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「別れましょ」 女の一言に呼応するようにグラスの中の氷パキリと音を立てた。 俺はグラスに伸ばしかけていた腕を止め、妖艷に笑っていた女を見る。 女は店の外に視線を送り、俺の方を見てはいなかった。深いスリットから覗く滑らかな足を、間を置くように組み変えるのは女の癖だった。 「私、待てないわ。堪え性のない女だもの。私はあなたの帰りを待っていられないわ、キッド」 月を見ていたらしい女。 ふ、と吐かれた息は溜め息に似ていたが、女が苛立っていた気配はない。 俺はグラスの酒を煽り、女の顎を捕らえて強引にキスをした。 「ん、キッ、ド」 酒が染みた舌を絡めれば、女の頬はすぐに上気して熱を持つ。ふくよかで肉感的な体は幾度もの情事を思い出してか小さく震えた。 だが、絡めた唾液が糸をひき、離れた女の唇が紡ぐ言葉は同じだった。 「別れましょう、キッド。私、あなたとじゃ幸せになれないもの」 あなたは新世界へ行くのだもの。 賞金三億の悪党。海軍にも狙われる。いつ帰るかわからないあなたを待って、私は年を取ればいいの?あなたがひとつなぎの財宝を手にいれられかもわからないもの。 そう苦笑を漏らす女。 それに俺は低く呻く喉を鳴らして笑ってやる。 「俺は海賊王になる男だ。ひとつなぎの財宝は俺のもんだ。お前は黙って俺を信じてろ」 「・・・えぇ、信じてるわ、キッド。でも私達終わりなの。私はあなたを待てるほど、身持ちの堅い女じゃない。あなたと私の望むものは一緒じゃない。だから私達、別れるの」 女は断定的にそう言って瞬きをする。長い睫毛が音を立てた。瞳は濡れてさえいなかった。 「キッド。あなたはきっと本当に海賊王になる。でも私はそれまで待っていられないの。私は寂しい女だから」 女は小さく息を吐く。 苦笑に包まれた微笑みは、あまり見慣れなかった。 いつも快活に笑い、自信に満ちていた女の珍しいほどに力ない笑み。 「さようなら、キッド」 女は席をたち、苦労知らずのような細く柔らかい指で俺の頬をなぞる。 く、と持ち上げられた顎。口紅が彩るルビーの唇。 女は触れるだけのキスを落とし、赤いヒールを鳴らしながら店を出ていった。 俺は、追わなかった。 グラスの酒を飲み切り、カウンターに代金を置いた後、俺は真っ直ぐ船へと足を向けた。 俺達の関係は恋人と呼ぶには甘すぎた。しかしセフレと呼ぶには淡白すぎる。 それなりに好意はあったがお互い立場を理解してあまり深く干渉や束縛はしなかった。それでも上手くいっていた。 だが女は俺から離れていった。 俺は女を追わなかった。 俺には夢があったしクルーもいる。すべてを捨ててあの女とは生きることは出来ない。 それでも感じないはずがない侘しさ。 あぁ、確かに俺はあの女に惚れてたのか。 納得したところでどうしようもない。 俺は喉につっかえたその言葉を、酒と一緒に飲み下した。 「あれ?頭なにしてんすか」 「あ?」 ひょこ、とドアから頭だけだしてこちらに声をかけたのはクルーの一人の航海士だ。 「みんなで陸にいったんじゃないんすか?なんで船長室で一人でお酒飲んでんの?」 ずかずかと部屋まで入ってきてベッドに腰かけていた俺の前にわざわざ座ったは、不思議そうに俺を見上げる。 その姿は酷く犬に似ていたから、俺はしっし、とそれこそ犬を相手にするように手を降った。 「煩ぇよ。向こう行ってろ」 「・・・キッドの頭なんかあったの?あたし聞くよ?」 ねぇ、とは俺の膝辺りを撫でる。 逆剥け切り傷割れた爪。 決して女らしい手だとは言えないそれだが、俺のクルーなら上等だ。航海士以外にもコックの手伝いや雑務に勤しむの手はいつも生傷が絶えない。 あの女とは大違いだが、懸命に働く小さな手は比べられるものじゃない。 「頭?」 まじまじと手を見ていた俺にはもう一度声をかける。 俺は持っていた酒瓶を揺らし、次持ってこい。と命令する。 ははい!と勢いよく敬礼すると貯蔵庫へ向かって駆けていく。数分たたずに帰ってきたは、右手に酒瓶、左手にオレンジジュースを持って満面の笑みでまた俺の前に座った。 「キッドの頭が元気ないからとびきり度の強いやつとってきたよ!」 「気が利くじゃねぇか」 えへへ、と照れたように笑うは子供っぽい。 