01 さみしさの影

月が無い夜は嫌いだ。静寂ばかりでいのちの感じられない夜。
そんな夜には、彼の横顔がすう、と翳る。
いつだって、彼の横顔はとても白いのに、こういう夜はもっと白くなる。
そんな彼を見たくなくて、わたしは早々に眠ることにした。

「バージル、おやすみ」

返事はない。彼はその青灰色の目をちらりとこちらへ向けて、それだけだった。
何か言ってくれればいいのに。
その声で、その唇で、胸に巣食う真っ黒な感情を剥き出しにしてわたしにすがり付けば良い。
そう思って黙る彼の横顔に、そっと口付けた。

ひんやり。

冷気すら発しそうな彼の手がわたしの頬を撫でた。「」と彼の唇が動く。でも、それだけ。
ああ、このひとの悲しみも苛立ちも優しさもさみしさも。
夜の静寂が全部全部飲み込んでしまえばいい。


























02 それ以上は言わないで


、どうしてここに留まる」

それはある晴れた日の出来事。いつもどおり、青いコートを揺らして彼が尋ねた。
どうしてここに留まる。答えは簡単だ。

「あなたが追い出さないからよ」

そう言うと、バージルはちょっと困ったように眉を下げた。いつも鋭い彼にしては、随分と優しい表情だ。
「そうか」と安心したような、そうでもないような、微妙な声色が耳をうった。
そうして、それきり彼は黙ってしまった。
本当は、嘘。追い出さないからじゃない。わたしがここを出て行きたくないだけなの。
たとえ最初は好奇心か気紛れか、そんな気持ちであなたはわたしを此処に置いてくれたんでしょう。
でも今は知っている。
すこしだけ、別れを考えると寂しい気持ちが出てくるでしょう。

「でもね、バージル。あなたがひとこと、出て行けと言えば、わたしは」
「それ以上は言うな…

バージルはわたしの唇に指を置いて、続く言葉を遮った。
だからわたしも、それに大人しく従った。
例え話であっても、別れを切り出すことを躊躇うあなたの中に、何かが芽生えていることを切に願っているよ。
























03 不意打ちですよ

」と名前を呼ばれたから振り向くと、かするように温かく湿った何かが唇をかすめた。
それがバージルの舌だと気付いたころには、もう彼は背を向けてしまっていた。
手に持つアイスクリームが溶けて、コーンを伝わって指を濡らす。
甘い甘いバニラのにおいが鼻につく。
でもいま欲しいのはそんなにおいじゃない。

「…不意打ち」

くく、とバージルが喉で笑う声が聞こえた。走って彼の横に並ぶと、ふわ、と香るにおいは同じバニラ。

「甘いな」
「…な、」
「アイスが、だ」

お前の唇じゃない。そういってまたバージルが口角を上げた。ちょっと悔しくなって、
「唇にバニラがついてなくても、甘いって言ってくれるようになるには、あとどれくらい一緒に並んで歩けばいいのかな」
と言うと、バージルが珍しくびっくりした顔をしていた。

「さあな。お前の努力次第じゃないのか」

そう言って、ぷい、と横を向いてしまったバージルの顔が想像できてしまって、ちょっと笑えた。


























04 ながい睫毛と拗ねた頬

「今日は無理だって、前々から言ってたでしょ」と諭したって、彼は聞く耳を持たない。
まるで駄々をこねる子供みたいだ。こんなに大きな子供なんていらないけど。

はいつもそればっかだな。たまには俺の為だけに時間作ってくれても良いんじゃないか?」

デビルハンターなどというよく分からない職業についている、休みも仕事も不定期なダンテと、休日を合わせることは難しい。
それに、いくらなんでも全ての休日をダンテに当てることなんてできない。
はもう立派な大人で、他にもすることが山積みなのだから。

「はいはい、また今度ね」
「もう先の見えねえ口約束なんて沢山だって」

これから出掛けようとして鏡を確認しているの身体を無理矢理反転させて、赤いコートが詰め寄ってくる。
このままでは、この大きな子供はきっと強硬手段に及んでしまうだろう。それは勘弁して欲しい。

「帰ってきたら、ね」

夜のわたしの時間は全部ダンテにあげるから、好きにしなさい。
耳元でそう囁いてやると、拗ねた子供の機嫌はたちどころに直った。

「じゃ、前借り」

そう言って近付いてくる銀色の睫にキスして、「楽しみは後」とお預けを食らわすのも、最近の楽しみのひとつ。
























05 あまいひとときの、はじまりはじまり

バージルのキスはいつだって唐突に始まって、唐突に終わる。
勝手に貪って、満足すればポイッとそこらへんに捨てていくのだ。
けれど、火をつけられたこちらにすれば、堪ったものではない。

