「おい、何してる」


口の中に残る嫌な味を思い出しながらソファに寝そべりながら目を瞑る。
上から降ってきた声と、部屋の明かりを遮る影はこの部屋の主のものだ。


「寝んなら自分の部屋に行け」


そう言って、が被っていたふかふかのブランケットを引き剥がした船長は、わたしの腕を引いて無理矢理身体を起こさせた。
口の中に入れていた、ハッカの飴が歯に当たってかろりと音を立てる。


「何食ってんだ」


わたしが口の中に何かを入れているのを見て、船長はあからさまに嫌な顔をした。
船長の部屋は飲食厳禁だ。勿論部屋の主である船長にその規則は適応されないわけだが、が船長の部屋にやってきては菓子を食い散らかすものだから、つい最近そんな規則が出来てしまった。
船長の部屋はあまり整理整頓されていなくて雑多に物が散らかっている。元々汚いんだから良いじゃないかと反論すると、おれの部屋だからおれが汚すのは構わないがそれ以外の人間が荒らすのは許しがたいという答えが返された。

口を開けて舌を出して、薄荷の飴を彼に見せる。ちなみにこの薄荷飴は、船長のものだ。買ってから忘れられていたのであろう飴は、少ししけっていた。飴なら食い散らかして食べかすが落ちることはないと思ったからか、船長のきつい表情が幾分緩められる。


「揚げた芋の菓子やスナックだったら舌を引き抜いてやるところだ」


船長はそう言って、部屋から出て行くように促した。この人はやると言ったら本当にやる。スナック菓子は間違っても持ってこないようにしよう、と心の奥でひっそりと思った。


「…おいちょっと待て、その薄荷飴おれのじゃねぇのか」
「あ、今頃気付きましたか?」
「勝手に人のモン食ってんじゃねぇよ」


どうせ全然手をつけてないんだからいいだろうに、心の狭い船長だ。
そう言うと、バラされたいらしいなと凄まれてしまった。おお、怖い怖い。


「今日、夕食に海王類のアレ出たじゃないですかー煮込み?みたいなやつ」
「うまかったじゃねえか」
「肉はね。でもなんか、内臓も入ってましたよ」
「それがどうした」
「わたし内臓ダメなんですよ」


生臭くて。歯磨きしてもなんだか生臭さが取れないような気がして、だから薄荷飴貰いに来たんです。
すう、と息を吸うと薄荷の匂いがした。大分薄れたが、まだあの生臭さが残っているような気がする。


「生臭くて、内臓嫌い」
「おれは毎日でもいいぜ」
「うげえ。てか船長セロリとか、匂いするものダメなんじゃなかったですか」
「内臓はいいんだよ」
「意味わからない」


船長は、偏食家だ。セロリや香辛料の類はあまり好きではないし、子供が嫌うような野菜のほとんどが不得意だった。勿論、嫌いだとは言うが食べないわけではない。嫌いだマズイと言いながらも残すことはしない。内臓も駄目そうに見えたのだが、どうやら違ったらしい。


「まあ船長外科医だしね。内臓好きそう」
「外科医であることは関係ないだろ」
「そうですか?船長がカニバリズムっぽい趣味があってもわたしは驚きませんよ」


なんか、解体した人間の肉とか普通に好きそう。
そう言いながら、またソファの上にごろりと横になった。おい寝んな、という言葉は黙殺する。
船長の部屋は、一般の部屋、勿論の部屋と比べても広めで居心地が良い。だからは、寝るとき以外は自分の部屋ではなく船長の部屋に入り浸っていた。始めのうちは船長も出てけ出てけと煩かったけれども、もう諦めたのか何も言わなくなった。
今回も、ソファから動こうとしないに呆れたのか諦めたのか、船長はそれ以上何も言わずに自分もソファへと座った。


「カニバリズム、ねぇ…」
「そうそう。船長密かにそういう変態臭い危ない趣味がありそう」
「言ってくれるじゃねえか」


薄荷飴が小さくなってきている。もう一個貰っておこうかな、と乱雑に本が積まれたテーブルの上に無造作に乗っている、薄荷飴の入ったブリキの缶を見つめた。


「正直、食ったことはねえが興味はある」


何に、とは聞かなかった。ああやっぱり危ない人だなあと思いながら、足の方に座っている船長を見る。だが「食ったことある」なんてカミングアウトされなかっただけまだマシだろう。


「初めに食うなら、女の肉がいい」
「うえっ。こっち来ないでください」
「女は男と違って皮下脂肪もムダな肉も多いしな」
「それは暗にわたしにムダな肉が多いって言ってるんですか。お腹つねるのやめて」
「ムダだろ、これ」
「船長まじ失礼」


