あの女は、そこらの悪魔よりも余程性質が悪い。
行くあてが無いというからこの屋敷に置いてやったというのに、あれやらこれやらと暇さえあれば文句ばかり。叩き斬ってやろうかと考えたことも一度や二度ではない。

今日も、一体何が気に食わないのかぎゃんぎゃんとがなり立てたかと思うと、そこらの本棚から何冊も抜き出してこちらへ投げつけてきた。あの女、とんでもない癇癪持ちだ。
投げつけられる本の嵐の中に、もうこの世では手に入らぬ類のものが混じっていなければ、本当に刀を抜いていたかもしれない。(あの女の血で閻魔刀を穢すなど考えるだけでもおぞましいが)

書斎に散乱した本を元の場所に片付けるのも億劫で、そのまま椅子に座って膝を組む。
椅子の背に頭を預け、眉を顰めてため息をついた。全く面倒くさいことこの上ない。この惨状、どうしてくれよう。一体何が不満だというのか。バージルは眉間に皺を寄せたまま、苛々と目を瞑った。










そうして目を瞑っていると、ふいに周りの空気が冷えた。
しん、と外の音が消えたかと思うと、また戻る。冷えた空気も去っていた。
目を薄く開けて周りの様子を窺うが、書斎には特に変わった様子は無い。

こんこん、と書斎の扉が叩かれた。自然、閻魔刀を握る手に力が篭もる。
「誰だ」と低く尋ねると、「わたし…」と小さな声でいらえがあった。の声だ。
入室の許可も与えていないというのに、その影はするりと部屋の中に入り込んできた。


「あの…バージル」


酷く申し訳無さそうな顔をして、女が一歩足を進める。
俯きながら泣きそうに顔を歪めている姿を見て、それでも叱り付けようとする人間など居ないだろう。だが、生憎と自分は人間ではない。
さらにこちらへ足を進めようかどうしようかと迷っている姿を無視しながら、バージルはまた眼を閉じた。



「ごめん、なさい」

「どうでも良い」

「…まだ怒ってる?」

「どうでも良いと言っているだろう」



許してくれる?と猶も尋ねる声に、ふんと鼻で笑ってこたえる。
少しだけ身体の力を抜いて、女はさらにこちらに向かって足を進めてきた。その様子に、小さく舌を打ちながら刀を抜く。
突如、首元に突きつけられた刃に、女はびくりと身体を震わせて足をとめた。怯えた表情で、身を縮ませて唇を戦慄かせて、今にも泣きそうに目が潤んでいる。気に食わない。



「な…なんで」

「お前など、どうでも良いと言っただろうが…」



首に触れるか触れないかの距離まで刀を進めると、こちらの言葉の意味をやっと理解したのか、女が怯えた表情を消した。姿形は真似られても、のあの性格までは悪魔ですら真似られぬようだ。それはそうだろう、は一度怒り出すとまるで般若のようで、そこいらの悪魔など及びもつかぬ程に性質の悪いものになるのだ。



を、斬るの」

「お前は奴を美化し過ぎだ。そんなしおらしい女ではない」



第一、と言葉を続ける。と同じ顔をした女は、眉を顰めて、まるで小馬鹿にしたような表情でわらっている。その顔にまた腹が立って、いっそとっとと斬り殺してやろうかと思う。



「臭い」

「…ひどい、バージル」

「お前からは、生臭い雑魚のにおいがする」



不快だ、と睨みつけると、その女は肩を顰めて溜息をついた。
「じゃあ、はこんな香りがするのかな」
そう言うと、つい、と手を横に振る。部屋の中が、甘ったるい花の匂いに包まれた。その強い匂いに、顔を顰める。女が笑った。



「何をそんなに怒っているの」

「お前の存在が不快だからだ。失せろ」

「わたしが、の姿をしているからかな」



ふ、と目の前から女の姿が消えた。すると今度は、背後で同じ声がする。コートをきゅうと握り締められたのが分かった。振り向かずに前を向いたまま、ゆっくりと刀を下ろす。
「わたしが、あなたのになってあげる」
の姿をとった悪魔が、後ろから囁いた。



「あなたの言うことならなんでも聞くよ。
ちゃんと口答えもせずに良い子にしてる。
有事のときには、少しだけだけどお手伝いだって出来るよ。
姿形だって、あなたの好きに変えられるし、あなたの望むことなら何でもしてあげる。

あの子よりも、ずっとずっとあなたの役に立てるよ」



だから、一緒に居てもいい…?
ぴたりと背に寄り添う悪魔。その身体は冷たく、背から伝わって全身が冷えるようだ。
バージル、と柔らかい声で名を呼ばれて、苛立ちで頭がぐらりと揺らめいた。
同じ声であるのに、この悪魔に呼ばれると酷く腹がたつ。

振り向きざまにその細い首を掴み、がたんと大きな音をたててその女の身体を本棚に押し付ける。
ぐらりと本棚が揺れ、ばたばたと重い音を立てて、何冊か本が床に倒れ落ちた。



