り出すようにして言葉を続ける。 「あの、お団子!食べてくださってありがとうございました!」 「あ、ああ…」 「まだまだ練習中で、美味しくなかったと思いますけど…!」 「そのようなことはないぞ!」 緋毛氈に手を置いて、今度は真田様のほうが身を乗り出してきた。 「殿の団子は美味い!未だおりん殿には及ばぬかもしれぬが、それでも日に日に上達しておる」 「そ、うですか」 「そうだ。某が言うのだから自信を持って良いぞ。こう見えても甘味には煩いのだ」 得意そうに胸を張るその姿がなんだかとてもおかしくて、思わず、ふ、と噴き出してしまった。 甘味に煩いお侍さんだなんて、ちょっと面白い。 「あ…と、とにかく殿の団子はなかなかに美味い。某は好きでござる」 「…どうも有難うございます」 お城で、まずいって言われてたらどうしよう。おばあさんのお団子と比べられてたら、嫌だな。 そういった、今まで心を覆っていた薄い膜のようなものが、取り払われた気分だった。 某は好きでござる。 世の中には社交辞令というものがある。自分のお団子が、そりゃあ他のひとからしたら多少は美味しいかもしれないけれど、店に並べるにはまだまだだと言うこともよくわかっている。 それでも、そんなことが全部どうでも良くなるくらい、嬉しい言葉だった。 「名前、知っていてくださったんですね」 「先日、客のひとりから名を聞いた」 「そうだったんですか」 「…」 「……」 折角少しだけいい雰囲気だった筈なのに、お互いに目を合わせたままに会話が途切れた。 何か話さなくてはと頭の中で話題を探るが、こういう時に限ってなにも話題になるようなことが思い浮かばないのだ。 いつもはどうでも良い話ばかりぽんぽんと飛び出してくるくせに、肝心な時に役に立たない口を引き結んで、お互いに見つめあう。 「えーと、お抹茶に葛餅、でしたよね。いま、お出ししますね」 「ああ…あ、いや!」 「なんでしょう?」 「葛餅ではなく、みたらしを頼む」 「へ?」 「そなたの作った、みたらし団子を」 間抜けな顔で聞き返すに、彼がはにかんだような笑顔を見せる。 嬉しさかそれ以外の何か故にか、かすかに熱を持った頬を、真昼の柔らかな風が撫でていった。 <<< >>> (080329) |