人間、向上心を失ったらおしまいだ。この言葉を言っていたのは誰だったか。
父だっただろうか。それとも店のコックだっただろうか。
大志を抱いて海賊船に乗り込んで暫く経つが、はふとそんなことを思い出した。

向上心。
海賊船に乗ってからは、朝、昼、晩の食事作りに追われて、そんなものなんてすっかり忘れていた。
船員たちは皆、の出す食事をうまいと言って食べる。最初はもそれに満足していたのだが、ふと、このままでいいのだろうかと考えた。
うまいと言いながらも、船員達はまるで水でも飲むかのように食事を食べるのだから、味なんて分かっているのか分かっていないのか定かではない。
そりゃあ船員のなかでは一番うまいご飯を作れるかもしれないが、一歩船を降りればなんかよりももっともっと上手い料理人がごろごろしているのだ。
このまま、「うまい」という信憑性の低い評価に甘んじていていいのだろうか。
もしも他の店で、よりももっとおいしいご飯が作れて、しかも戦闘にも参加できて、船長に忠誠を誓うようなコックが出てきたりしたらはあっさり捨てられるだろう。


(それはぜったいやだ…)




Dreamer




「おい、なんだ?もう飯か?」
食堂から漂ってくる香りに誘われたのか、船員たちがひょっこりと姿を現したのはちょうどおやつどきだった。
よかった、呼ぶ手間が省けたと思いながらおいでおいでと手で招く。


「ちょうど良かった。味見してって!」
「味見?」
「そうそう。試作品的なものだから」
「食料もったいなくねぇか」
「いやそれは…うん…でもちょっとだけだし!」


ドレッドが訝しげな顔で席につく。出された料理をしげしげと眺めて「おれまだ腹減ってねぇ」と言うもんだから「そういう話じゃなくてね…」とこうして急に料理の練習をし始めた経緯を語って聞かせた。
しかし、ドレッドはよく意味が分からないという顔をしながら腕を組む。


「別にいいんじゃねえのか。うまいって言われてるんだしよ」
「だーめーなーのっ」
「そんなもんか」
「そう!はい食べて」


別に食わせてもらえるんなら食うけどよ。
そう言いながらドレッドと、それから彼と一緒に入ってきた数人が、の試作品第一号を口に運ぶ。
どんな評価が下るかとどきどきしながら身構えていたのだが、彼等から出てきた言葉は


「うめえ」


の一言だった。
がく、と肩から力が抜けてしまう。これではいつもと同じだ。全く進歩がない。全然意味がない。


「もっとこう、どこをどうしたほうがいいとか…ここがまずいとか」
「別にこれでいいんじゃねえか。なあ」


ドレッドが他の船員に同意を求める。彼等も、別にこれでいい、と首を縦に振った。
それを見て、がくりと肩を落とす。
食べるものならなんでも同じだと思っているのかもしれない、海賊というものは。
それともやはり、コックでもなんでもない海賊に料理についての意見を求めたのがいけなかったのか。
ふと考えて、もっとに対して辛辣で厳しい意見をくれるような人に食べてもらったらどうだろうかと考えた。に遠慮せず、まずいものをまずいと一蹴してくれるような人に。


「船長…」
「は?頭がどうかしたのか」
「船長に食べてもらえばいいのかも!」
「はあ?待て、それは」
「ちょっと行って来る!」


思い立ったが吉日。味見程度なのだから、と小さな器に試作品を乗せて、は船員達が止める間もなく食堂を飛び出した。
「この命知らずが!」と後ろから声が聞こえたような気がしたが、耳には入らない。

食堂から少し離れたところにある個室が、船長の部屋だ。
甲板に姿が見えなかったところを見ると、おそらくここに居るのだろう。

こんこん

はやる気持ちを抑えて、ひかえめにノックする。
返事はない。音もしない。
もう一度ノックをすると、今度はすごくすごく不機嫌そうな声で「なんだ」と返事があった。どこか、寝起きの気だるさを感じさせる声だ。
もしかしてお昼寝していたのかもしれない。
というか、いきなり船長室に乗り込む前にキラーさんあたりに一度聞いてみればよかったのかもしれない。はここへきて、ようやくそれに気が付いた。
しかし今更気付いたって、後の祭りというものだ。
どっと後悔が襲ってくる。


「あ、あのう…」
「用があるなら入れ」
「入ってもいいんですか?」
「…二度も言わせるな」


低い声が、もう一度言わせたらぶっ殺すと示していた。こわい。本当に怖い。
どうして最初にキラーさんに相談しなかったんだろう。は本気で後悔した。
失礼しまーすと小声で呟いて、船長室のドアを開ける。
そういえば、船長室に入るのは初めてのことだった。
そろりと首だけ中に入れ覗き込むようにすると「とっとと入れ」と怒鳴られた。
どうしよう、わたし死ぬかもしれない。


