「たまに泣きたくなる時があるよ」
外ではちらちらと綿埃のような雪が舞っている。
こんな日は、自分を護る城であるはずのこの館が何故か、自分を閉じ込める檻のようだと感じる。
白い景色から断絶された暖かい部屋は時に閉塞感を生む。
まるで自分のこころのようだ。
「いつも泣いてばかりいるだろうが。何がたまに、だ」
呆れたような声色は、のすぐ横から聞こえてくる。
「そんなに泣いてない」
抗議しながら横に座る男の顔を見る。
長い脚を組んで得物を弄るバージルの表情は随分と柔らかい。
夏の間は、彼が愛刀の手入れをしている時には近付くことすら許されない。
だが、今は冬で、外は雪だ。季節のもたらす寒さによって許される距離。
バージルの肩に頭を預けるようにしても、振り払われることはない。
(たぶん、寒いんだろうな)
バージルは少し普通のひとよりも体温が低めなんじゃないかと思う。
その手が夏でも冬でも凍るように冷たいことを知っている。
少しでも、自分の体温がバージルに移ればいいと思い、はさらに身体をすり寄せた。
「本を読んでも映画を見ても、机の角に足をぶつけても泣いている」
「そういう意味での泣くじゃないよ…」
バージルの目には、自分はそんなにも泣き虫に映っているのだろうか。
だとしたら問題だ。彼は弱い女は好きではないから。
すらりと抜かれた刀は本当に近付くだけで斬れそうな程鋭い光を放っている。
刀身に映ったバージルと一瞬目が合ったと思ったが、気のせいかもしれない。
「ではどういう意味だ」
今度は、刀身に映ったバージルじゃなくて本物のバージルと目が合った。
普段なら続くことなく終わる筈の会話が続いたのも、この寒さのせいだろうか。
「ちょっと名前呼んで」
「誰の名前だ」
「わたしの名前だよ。他に誰がいるの」
「断る」
「なんで!」
言いたくないからだ、と言って青い目はまた刀へと戻る。
せっかく続きそうだった会話をこのまま手放してしまうのがなんとなく惜しい気がして、
「ねえ呼んで呼んで呼んで呼んで呼んで呼んで呼んで呼んで!」
随分と子供じみた方法で足掻いてみた。
バージルの眉間に、みるみるうちに皺が寄っていく。
拳骨を食らうのを覚悟で騒ぎ続けると、辟易したように彼が口を開いた。
「煩い黙れ、」
あ、呼んだ。
じわりと何かが内に染み渡るような感覚が広がる。
「ね、もう一回」
「」
「もっかい」
「…」
「もっと」
とうとう、バージルの口から大きなため息が漏れた。
かちん、と小気味良い音を立てて銀色の刀身が闇色の鞘の中に隠される。
「一体何がしたい」
「名前呼んで欲しかったの」
だからもう呼んだだろう、と不快感を隠しもしないバージルを見て、知らずに笑みがこぼれる。
バージルの眉間の皺がいっそう深くなった。
「バージルにさ、名前呼ばれるとちょっと泣きたくなる」
銀色の睫がちらりと揺れた。
「声聞くだけで、喉が詰まって呼吸困難、動機息切れ、おまけに催涙効果」
「何の話だ」
「ずっと見ていたいなあ。瞬きすら惜しいよ」
「…おい」
「バージルが見ているもの全てに嫉妬してる。その刀にだって」
「……」
つい、とその黒い鞘を指先で撫でる。
振り払われなかったのを良いことにそのまま鍔をなぞって、柄を握るバージルの手に触れた。
胸に痞えるような閉塞感が濃くなる。
「俺は、」
「ん?」
「お前といると、たまに殺してやりたくなる」
ぎょっとして見ると、言葉とは裏腹にその表情は先程とはうって変わって穏やかなものになっている。
随分と物騒なことを言うものだ。こんなとき、彼が半分悪魔であることを思い出す。
「我儘で煩わしい女だが、まあ今は殺さないでおいてやる」
「……今度から屋敷の中にいても、背中には気をつけるようにするよ」
「賢明だな」
せいぜい殺されないように、俺を楽しませろ。
口の端を上げて笑ったバージルを見て息がつまった。
自分の未来はどちらにしろ死だ。
たぶん、殺される前に窒息死。
けれどこの痺れるように甘い閉塞感の中で息絶えることができるのなら、それはなんて甘美な結末だろうと柄にもなく思ってしまった。
これを恋と言わずして、一体何と呼べばいいのか!