「バージル、くるし、」

「俺の名を呼ぶな」

「苦しいよ、やだ、」

「その顔で泣くのもやめろ。不愉快だ」



やめてやめてとか細く泣きながら、と同じ顔から涙が零れる。細い首もその身体もがたがたと震え、声すらも揺れている。「バージル、怖い、やだ」と懇願する声はであってではない。苛々する。くそ。この悪魔の顔を今すぐに裂いてしまいたい。と同じ顔をしてぼろぼろと泣き咽ぶ、この悪魔。
甘ったるい匂いが鼻につく。首を掴む手から伝わる温度はまるで氷のようだ。鼓動も無い。
姿形は同じなのに全く違う、この存在が酷く煩わしい。



「ひとつ教えてやろう…」

「ひっく、ふぇ…っ」

「あの女は、そう簡単には泣かない」



お前と違ってな。

女の顔が、ぴたりと泣くのをやめる。涙に濡れた顔は、憐憫を誘うのには十分だろう。他の男相手ならば、の話だが。


こういう時、は決して泣かない。泣きそうに顔を歪めながらも、歯を食いしばって、決して相手から目は逸らさない。そういう女なのだ。
頑固で我儘で自分勝手で気が強く、誰かの見ているところでは涙も嗚咽も洩らさない。
悪魔相手にも啖呵を切り、逃げずに真っ直ぐ睨みつけてくる。

悪魔すら真正面から見ることを拒否する己の眼光を直に受け止め、それ以上の光をもった目で睨み据える、あの目。
流れる血潮、弱い皮膚、脈打つ鼓動、役にも立たない腕、乾いた日向のにおい。

あの女を、此処に留めおく理由。



「お前のような贋物に興味はない」



こちらの腕を掴んでいた冷たい手が力を失い、滑り落ちる。
すら、と太陽を受けて輝く閻魔刀の切っ先を、ゆっくりとその贋物の胸へと向けた。


「そう。残念…」





















「バージル」


ばち、と目を開けると、見慣れた天井が目に入った。優美な意匠のこらされた天井の縁。
ここは、書斎か。そう理解したのと同時に、すぐ近くでどたんと大きな音がした。そちらに目を向けると、が尻餅をついて腰をさすっていた。無様だ。


「びっくりした…お、起きたの」


なにやら目を逸らし、しどろもどろになるに眉を顰める。そのの足元には、見覚えのある本が転がっていた。分厚く古めかしい装丁。一度、が囚われたことのある本だ。おそらくは、この女が力任せに投げつけた本の中に入っていたのだろう。
バージルは小さく舌を打った。先程見た夢は、これの所為か。
こんな矮小な魔に付け入らせてしまうとは。しかも、と同じように。そこが最も気に入らない。


「なんか、揺すっても全然起きないから死んでるのかとおもった」

「昼寝だ」

「昼寝なんてそんな可愛いキャラでも無いでしょ…あ、ごめんなんでもない」


がた、と椅子から立ち上がって、のほうへと歩み寄る。な、なによ!と言って彼女も素早く立ち上がり、まるでなっていないファイティングポーズをとった。
構えられたその手をぱしっと振り払い、襟元を乱暴に掴む。「くるし…離しなさいよ!」と喚くを無視して、その首に手を伸ばす。が肩を竦めたが、それにも構わず細い首に手を回した。


手袋越しにも伝わってくる、温かい体温。緊張かそれ以外の理由でか、首元からどくどくと早く強い鼓動が感じられる。少しだけ力を入れて首元を絞めると、ぐえ、と蛙の潰れたような声を出して、が睨みつけてきた。苦しいのか、その頬は赤く染まっている。

そうだ、この目だ。ぞく、と背筋を何かが走った。


押さえつけていた手を離すと、はその場にへたりと座り込んだ。げほげほと咳き込みながら喉を押さえている。



「ばかじゃないの…ごほ、こ、殺す気…!?」

「ああ」



事も無げにそう返すと、信じられないといった表情でこちらを見てきた。そうして、なにやらやられる前にやってやる等とぶつぶつ呟いている。
そんな様子を横目に、バージルは閻魔刀を抜いた。が少し青い顔をしながら後退する。


「ちょっとまって落ち着いてバージル、話し合いの場を持とうよ、ちょ、わーー!」


近くに落ちていた件の分厚い古書を盾にして、は叫びながら目を瞑った。
ひゅん、と銀の軌跡を描いて、閻魔刀がそれを一刀両断にする。心に付け入る魔を宿した本は、あっさりと真っ二つになった。
が目を丸くしながら、二つに分かれた本を見ている。
「え、な、なに?」
と状況が理解できず首を傾げているを見ながら、閻魔刀を鞘に納めた。


「本を元通りに片付けておけ」

「は?なんであたしが」

「お前が投げてきたんだろうが」


その通りであるから反論も出来ないのだろうか、はぐっと言葉を飲み込んだ。自業自得だ、とっととやれ、と言って書斎から出て扉を閉めると、中からばんっと本を扉に叩きつける音がした。その音と、ノブから手に伝わる振動に、知らず口元が緩む。


言うことを聞くばかりのつまらない女など願い下げだ。
口答えもせず、跪くだけの存在など、居ても居なくても変わりはしない。
しおらしくさめざめと涙を流す女より、この跳ねっ返りの強情な女のほうが余程面白い。


「馬鹿バージル、覚えてなさいよ!」


書斎からきんきんと響く声を背に、紅茶でも飲もうかとキッチンへ足を進める。
たまには、あの女の分もついでに淹れてやっても良いかもしれない。











(080509)