胸もくびれも尻もない、少年めいた体の癖に、こいつも生物学上は女だったりする。 歳は17とあの女とは大きく差があるわけではないくせに、笑みの種類や発育具合には雲泥の差があった。可哀想なもんだ。 「ねー頭、陸でなんかあったの?」 「あー」 「喧嘩負けた?んな訳ないか」 「あぁ」 気の抜けた相槌ばかり打てば、は変な具合に眉を寄せて、小さな顎を俺の太股に乗せて睨んでくる。 「キッドの頭、言わなきゃわかんないよ。なんで言ってくんないの?あたしじゃ力になれないから?キラーじゃないと駄目?」 「んなんじゃねぇ・・・。ただ俺のもんがひとつ俺のもんじゃなくなっただけだ」 言った瞬間、がぱち、と目を瞬く。お、睫毛長い。 こいつを船に乗せてから随分経つが、気付いたのは初めてかもしれない。 「奪われたの?」 「フラれた」 「・・・まじっすか!すごいっ!賞金三億の大型ルーキーキャプテン・キッドを振るなんてっ・・・!相手はただ者じゃないっすね!!」 「あー」 「頭、マジへこみっすか」 気遣わしげに見詰める。 その頭を動物にするみたいに乱暴に撫でた。 潮風で傷んだ髪は艶もないし枝毛だらけ。手触りも良いとは言えないパサついた髪だが、ほんのり洗髪料の香りが鼻につく。 「頭、さみしい?」 「かもな」 「じゃああたしの胸貸したげるから泣いてもいいよ!」 「胸なんてあんか?」 「あるよう!」 ほら!と両腕を広げた。 まっ平らな胸。いや、胸板。 触ればあるのかよ、と悪態をつきながらを抱き締めてみたが、薄い体は骨と少しの肉しかない。 額が当たった場所なんて脂肪の欠片も見つからなくて、骨ばかりがぶつかった。 「おい胸はどこだ」 「ここっすよ頭ぁ」 ぐいぐいと小さな胸の中で柔らかい場所を探すが見つかるはずもない。 申し訳無い程度しかない小さな胸の間に顔を当てる。 柔らかい花みたいな匂いがした。 だって一応女なので自分の洗濯だけは別にしているらしい。 俺達やクルー達の安物の洗剤とは違うし、あの女の香水とも違う。 胸一杯に吸い込んだの匂い。 なんだか酷く落ち着いた。 「キッドの頭、泣いてもいいんすよー」 「誰が泣くかボケ」 苛立ち紛れに腕に力を込めれば、の頼りない背骨は簡単に音を立てる。 「いだだだだ、痛いっす頭ぁ!」 「うるせぇ静かにしろ」 「はぁい」 腕の中に簡単に収まるは本当に小さい。 陸で母親に腕を引かれる小さな子供みたいに、無邪気で自由。 だから俺はこいつを船に乗せた。 縛られない、縛らない。 波や風みたいな女。海こそが相応しい俺のクルー。 「、」 「あい、なんすか?」 「俺は絶対お前を船から下ろさねぇからな」 「頭?」 上がり調子の語尾の後、小さな肩が揺れた。 どうやら笑っているらしい。 悪戯を仕掛けたガキみたいなこらえた笑みを繰り返したは、細い腕を俺の首に回し、小枝みたいな十本の指を俺の髪に絡める。 さらに密着したのだが、やっぱ胸はどこにも見当たらなかった。 「降りろって言われても絶対に降りないっすよ。あたしが船を降りるのは、キッドの頭にぶっ殺されて捨てられた時です」 へへ、と相変わらず照れたように笑う姿はガキの笑顔そのものなのに、なぜかあの女の笑みよりも胸を揺さぶった。 「へぇ、なかなかの意気込みじゃねぇか」 「あったり前っすよ。あたしはキッドの頭に惚れ込んで船に乗せてもらったんだもん。あたしはもうずっと前から頭のもの。だから、あたしの命を決めるのはキッドの頭って決めてるんす」 嬉しそうに蕩ける目尻が甘さを持つ。 胸もくびれも尻もない、少年めいた子供の癖に、時折見せる表情はどんな娼婦よりも艶やかだった。 「あたしは心底、キッドの頭に惚れてるんすよ」 そう呟く唇には、口紅もグロスもついていない。 それでも、どんな女よりも甘く香って俺を誘う。 俺は人の頭に擦り寄るを抱き上げベッドに転がしてやれば、不思議そうに丸くなる瞳と視線がぶつかった。 「頭?」 「もう、黙れ」 細い顎に掴みかかり噛み付くようにキスをする。 体格差から見れば、完全に捕食者と餌食のそれ。獣の食事を匂わせるような、強引な口付けにも、は従順に唇を開いて俺を受け入れる。 案外柔らかい唇を堪能し、狭い口内に舌を這わせば、さっぱりとしたオレンジの味がした。 --- きかさんんんんん! |