幸村の朝はとても早い。
この城の中でも、幸村程の早起きはそう何人も居ない。
別段、意識して早く起きようとしているわけではないが、自然と目が覚める。
己を律しようとしう意識が知らぬ内に働いているのであろう。

弁丸と呼ばれていた童の頃は、幸村は朝が大層苦手であった。
まだ心地良い眠りの中に浸っていたいと、駄々をこねて布団を握り締めていたことを思い出す。
侍女達がいくら言っても聞きはせず、最後には己が忍びがしぶしぶと言った体で起こしにやってくるのだ。
あの忍びは、他の者達と違って、幸村に対して遠慮というものを知らない。
力任せに布団を引き剥がされて、観念する。それが日常であった。

そんな幸村が、今のように城一番(でもないだろうが)の早起きをするようになったのは、忍びのある一言が原因だった。
「子供だからって、あんたみたいに己に甘い餓鬼は立派な武士になんてなれやしないぜ」
まだ小さかった幸村にとって、歯に衣着せぬその言葉は、まっすぐに心を貫いた。
今思えば、あれはあの狡猾な忍びが、朝、小さな子供を起こしにゆく手間を省くための作戦だったのだろう。
その日から、己を律し強い武士になるという決意の元、朝の幸せな惰眠を捨てることにしたのだった。

すると、今度は意気込む余り信じられない程の早起きをするようになった主に、忍びは文句を言うようになった。
早起きを励行するようになって後、朝餉の前に鍛錬をして一汗かくのが日課になったのだが、その掛け声やら何やらが朝っぱらから五月蠅くて迷惑だと言い出したのだ。
全く、我儘な忍びである。
だがしかし結局は、そんなに朝早くから鍛錬がしたいのならば、騎馬の練習も兼ねて街の外にでも出てやったらどうだ、という忍びの提案をのんで、早朝に馬を駆って外に出ることが日課となってしまったのである。

かといって小さな頃は一人で町の外に出るわけにもゆかず、朝っぱらから佐助を巻き込んで外に出ていたのだが(佐助はそのことに関しても随分とぶつくさ文句を言っていた。言い出したのは佐助であるのに)、元服して後は忍びを伴わずにひとりで出るようになった。
この頃は、「もう十分強いんだし騎馬の訓練だって必要無いし、外行かなくてもいいんじゃないの」とも言われていたが、幸村は未だ幼き頃よりの習慣を守り続けていた。

それに、最近では鍛錬以外にもひとつ目的が出来た。
このことは、幸村のことならば知らぬことなど一つもないと豪語する己が忍びにすら、知られていないことだろう。



「佐助!お前、何故俺を起こさなんだ!」


その日、幸村は理不尽だとはわかっていながらも、天井裏に控える忍びに向かって声を荒げた。



「いや、起こすも何も…旦那ちゃんとひとりで起きてるじゃん」

「いつもより遅いではないか!」

「変わんないでしょ…こんな、鶏よりも早く起きておいてさ。もうちょっと寝ててもいいくらいだって」

「ええい、言い訳は良い!」

「ちょ、俺が悪いわけ!?」



ばたばたと色々ひっくり返しながら、着物を引っ掴んで袴をつける。
佐助は、天井裏から顔を覗かせながら呆れたように溜息をついた。



「そんな急がなくても、朝餉まではまだ時間あるから大丈夫だって…」

「大丈夫ではないのだ!」

「なーにさ、いいひとでも待ってるっての?」

「馬鹿者!」


佐助の言葉に、顔を赤くしながらも厩へ向かって駆けた。
いいひと、などと、そのようなものではない。
だがそれは、あながち間違いでもなかった。

最近出来た、早起きのもうひとつの理由。
それは、朝、まだ太陽が眠っているころ、いつも同じ時分に外へ出ている町娘だ。
これまでには見なかった顔だ。いや、もしかしたら幸村が気付かなかっただけかもしれない。
名も知らぬ。何処から来たのかも、何処の家の娘なのかも知らぬ。
だが、この頃は毎日顔を見ている。見ているというか、馬で駆けぬける時に一瞬すれ違うだけであったが。
ただ、駆け抜ける風景の一部であった筈の通りが、気付いたその時からひとつの情景として幸村の中に記憶された。

薪をとっていたり、箒で表口を掃いていたり。彼女が外に現れるのはいつも決まった時分なのだ。
少しでもずれてしまえば、会えるかどうか分からない。
(正確には会っているわけではないのだが。でも、それでも!)


幸村が朝早くから訪れるものだから、つられて早起きをせざるを得なくなった厩番への挨拶もそこそこに、幸村は栗毛の馬の手綱をとった。
なんだ、今日は遅かったなとでも言いたげに、馬はひとつ大きく鼻を鳴らした。


「今日は少し急ぐぞ」


しなやかな馬のくびを叩き、幸村は城の門をくぐった。
かの娘は、今もこの冴える朝の空気を吸っているのだろうか。







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(080328)