しつれい、だなんて微塵も思っていない口から笑い声が漏れる。くすぐったいからだ。
上着の下に潜りお腹の肉(ムダな肉じゃなくて女性らしい体格を保つための肉だ)をつまんでいた船長の冷たい手が、上へ這い上がってくる。あまりの冷たさに、鳥肌が立った。


「セクハラで訴えますよ」
「誰にだ」
「偉い人」
「おれだろ」


この船で一番エラいのは、と船長がにやりと笑う。エラいんじゃなくてエロいの間違いなんじゃないですか、という軽口を叩くと、さらに面白そうに喉を鳴らしていた。


「肉もいいが、一番興味があるのは、こっちだ」
「まだ話続いてたんだ…」


冷たくて大きな手が、の胸骨に到達した。それから鎖骨をなぞり、肋骨の間を確かめるように動く。肋間を数えながら、いち、に、さん、…とゆっくりと降りてくる、指。
心臓があるであろうあたりに手が置かれた。必然的に、の胸が包まれる。


「ちょっと船長これ以上胸大きくなったら下着が無くなるんでやめてください」
「勘違いも此処まで来ると重症だな。直々に測ってやろうか?」
「セークーハーラー」
「セクハラしようにも胸が無ェんじゃできねえよ」
「その発言が既にセクハラ」


フフ、と変態めいた笑みが、船長の口元に浮かぶ。


「心配するな。おれの興味はこの骨の下にある」


そう言うと、もう片方の手が、思い切り上着の裾を捲り上げた。
船長の多少のセクハラには動じないだが、これには流石に焦る。上着を引き下ろそうと船長の手を掴んだが、ビクともしなかった。


「お前、もっと食えよ。肉つけろ」
「さっきムダな肉って言ってたじゃないですか!離して下さい」
「訂正だ。人生には時として無駄なことも必要」
「まじ勘弁」


ぺろ、と船長の赤い舌が彼の薄い唇をなぞっている。
捲られて外気に曝された身体が、寒さにかそれ以外の何かにかぞわりと粟立った。


「一番うまそうなのが、この下にある。知ってるか?」
「心臓とかって言い出すんでしょ、変態船長」
「よく分かったな」
「他の人の心臓あたってください。わたしのはあげませんよ」
「飴くれてやっただろ」


薄荷飴ひとつで心臓を渡せというのだろうか。とんだ悪徳商法だ。
船長の頭が沈む。沈んださきは、の胸だ。
熱い息が肌にかかって、ひ、と思わず声が出た。
ぬるりと熱いものも触れる。おそらく舌だろう。
心臓がばくばくとリズムを上げる。硬い歯が、肌に当てられた。


「あー…食いてェ…」
「船長、ほんと危ない人だよ」
「おれが人肉食っても驚かねェんだろ?」
「あれは冗談…う、わ、ちょっと、痛…っ」


ぐ、と当てられた歯が、肉を噛む。痛みに呻く姿を見てにやりと笑う船長は間違いなくサディストだ。
胸の肉を噛んだあと、あろうことか船長は、その先端にまで噛み付いた。いや、噛んだというより吸ったと言ったほうがいいかもしれない。
行き過ぎた行為に、は背中に冷や汗が流れたのが分かった。
やりすぎのセクハラ行為なんていつものことだけれども、こんなあからさまな行為は初めてだった。


「せ、せんちょ」
「すげえ、お前の心臓、速ェな…」
「船長、変なこと言ってごめん。もう、やめよう」
「…そうか?」


残念だ、なんて全然心の篭もっていないことを言って、船長はあっさりとわたしの上から退いた。すぐに上着を下げて、身体を隠す。
心臓はまだ早鐘のように鳴っている。
つう、と背中を流れる汗の原因は何かわからない。恐怖なのかもしれないし、焦りなのかもしれないし、もっと他の何かである可能性もあった。
そのまま立ち上がり部屋を出ようとする船長におそるおそる声をかけると、振り向かないままに「飲み直してくる。妙な気分になっちまったからな」と返事があった。

ぎい、と木の扉が開いて、冷たい風が部屋に流れこむ。



「…最初に喰うのは、にする」



扉が閉まる直前に聞こえてきた声は、もしかしたら幻聴なのかもしれない。
呆気なく扉は閉まり、冷たい空気は遮断された。
そこで、は自分の手足が恐ろしく冷えていたことに気が付く。
口の中の飴はいつの間にか消え、すうすうと突き抜けるような薄荷の代わりに、夕食の内臓の味がまだ舌にこびりついていた。









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