「良かったのか」
「何がだ」
「いや…」


表情の全てを鉄仮面で隠した相棒が、陸を見遣った。
何が、とは白々しい。
あいつが何を聞きたかったのかよく分かっている。だがおれもあいつも、何も言わなかった。

海賊の門出なんて不吉なものを祝う人間なんざ居ねえ。
予想通り、出航はおれたちの数少ない理解者だけが見送る簡素なものになった。
それでも胸の内には有り余る程の高揚感が沸いてくる。
文字通り、夢にまでみた出航だ。
船は小さく、海原を行くには頼りない。いずれはもっと大きな船が必要になるだろうが、今はまだそれでいい。
碇と陸の呪縛から解かれた船が、ぎい、と音を立てながら海に放たれる。
次にこの島を見るのは一体何年先のことになるのか。

目を細めて、生まれ育った町並みを見る。


「…お前も感傷に浸ることがあるのか」
「おれを何だと思ってやがる」
「海賊王だろう」


ふ、と鉄仮面の奥が笑う。
目には見えなくても、その表情は手に取るように分かった。

水色の鉄仮面が、街を見る。あいつもまた、感傷に浸っているんだろう。
キラーには残してきたものがあるからだ。


「…は」
「あ?」
「あいつは、キッドがついて来いと言えば確実に船に乗っていたな」
「そうだな」
「なぜ言わなかった」
「連れていってどうする。果物ナイフも満足に扱えねえのによ」
「…違いない」


くく、とキラーの喉が笑う。
それから、呟くように漏れたのは「恩に着る」という感謝の言葉だった。
その言葉にどういう意味が含まれているのかは、考えなくても分かる。
妹を陸へ残してくれたことへの感謝というわけだ。
キラーはこれでいてあいつに甘い。海は過酷だ。無事に行けるという保障もない海にを連れて行くことに心の内では反対でも、あいつが本当に「行きたい」と言えば否とは言えなくなるのだろう。

船は加速度をつけて陸から離れていく。
海へ向かって。
夢は既に走り出した。
この船を止めることは誰にも出来ない。止めさせはしない。

嵐も、海兵も、敵も、全てのしがらみも、そして「行かないで」と泣くであっても。


街から目を離し、これから向かう海原へと身体を向けようとした、その時だった。



「お兄ちゃん!!…馬鹿キッド!!!」



もう聞くことはないだろうと思っていた声に、思わず振り向く。
既に離れてしまった港に、の姿があった。
急いで走ってきたのだろうか、息が切れて肩が激しく上下している。上気した頬に乱れた髪が、がどれだけ急いでやってきたのかを物語っていた。


「…これ…っ!」


が、何かを掲げる。
それは小ぶりの短刀だった。
一体どこで手に入れたのか、には似合わない無骨なそれを高らかに掲げながら、なんとか息を整えようとしている。


「…なんで」


呟いた声は、おそらくの耳には届いていないだろう。

は掲げていたその短剣を胸に抱いて、それからその鞘に口付けた。
それが奇妙な神聖さを孕んでいるように思えて、おれは一連のその様子から目が離せなかった。
まるで巫女の戦勝祈願の口付けのようだ。

祈りのように。儀式のように。

鞘に口付けたは、き、と目を見開いて、その短剣を思い切りこちらへと放り投げてきた。



「…!!」



放り投げたとはいっても、ごときの貧弱な力では既に陸から離れてしまった船にそれが届くわけがねえ。
放物線を描いて海へと落下しようとしているその短剣を、悪魔の実の力で引き寄せた。
短剣は見た目よりもずしりと重い。
古ぼけたように見えて、それなりに仕立てのいい剣だった。



「…はやく、帰ってきてよね!!」



港から、ほとんど泣きそうになっているの声が届いた。
潮風に靡くスカートを握り締めて、目に溢れる涙を零すまいと懸命に耐えるが、こちらを見ている。


「海賊王にでもなんでもなって、早く戻ってきてよ!!」
…」


嗚咽を耐えたの気丈な声。
物心ついたころから、ずっと聞いてきた声だ。
気が付けばいつも隣にあって、しかしこれからは隣にあってはいけない声。



「わたし、わたし、ちゃんと待ってるから!」
「…」
「でもあんまり遅くなったら、どっかのかっこいい人とさっさと恋人になってキッドのこともお兄ちゃんのことも忘れちゃうんだからね!!」



引き結ばれた唇が震えて、の目からとうとう涙が溢れ出した。
ガキの頃、あの涙を拭うのはずっとキラーの役目だった。
それが少しずつおれに回ってきて、いつからかキラーではなくおれの役目になった。

船が出てしまった今は、もう手は届かない。


…いや、今はまだ、手が届かない。



「…いってらっしゃい!!」



涙と鼻水で顔をくしゃくしゃにしたの顔は酷いもんだった。
黙ってればかわいいお嬢様だってぇのに。
ふ、と笑いが込み上げる。口元が知らずに弧を描いた。
あんなぐちゃぐちゃになった顔の女が、まるで海洋の女神に見えるってんだからおしまいだ。

が投げて寄越した短剣の鞘に、あいつがしたのと同じように口付ける。
まるで何かの誓いみてぇだ、と可笑しくなった。

目を開くと、その様子を見ていたが、顔を真っ赤にさせて泣き笑いのような表情をしてやがった。
何も答えず、ただ挑戦的な笑みだけを返して、今度こそ大海原に目を戻す。


風が急かすように船を推し進める。
靴音を響かせながら隣にやってきたキラーが、小さな声で
「……がどこぞの馬の骨とも知れん男と付き合うはめになったら、おれはお前を恨むぞ」
と言った。



「そうはならねェ。安心しな」
「…期待している」



海が太陽を受けて光を弾く。
あっという間に速度を上げた船は、故郷の島から離れていった。


「さァ…行くか」


祈願が込められた短剣にもう一度だけ口付けを落とし、身体に斜めにかけたホルスターにきちりと固定する。
目指す先には偉大な海と、まだ見ぬ冒険、ワンピースに海賊王の座と、そして、もう一つ。











capricornus様より頂いた夢小説の続きを打ってみました。アナザーストーリー的に楽しんでいただければ幸いです。
(091119)