最近バージルが構ってくれない。いや、前からそんなに交流している時間自体は多くはなかったし、一緒に居たとしても大部分はが一方的に話しているだけであるようなものだが。
どうも近頃は普段にも増して、バージルがと関わらなくなってきた気がする。
大半の時間を書斎で過ごし、書斎に居ない時は愛刀を携えて外に出てしまう。


「つまんないな」


1人で居るには広すぎるその部屋で、の声は予想以上に大きく聞こえた。
純粋に退屈だった。出かけようにも生憎の雨で、読書をしようにもこの屋敷の本は皆にとっては難解過ぎた。
一度、お前には理解できないだろうと馬鹿にされたことが悔しくて、何冊か読んでみようと思ったのだが、早々に挫折して投げ出した。向いていない。


(バージルはやく帰ってこないかな)


まるで母親を待つ幼子のような自分が情けない。
独りで過ごす無為の時間を楽しむことが出来ないということは未だ精神が子供だということだ、といつか誰かが言っていた。
ひとりの時間も嫌いではないが、どちらかというと誰かと居る時間が好きだ。
むしろバージルと居る時間が好きだ。
(彼には絶対に言わないけれど。だって彼は必要以上の接触や関与を余り好まないひとだから)

静寂の中で、かちかちと時計の針が鳴る音が耳障りだった。


(はやく、帰ってこないかな)


あの銀色の髪の毛に指を通したい。馬鹿みたいなどうでも良い話をして、阿呆らしいと眉根を寄せる表情が見たい。
彼の声が名前を読んで、その音が鼓膜を震わす感覚が欲しい。
そこまで考えて、これではまるで性質の悪いドラッグか何かのようだと思った。

一度味わってしまえば忘れることのできない、効果が切れれば精神に異常をきたす悪質な。
にとって、あの悪魔はそういう存在だった。


(危険だな、このままじゃ、いつか、)


いつか抜け出せなくなってしまう。
それを恐れながらも、望んでいる自分の矛盾が気持ち悪かった。





土にかえした魚






家に帰ってくると、一人掛け用のソファに座ったままが寝ていた。
ブーツがこつりと鳴るのも構わずに近付くが、健やかな寝息は少しも乱れる様子がない。
余程疲れているのだろうか。いつもならば扉が開く音に敏感に反応して、玄関まで出てくるというのに。
別に出迎えを望んでいるわけではなかったが、どこまでもあどけない表情で惰眠を貪るの様子が気に入らなかった。


伏せられた睫が濃い影を落としている。
の睫はこんなに長かっただろうかと思った。
そういえば、彼女の顔をちゃんと見るのも久し振りなような気がする。





呼ぶ声にも反応はない。規則的な呼吸が続いている。
静寂の中で、かちかちと時計の針が鳴る音が耳に心地良かった。

一体何の夢を見ているのか。
その夢に出ているのが自分であれば良いと思った。
それが幸せな夢であっても、そうでなくても。
そう思った自分にふと気付いて、馬鹿馬鹿しいと頭を振る。

小さな寝息をたてて、桜色の唇がうっすらと開いているのが目に入った。
唐突に、触れたくなった。
その唇に指の腹で触れて、吸い寄せられるように近付く。
そうして吐息が感じられる程まで近付いて、触れる寸前で動きを止めた。
ばち、と音がしそうな勢いでの瞼が開いたからだ。


「…」
「……」


黒い目が真っ直ぐ射抜くようにこちらを見つめてくる。
奥底まで覗くような黒に、思わず目を逸らしそうになった。


「してくれないの?」


の吐く息が、バージルの唇をかすめる。
ぐらりと、眩暈にも似た感覚が全身を伝わった。


「キス」
「して、くれないの?」


その言葉を合図にして、バージルはの唇に齧り付いた。
下顎を押し開くようにして口腔に侵入する。
じん、と痺れるようだった。甘い。

首にの腕が巻きつけられるのを感じた。それは鋼鉄の鎖よりも強くバージルを縛る。
吐息も舌もその声も、を構成するもの全てが枷で、檻だった。

だが枷を打ち壊し、檻から抜け出そうとは思わない。
かといってこのまま…囚われたまま鈍り腐り落ちる気など全く無かった。


(危険すぎる)


抜け出せなくなる前に、早々に手を打たなければならない。
しかしその縛めはあまりにも甘美だった。





(抜け出せず溺れきった後の抜け殻は、ただ土に帰るしかない)