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足からの出血は止まらない。そんなに深い傷だったとは思わないのだれど。 しかし、そんなことには頓着していられなかった。逃げなければ、逃げなければ、逃げなければ。 「 」 人間の声でもない、獣の声でもない、切り裂くような叫び声が聞こえる。さっきよりも近い。 あの異形の悪魔が迫ってきているのだ。 もう遅いのだということは分かっていたけれど、は後悔していた。きっかけは、肝試しをするのだと言って廃墟に入っていった子供達を止めるためだった。 あそこには近付くな、と口を酸っぱくして言われていた。きっと入ったら只では済まないだろうと思っていた。 案の定現れた人の命を求めて彷徨う闇から、自分を盾にして子供達を逃がすことには成功したものの、後が続かなかった。 「……はあっ」 別段体力に自信があるわけでもなく、足も速いわけではない。追いつかれるのは時間の問題だと感じる。いや、もしかしたらもう追いつかれているのかもしれない。逃げ回るわたしを見て嘲笑う為に、わざと走らせているのかもしれない。 心臓は悲鳴を上げて息は上がり、腿からの出血で目の前がちかちかと点滅した。 ここで立ち止まってしまえばいい。もう諦めてしまったらいい。そんなことが頭をよぎる。 (だめ) そうやって死体になってしまうことは容易い。 突然がく、と膝が折れた。躓いたわけではなかったけれど、体勢を立て直すことも出来ずはその場に倒れた。 さっきよりももっと近くで、あの叫び声が聞こえる。獲物を追い詰めたときの歓喜が見え隠れしていた。 ここまでなのか。嫌だ。あの鎌が心臓に突き刺さって血を撒き散らして死ぬのか。 立ち上がろうとするが、膝が震えてまた倒れる。 ざざ、と砂埃のようなものが巻き上がって、目の前に黒い塊が現れた。追いつかれた。 (やられる) そう思って、きつく目を閉じる。まるで現実から逃げるように。そうしてその刃が身体に食い込む瞬間を待った。 「目を閉じて、耳を塞いでいろ」 だがしかし、聞こえていたのは鎌が肉を食む音ではなく、耳に心地よい聞きなれた声。 続いて、金属同士がぶつかる様な音がした。ああ、なんというタイミング。まるで見計らったかのような。 は言われたとおりそのまま目を瞑り続け、蹲ったまま両手で耳をふさいだ。 バージルの舞うような剣舞を見ることができなくて残念だな、と暢気なことを考え、先程の恐怖が綺麗に消えてしまっていることに気付いた。 暫くして、あの劈くような声も金属が空気を斬る音もしなくなった。じゃり、と誰かが目の前に立つ気配。 薄く目を開けて見ると、不機嫌そうなバージルと視線が合った。 「こんなところで一体何を」 静かに怒りを込めた声が降ってくる。ただしそれはこの身を案じていることから来る怒りであることを知っている。 立て、というように差し伸べられた手を取ろうとして、首を振った。恐怖は消えたが足の痺れが取れない。 歩けないと伝えると、バージルは呆れたように溜息をついてを抱えた。膝裏に手を入れると、バージルの青いコートの袖にわたしの血がべっとりと付いてしまった。顔は不機嫌でも触れる手は酷く優しい。 「子供をね」 「…?」 「助けようと思ったの」 抱えられたまま、頭をバージルに凭れさせて呟く。彼が歩くたびに伝わる振動が心地よい。 「捨て置けばいい」 前を向いたままバージルが言った。なんの感情も篭っていない声だった。 頭を上げて、バージルを見る。じゃあ、とが口を開く。 「見殺しにしろというの」 「そうだ」 冷たい声に背筋が寒くなる。 そんなことできない、と紡ごうとしたところで唇を塞がれた。 「、俺は」 「お前以外の命なんてどうでもいいし、省みる気もない」 「ただ」 「お前さえ」 触れた舌はかすかに血の味がした。 かなしい接吻を荒んだ 世界のまんなかで それを間違っているだなんてとても言えない。 何故ならこの胸のうちに、彼の狂気を喜ぶ自分がいるから。 |