「責任とりなさいよ!」

バージルは、分かっているくせに、一体何の責任をとればいいのかさっぱりだ、みたいな涼しい顔を作ってこちらを見返してくる。
なんてなんて憎らしい。

「責任?」
「そうよ、責任!」

つかつかと詰め寄って、その胸倉を掴む。勝手にキスしてひとをその気にさせといて、いつもいつもこの男は。
いい加減振り回すのはやめてくれ、と言おうと思っていたが、また唇を塞がれた。
忍び込んでくる舌が熱い。普段はびっくりするくらい体温が低いから、表面の温度と中身の温度の差にいつもどきどきしてしまう。
吸って、優しく噛んで、角度を変えて、最後に音をたてて離れる唇。

「なら、とってやる」
「…へ」

くらくらでふにゃふにゃになった頭には、その言葉がすぐには入ってこない。バージルの目がぎらっと光った気がした。

「その代わり、お前こそ責任をとれ。…お前自身の身体でな」















06 トクベツの証
07 オトナの味を教えてあげる
08 うわめづかい























09 いちばんドラマチック

たしかにその時、わたしは見た。
おそらくは誰も信じてはくれないだろう。まさか、悪魔などという異形のものがこの世に存在するなどと。
精神を病んでしまったか、それとも幻覚でも見たか。
だって、そんな話を聞いても信じたりはしないだろう。精神病院に行って診て貰うことを薦める。

だが、今日この満月の美しい夜、は自分の認識を改めざるを得なくなった。
目の前で翻る青。金糸を縫いこんだ裏地が、月のひかりを受けてきらりと瞬く。
異形を斬り捨てる刃はどこまでも鋭利で、涼やかだった。

血というものはもっとどす黒いものだと思っていた。だが、ばらばらに崩れ落ちる異形から溢れ噴出す血は鮮やかな赤。
その赤を頭から被って、青いコートが黒く汚れている。
銀色の髪も赤く汚れ、しかしその男の美しさは微塵も揺るがなかった。
おぞましくも美しく、禍々しくそして神聖だった。


「あなたは…天使?」


ぽつりと口から出た言葉に、男は振り向く。
月と血とを背景に、薄い口元がゆるく弧を描いた。

あの男が人間なのか天使なのか、それともそういったものとは対極にある存在なのかわからない。
あれから、もう二度と会うことなんてなかった。
だがあの闇に飲まれた血の似合う男の姿は、今だこの眼に焼きついて離れることはない。























10 さよならのかわり

いつも思う。この髪は一体何で出来ているのだろうかと。きっと自分とは違うもので出来ているに違いない。
この、黒い夜の色をした絹糸は。
いつものように、指ですくってさらりと落とそうとしたが、今日はできなかった。
髪の光沢は失われ、べとつく何かで汚れている。
赤黒いそれは、決して美しいものではない筈なのに、その鉄錆びたようなにおいも、彼女の身体から発せられるものだと思えばこれ以上無いほどに甘い香りに思えてくる。



自分の声がやけに大きく響く。返ってくるはずの声は聞こえない。

(バージル)

自分の名を呼ぶ愛しい存在は、今もこの腕の中にある。ゆるやかに弧を描く身体はあまりに冷たいけれど。
桜色をしていた唇に、自分の唇を落とした。

(バージル、好きよ)
「…ああ、知っている」

知っている。彼女がどれだけ自分を愛していてくれたのか。その存在全てをかけて愛してくれていた。それなのに。
触れた肌は熱くとろけるように心地よかった。その温もりを奪ったのは誰なのか。
少し高い声が自分の名を紡ぐだけで、まるで胸を引き裂かれるような思いだった。その声を奪ったのは誰なのか。

答えは、横に転がる赤黒い刀だけが知っていた。






















11 惚れたんだ
12 世界をとめるくらいの威力























13 やさしいのはいや、うんと苦しいのがいい

でもさ、やっぱり彼は行ってしまうんだ。それを止める力は、今のところわたしには無い。
無力で愚かしくて、彼の心に緩やかな波ひとつ立てることのできない自分に腹が立つ。
頭の中がまっしろだ。ついでに指先も。冷たい汗が背中を流れる。

