魔界は悪魔の棲む荒野。
禍々しくおぞましい異形の世界。
人間の考える魔界の像は、ほとんどがおどろおどろしい恐怖ばかりを煽るものだろう。
しかし、現実とは皮肉なものだ。

(こんなに美しいなんて)

それは、何も知らぬ人間ならば、神の国と呼ぶであろう、荘厳で美しい世界だった。
大理石の通路。眩しいひかり。
あの、地上から見上げた刺す様な赤いひかりは何処へいったのか。
ただひたすら、見惚れながらバージルの後ろを歩いた。


しかし、進むに連れて心に積もる奇妙な違和感。
あまりにも美しすぎて、怖いのだ。
完璧なる美は、その正反対のものと紙一重。
真っ白な美しい世界は、擬態した昆虫にも似た違和感を持っていた。

(気持ち悪い)

は、無意識のうちに自分の身を抱きしめるようにして、腕をさすった。
背筋に冷たい汗が一筋、すう、と流れる。


「恐ろしいか」


前を歩くバージルが振り向く。怖くないけど気持ち悪い。そう伝えると、バージルは微かに笑った。


「その感覚を忘れるな。ここは魔界だ」


騙されるな、と言ってまた歩き出すバージルに歩調を合わせる。
最初のことに比べて、その足取りは随分とゆっくりになった。
おそらく、の歩調に少なからず合わせようとしてくれているのだろう。

無造作に下ろされたバージルの右手を見る。
この手が目にも止まらぬ速さで悪魔を切り刻むのだ。
ふいに、その手に触れたくなった。

(ちょっとだけ)

振り払われるのを覚悟で、手を伸ばす。
の手がバージルの指に触れる。バージルの手が一瞬、ぴくりと緊張して、またすぐに解けた。
振り払われなかった。
それだけで満足すればいいのに、人間とは強欲なもので、次は手を繋ぎたくなった。

しかし、バージルの右手は閻魔刀の為にあり、それを占拠するわけにはいかない。
仕方なく、はバージルの小指に自分の人差し指を引っ掛けた。

様子を伺うようにバージルの後ろ頭を見るが、銀髪の悪魔は全く動じない。
拒絶されなかったことが嬉しくて、の口が微かに笑みの形をとった。


「あっ、」


大理石の小さな段差につまづいて、がくりとバランスを崩した。
あ、転ぶ、と頭の片隅で思ったがしかし、それはバージルの冷たい手によって防がれる。
傾いた上体を支え、の体勢が整うのを待つバージルの顔は、いつも通りの無表情だった。


「…まともに歩くことも出来ないのか」
「ごめんなさい」
「世話の焼ける奴だ」


なんだか申し訳なくなって、俯く。
今までだってそうだったが、魔界に来てからは更にバージルに迷惑ばかりかけている。
もう少し、自分も役に立つことが出来たら、と唇を噛み締めた。
何か、何かないだろうか、バージルのためにしてあげられることは、と考えていると、唐突に手を引かれた。


「さっさと歩け」
「ごめんなさい」
「…お前は、謝ってばかりだな」


今にもため息をついてしまいそうなバージルの声に、反射的にまた謝ってしまいそうになり、口を噤む。


「お前に期待していることなど何もない」


まるで突き放すような口調に打ちのめされ、そっと手を離そうとした。
だが、バージルの手が緩むことはなくの手を握り締めている。


「ただ俺の後ろをついて来ればそれでいい」


バージルの右手は相変わらず冷たい。
だが、握る力はとても強くて、は眩暈がするようだった。


言葉にせずとも


(繋いだ手が全て)