深く馴染んだ色合いの木造の店の前で、幸村はやはり引き返そうかと今一度迷った。
確か、この店で良かった筈だ。娘を見かけるのはいつも、この店の前だった。
この水茶屋の団子は城の者達にも知られた逸品であり、幸村もよく佐助や小姓に頼んで買ってきて貰っている。
この店の品書きにある菓子は、全て知っている。
特に、甘い醤油だれのみたらし団子はお気に入りである。
幸村自身がこの店に直接買いに来ることはそう無いが、いつも同じ団子を注文している為か、気分はすっかり馴染みの客だ。

外には、店の中に入らずとも茶や菓子が食べられるように緋毛氈の縁台が置いてあり、そこに座りながら数人の人足の男たちが茶を飲んでいた。




先日、初めてあの娘と目が合った。
走り過ぎる一瞬のことであった為確信はないが、目が合った…ように思う。

無我夢中で馬を走らせ町の外れに出た時には、まるで騎馬の稽古を始めたばかりの頃のように、息が上がってしまっていた。
肺の中を清々しい空気が満たし、ゆっくりと明るくなっていく空の下で、幸村の胸の中であるひとつの決意が芽生えた。

会いにゆこう。
あの娘は、自分のことを覚えていないかもしれない。
いつも馬を全力で走らせて通り過ぎているのだ。
まさか、こちらの顔をしかと覚えているとは考えにくい。
だが、それでも一目、この太陽が昇りきったのちに、日の下で一度くらいあの娘を見てみるのもいいかもしれない。

熱い血を送り出す心の臓、その鼓動が心地よく、錆浅葱の空が焼けていくのを感じながら、しずかに目を閉じてかの娘を思い返した。



…が。
いざ店の前に立つと、この期に及んで「や、やはりまた日を改めて…」といった情けない諦めと迷いの気持ちが湧き上がってくる。
かといってそのまま立ち去ってしまうことも出来ず、その場でうんうんと唸る幸村の様子を、物珍しそうな目で客が見ていた。

(そ、そうだ、今度佐助を連れ立ってくればよいのだ。そうしよう)

うむ、それがよい、とひとり頷き、ようやく踵を返そうとしたところで…


「いらっしゃい!」


と、店の主人に声をかけられてしまった。
思わずびくりと肩が震える。


「…ああ、これはこれは…!」


主人が幸村の顔を見て、くしゃりと顔を緩めた。
こうなれば最早引き返すことも出来ぬ。
腹をくくって、主人に挨拶を返す。



「いつもの団子を、五つばかり包んでくれぬか」

「へい、かしこまりまして」



平静を装いながらも、ちらりと横目で店の中を伺う。
あの娘の姿は見当たらない。店の奥にいるのだろうか。それとも、やはりここでは無いのか…。
こうなれば、いっそ主人に直接尋ねればよいのだ、と思い主人に向き直る。
幸村よりも幾分背の低い老人の顔を見ながら、「ここに娘は…」と言おうと口を開き、しかし出てきたのは、



「おりん殿は息災か」



という当たり障りの無い世間話だった。なんと情け無い!
「ええ、幾つになっても口ばかり元気で困っているところでェさ…おおい、お前」
店主が店の奥に声をかけるのを「いや、良い」と制し、もう一度店の中を伺う。
やはり、居ない。


「どうぞ、そこにお掛けになってくだせえ。すぐにお持ちしますんでね」


主人が店の中へと消えた。
言われたとおり、そろりと緋毛氈の上に腰を下ろす。
なにか居た堪れないような気持ちになって、そわそわと落ち着かない。

ふと隣を見ると、人足の男が団子を頬張っていた。

(…ん?)

その団子を見て、違和感を感じた。
みたらし団子であることは間違いないのだが、いつもおりん殿がつくっているものとはどうも違う。
串に刺さった四つの団子の大きさがそれぞれバラバラで、形もいびつだ。
よく見なければ気付かなかっただろう。
少々失敗しただけ、ともとれるが、まさか何年もこの仕事をしている者が、このように出来の悪いものを客に出すだろうか。



「それは…一体何でござろうか」



と思わず声に出す。
人足はすこし驚いた顔をして二、三瞬きをしたあと、白い歯を見せて笑った。



「ああ、これかい。こりゃ、この店で修行中の娘が作った、失敗作ですよ」

「修行中の娘…?」

「大分上達したんですがね、まだまだだなこりゃあ」



中がどうにも粉っぽくていかん、と評価を下す男の言葉は、もう耳には入らない。
娘。娘!もしかして、あの朝焼けの娘だろうか。いや、おそらくそうであろう。
ごほん、とわざとらしく咳をしながら、しかし殊更冷静を装って幸村は尋ねた。



「あの夫婦に、娘など居たか?」

「いや、実の娘じゃあないらしいですがね。という名で、気立ての良い娘で」



、と口の中で呟く。
あの朝焼けの娘は、というのか。

何度も心の中で名を反芻していると、店の奥からおりん殿と主人がやってきた。



「あらあら、真田様!」

「ああ、久しいな」

「ほんに、お久し振りでございます…今日も、みたらし団子で宜しいのですか」

「頼む」



にこやかな彼女の顔には、時を感じさせる皺が深く刻まれているが、老いを感じさせぬ程にその声には張りがある。
それを見ながら、ふと思い立って、幸村は隣に座る人足の持つ団子を指差した。



「これも、一緒に包んでくれ」

「…は…、この団子を、ですか。ですがこりゃ、まだ半人前の娘が作ったものでして…」

「ああ、それで良い」

「本当に?」



主人が、目を丸くしながらもう一度尋ねた。
良いと言っておろうに、と笑うと、まだ少し困惑した表情で「では、包んで参りますねえ」とおりん殿が店の奥へとまた戻った。

その様子を見て、人足の男が「お侍様も、物好きですね。あんまりうまいもんじゃありませんぜ」と茶々を入れた。







この勢いのまま、この団子を作った娘に合わせてくれ、と言えば良かったのだろうがそれはしなかった。
あの娘がここにいる、という確証。
そして「」という名前。
それを得られただけで十分だ。今日のところは。

夫婦に見送られ店を後にする。
右手に揺れる笹の包みを見下ろして、自然と笑みが漏れた。

いつも薪や箒を持っていた、薄明るいあの手が、一生懸命に団子を捏ねる様子が目に浮かぶ。

今日はとても気分が良い。
そうだ、たまには佐助を茶にでも誘い労ってやろう。
自分が買って来た団子を分けてやれば、きっとあの忍びは目を丸くして「明日は槍が降る」と騒ぐに違いない。
だが、あの娘、が作ったいびつな団子ばかりはくれてやらぬぞ、と思いながら、幸村はのんびりと城への路を歩いた。








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(080329)