「じゃあ、さ」

やっと出てきた声は随分と掠れていて、彼に届いたかどうか。
何か話さなくちゃ、何か、何か。一分一秒でも長く、バージルを留めておけるように。
所詮意味のない悪あがきだってことは承知の上だ。

「あと一日だけ、ここに居てよ」

ああなんだってこんなことしか言えないんだ。絶望感が身体を支配していく。
もっと何かあるだろう、彼の枷になって鎖になって、彼を止めることのできる言葉が。
けれど口から飛び出したのは、もうちょっと待って、なんて滑稽でどうしようもない我儘だった。

「…もう、十分待った」

青い悪魔は、まっすぐにわたしを見返しながら言葉を紡ぐ。
喉の奥の塊が上にせり上がって来た。(だめだ、まだ)(まだ、泣くわけには)

「俺は選んだ。次は、お前の番だ」

刀を握っていない方の手が、こちらに差し伸べられる。選べ、と。
だけどその手を取ることなんて出来ない。だって彼がもう選んでいるのと同じように、わたしももう選んでいるからだ。
(ここを捨ててなんて行けるわけない)

最初から分かってたなんて、負けを認めるみたいで言いたくなかった。
だけど結局結末はこの通り。
バージルは行って、わたしは残る。彼が気紛れに残した優しい記憶はきっと万力のようにわたしの心を締め上げて壊してしまうだろう。
最後に交わしたキスは、きっと嫌がらせだ。
いっそのこと、手酷く扱ってくれたほうがよかったのに。























14 約束

彼は夢を見ていた。昏い海の淵から上ってくる黒い腕に引かれる夢。
あの腕は、自分を闇の底へと引き戻そうとする悪魔の腕だ。
どんなに逃げても抗っても、その腕は必ず彼を見つけて引きずり込もうとする。
剣はすり抜け、拳は絡め取られる。
抗えども腕は離れず、どんどんと奪われていく体力にいっそのこと全ての抵抗をやめてこの身を委ねてしまおうかと何度も思った。
だがその度に優しい声が耳を掠める。
この声。自分を惹きつけて放さない魔性。いっそこの蕩ける黒い闇よりも強い力を持つ、この声。

「バージル」

呼ぶ声がひときわ大きく響いて、悪夢は中断された。
ゆっくりと覚醒していく意識。薄く開いた目に、白い腕が映る。その手は自分の頬に添えられていた。

「……」

ほとんど無意識に、その腕の主の名を呼び、白い身体を引き寄せ抱きしめる。
光の無い夜にあって、透けるような白い身体。それは夢にあった黒く醜い腕と対極にあった。

「バージル、うなされてたね」
「…らしいな」
「行っちゃやだよ」
「ああ」

いつものように繰り返されるこの会話。
は、どこへ、とは言わない。ただバージルに「行くな」と言う。
だからバージルも、ただ「行かない」とだけ答えるのだ。

「お前を置いてまで行くべきところなどどこにも無い」

約束してね、と呟く声が抱きしめる腕から伝わる。
闇は未だ彼を強く縛り付けていた。その縛めはそう簡単には解かれない。
だが最早迷うことは無いだろう。例え光りの届かぬ深海の牢獄に囚われたとしても、この声と白い腕だけは忘れることなどできはしないのだろうから。






















15 不安な気持ちをはんぶんこ



















16 繋ぎとめてよ

それなりに豪奢なはずの寝台が、ぎしりと安っぽい音を立てる。
先ほどまで寒さを和らげるためにあったはずのシーツが肌にくっついて気持ちが悪い。
汗が背中をすーっと流れていった。寒気がする。だがそれとは反対に、身体の中はどうしようもなく熱かった。
触れ合ったところから溶け出してしまいそうだ。
ああ、溶けてしまえばいい。そうして二人を隔てる境界線が全て無くなって、ひとつになってしまえばいいんだ。

「バー、ジル、もっと、ほし、」

喉から絞り出した声はもうほとんど悲鳴に近い。
口付けを強請って、上で揺れる銀糸に指を絡ませて引き寄せた。
いつもは後ろに撫で付けられている髪は、今はしっとりと濡れて雨のように落ちてきていた。

「お前が欲しいだけ、くれてやる…

馴染む舌も繋がる下肢も絡まる髪も、全てがをからめとって離さない。
でも足りない。まだ足りない。全然足りない。どうしたらこの空白を、不安を埋められるのか皆目検討もつかなかった。


































17 かわいい。
18 見る限り誰もいない…と、なれば
19 覚えていてください
20 泣きはらした目で笑う君