「何の用だ」
「ええとあのその」
「テメェ…おれを起こしておいて用は無かったなんて言うんじゃねぇぞ…」
「ありますあります!用あります!これ!」


ずい、と目の前に出した小さな器を見て「あァ?」と船長の眉間に皺が寄った。もうこれだけで怖い。この場から逃げ出したい衝動に駆られながら、は「りょ、料理の味見してほしいんです!」と言った。
器を見ながら、船長はとても微妙な顔をしていた。
そのまま黙っているものだから、はさらに焦る。もしかして、食事時でもないのに勝手に食料を無駄遣いしたことを怒られるかもしれない。そう思って、先手必勝で謝る。


「あのすいません、勝手に食べ物無駄遣い…」
「食料と調理場はテメェの領分だ。好きにしろ」
「あ、え、はい」


それだけ言って、船長は器を受け取った。
こんなことでおれを起こしたのかー!と怒鳴られるかと思ったけれども、案外普通に食べてくれてほっとする。
けれど、ここからが問題だ。
船長は果たして、の料理をどう評価してくれるのか。


「…」
「…どうですかね」
「あぁ」
「ああって…なんかご指摘お願いします」
「ンなもんねぇよ」
「ええーー」


感想すらもらえなかった。けれど、一口で止めないところを見ると、少なくともまずいわけではないらしい。
は当初の目的を思い出して、勇気を振り絞ってもう一度聞いてみた。


「甘いとかしょっぱいとか何でもいいので、なんか…」
「だからねェっつってんだろ。コックでもねぇおれに聞くな」
「で、ですよねー」


蛇に睨まれた蛙はきっとこんな気持ちなんだろう。
しつけぇな、と睨みつける目が雄弁に語っている。
も流石にこれ以上は聞けないと思い、若干肩を落としつつ空になった器を受け取って、部屋から出ようとした。


「どういう風の吹き回しだ?」
「へ?」


さっさとこの部屋から逃げ出すはずだったのに引きとめられ器を指さされて、は酷く焦った。もうなんでもいいからさっさと食堂に戻りたい、船長怖い。


「ええと…」
「何黙ってやがる。早く言え」
「ヒッ!あの、もっと料理うまくならないとどこかでもっと料理上手でさらに戦えるコックが現れたときに船を追い出されると思って!」
「あぁ?」


船長は片眉を上げて、また微妙な顔をした。怒っているわけではないようだが、強いて言えば、驚いているような呆れているような顔だ。
びくびくしながら器を持ってその場に立ち尽くしていると、船長がテーブル上にどっかりと足を上げた。
その音にすらビクリとしてしまう。


「くだらねェな」
「えっ今わたしの悩みを下らないって言いました?」
「あぁ、くだらねぇ」
「ひどい…結構真剣に悩んでるのに…最近で一番の悩みなのに…」
「幸せな野郎だぜ」


赤くて薄い唇が弧を描く。いつもどおり、凶悪としか言いようのない顔だ。


「おれがテメェを船に乗せたのは何故だと思う」
「え?……あの若手コックが腰抜けだったから…」
「それもあるが、そうじゃねぇ」
「……」
「…テメェの頭は鶏以下か」
「な!」
「後は自分で考えな」


それだけ言って、船長はしっしっとまるで猫を追い払うような動作で出て行けと示した。
理由はとても気になったが、出て行け、と言われてその場に残れるような勇気は持ち合わせていないので、大人しくそれに従う。

部屋を出ると、すぐそこにキラーさんが居た。「キッドは中にいるのか」と聞かれて、ひとつ頷く。どうせ来るならもっと早く来てくれれば、船長の怖さが和らいだかもしれないのに、と思いながら。
小さく頭を下げながら通り過ぎるときに、キラーさんが、ふ、と息を吐いた。


「心配しなくとも、お前があいつを裏切らない限りコックの交代は無い」
「裏切る?海軍に売るとかですか?」
「それは論外だが、違うな」
「なんなんですかキラーさんも船長も…わたし馬鹿だからよくわかんない」


それきり何も言わず、キラーさんは船長室にノックもせずに入っていった。
そんなことが出来るのも、船長をキッドと呼び捨てに出来るのもキラーさんだけだ。
それを、ほんの少しだけ羨ましく思う。

食堂に戻ると、帰りを待ってくれていたらしいドレッドが軽く手を挙げて、「よう、死なずに戻ってきたな」と笑っていた。







夢追人








「あいつはお前に似てるな」


船長室にある上等の酒の栓を断りも無く抜きながらそう言うと、キッドはあからさまに不快感を示した。
ぴき、と片眉が上がり、不機嫌そうに鼻を鳴らす。


「誰と誰が似てるだと?」
「お前とだ」
「ふざけんじゃねぇぞ、キラー」


低く唸る目の前の船長に、仮面の中だけで口が笑う。
幾千の猛者達が集う海で伝説を狙う者と、無限ともいえる海で幻を追う者と。
道化と笑われようが、ゼロに近い可能性も己ならば掴み取れると信じている二人を、似ていると言わずして何と言おうか。


「…おれも人のことは言えないがな」
「何を言ってる」
「そう怒るな、海賊王」
「…ふん」


差し出されたクリスタルカットの中の琥珀色を飲み干して、誰よりも幼稚で壮大な夢を信じる相棒がにやりと笑った。








(090925)