それは、の目の前でまるでスローモーションのようだった。
赤いコートを着た彼の弟がバージルの腹を薙ぐ。
円を描くように広がる紅色を、は呆然として見つめた。
敗北。その事実を目の当たりにして、胸に切り裂かれたかのような痛みが走った。
だが、驚きはしない。この戦いが始まった時点でうっすらと予感はしていた。
おそらく、バージルが敗北するだろうと。
今まで、にとってはバージルこそが最強で、そして全てだった。
彼の敗北する姿など想像できなかった。
それでも、彼の弟…ダンテの言葉から結末が見えた。
ダンテは、受け継ぐべきはその誇り高い魂だという。
バージルは、受け継ぐべきはその絶対的な力だという。
には、どちらが正しいのかはわからない。
だが運命が選んだ答えは明白だった。
膝を折ったのはバージルの方だったのだから。
「…っはあ、」
さすがは悪魔、としか言いようがない。
あれだけの傷を負ってなおバージルの命は未だ消え失せてはいなかった。
今すぐにでも駆け寄りたいが、双子の悪魔の間に存在する空気がそれを許しはしない。
そこは、第三者であるが容易に立ち入ってはならない場所だった。
今この瞬間、バージルの頭の中からはきっと自分の存在は消えている。
「お前は行け」
足元を流れる濁流、その先の滝から聞こえる轟音の中、バージルの声だけがやけにはっきりと聞こえる。
きっと、どんな状況においても自分の耳はなによりも優先して彼の声を捉えるようにできているのだ。
バージルはまっすぐに、ダンテを見たまま後退していく。
腹から流れ出る血が痛々しかった。
代われるものならば代わってあげたいと思う。
結果が変わるかどうかは分からないが、彼の傷の全てを自分が代わりに受けてあげられたら良い。
「魔界に飲み込まれたくはあるまい」
秒単位で、どんどんと瘴気が濃くなっていくような気がする。
人の世界への道が閉ざされようとしている証拠だ。閉じられてしまえば、二度と戻ることは叶わないだろう。
だがそれすらにとっては些末事だった。とうの昔に覚悟の上だ。
たとえ弟に敗北して、バージルの魂が失われることがあったとしても、もはや戻る気などなかった。
「俺はここでいい。親父の故郷の、この場所が―…」
そこで、バージルがはじめて、ダンテから目を逸らしてこちらを見た。
は息を呑んだ。心を真っ黒な不安が塗りつぶす。
このひとは。
(わたしを置いていく気だ)
は夢中で首を振った。嫌だ嫌だ嫌だ。
喉が渇いて、息を吸うのも苦痛だった。
バージルの唇がかすかに動く。本当に、分からないくらいに微かな動きだったがはそれを読み取った。
行け。
バージルは確かにそう言った。
ぐらり、と彼の体が後ろに傾く。
ああ堕ちる、と感じた瞬間頭が真っ白になって気がつけば駆け出していた。
ダンテの横を風のように通り過ぎて、手を伸ばす。
バージルの碧眼が驚いたように見開かれた。
「来るな!」
閻魔刀が一閃する。伸ばした手の平が横に浅く斬られ、鋭い痛みが走ったがそんなことに頓着してはいられなかった。
走った勢いのまま、いつかのようにバージルを追って深淵へと身を投げ出した。
一瞬の浮遊感の後、加速度をつけて落下していく。
(だって他にどうしろっていうの)
彼についていくと決めた時に全て捨ててきたのだ。
魔界の灼けつくような空気に、は目を閉じた。
ふいに、伸ばした腕を掴まれ強く抱きこまれる。
薄く瞼を開けると、血に汚れた青が目に入った。
「馬鹿が…っ」
掠れた声が耳に届く。
自分の衣服にも、バージルの血がじわりと染み込んでいくのがわかった。
このまま全て彼に侵食されて、いっそ死んでしまっても良いとさえ思う自分が可笑しかった。
感 情 凍 結