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「目を閉じて、ついてきてね」 そう言った彼女に手を引かれて、いったいどれだけ歩いただろうか。 時折、己の手を引いているのがであることを確認するように、薄く目を開く。 今日は珍しくも、彼女は最初に現れたときに着ていた奇妙な着物を身に纏っている。 その腕や脚を惜しげもなく曝す着物を着ることを、幸村はこれまであまり快く思っていなかった。 その「不快」である理由が、己以外の者の目にの肢体を曝すことに起因するのだと気が付いたのは少し前のことだ。 今宵のはその着物に身を包んでいるが、不思議と不快さは沸いてこない。 この姿を見ているのが、幸村ただひとりであるからだ。 「もう、良いか?」 「まだ!」 が急に「出かけよう!」と話し出したのは、夜も更けてからだった。 毎晩眠る前に幸村の部屋へやってきて、は故郷の御伽噺とやらを幸村に聞かせてゆく。 異国、いや異界というべきか。 幸村には知りえぬ遙か遠い世界からやってきた少女は、幸村の知らない物語を毎晩紡ぐ。 幸村はそれをとても楽しみにしていたし、今夜もそうするものと思っていた。 それなのに、今夜はその異国の物語を話すのではなく、外へ出かけるという。 幸村はもちろん反対したし、佐助や警備にあたるものたちも当然反対するかと思ったのだが。 「いいよ、いっといで」 と最終許可を出したのは、最も反対しそうな幸村の忍びだった。 おそらく、は幸村を誘う前に、皆にそのように話をつけていたのだろう。 草履の裏に感じる感触、まわりの音と、風、山の匂い。 おそらくは、屋敷の裏にある山の中だろう。 このような夜更けに山に来るなど、危険だ。そう言いたいが、おそらく既に佐助が忍びを回して周囲を確認しているのだろう。 薄く目を開けると、こちらを振り向いているが見えて、慌てて目を閉じる。 こちらの手を握る、小さなの手の力が強くなった。 そのうちに、草鞋の裏に感じる土の感触が急に消えた。これは、茣蓙か何かだろうか。 手を引くが脚を止める。 「ここに寝て!」 「…は?」 「大丈夫、茣蓙敷いてるから」 「ああ…目は?」 「寝転がったら開いていいよ」 言われたとおり、その茣蓙の上に身を横たえる。 も、隣に身を横たえる気配がした。 ゆっくりと目を開く。 そこに広がるひかりに、一瞬、息が詰まった。 見上げた先、黒い夜の天蓋に瞬くのは一面の星だ。 「おお…!」 「ね、すごいでしょ!ここねえ、こないだ見つけたの」 「凄いな」 蝋燭の明かりひとつない山で、目の前に広がる星空の美しさは筆舌に尽くし難い。 夜の冷たさが、その輝きを引き立てているかのようだった。 童のように大の字に横たわって、それに魅入る。 「ね、幸村さん」 「なんだ?」 「これがね、最後だよ」 「……最後?」 横を見ると、は上の星空を見上げたまま、笑っている。 それがすこしだけ寂しげだった。 「最後なの」 「…何がだ?」 「わたしが幸村さんにあげられるもの」 あげられるもの、とは何のことか。その意味が分からず首を傾げると、はふふ、と息を漏らした。 「わたし、何にもないの」 「…?」 「女中さんのお手伝いだってほとんど出来てないし、特技があるわけでもない」 「殿…」 「わたしの世界の技術や情報を教えてあげたいけれど、残念ながらそれもできない」 「…」 悲しんでいるわけではない。ただ淡々と、事実だけを述べている。そういう雰囲気だった。 かけるべき言葉も見付からず、幸村は星空に目を向ける。 「だたひとつあるのが、本をたくさん読んでたことで覚えてる物語とか御伽噺だったわけ」 「そうか…」 「でも、それもついにネタ切れ!」 ふふ、とは笑った。 言葉とは裏腹に、随分と気持ちの良さそうな、清々しい顔をしていた。 「だから、最後なの」 「…さいご」 「うん。あたしが幸村さんのためにあげられるもの」 す、と闇のなか、白い手が空を指差す。 あれがデネブ、アルタイル、ベガ… まるで呪文のようなその言葉が、星の名前を示しているということに気付くまで少し時間がかかった。 あの一番輝いてるのが、スピカ。すぴか…。そう、スピカだよ。 「これで全部だよ。あたしが持ってるもの」 「…」 「あとあたし、幸村さんにあげられるもの、何にもない!」 茣蓙の上で、こちらに目をよこしたが、にっかりと笑った。 屈託の無い笑顔だ。 「全部か」 「そうだよ。あげられるものは全部あげた。あと無いや」 「全て、くれたのか」 「うん。家柄どころか家なし文無し身寄り無し」 「そんなあたしを、傍に置いてくれてありがとう」 星と月の光が、の顔を照らす。こちらを見ていたの目が、空へと戻った。 「あっ、みて流れ星!」とが目を見開き興奮気味に話す。 けれど幸村は、その横顔から目を逸らすことができなかった。 「…あたしさあ」 「む?」 「この世界に来て、落ち武者に追いかけられたり暴漢に襲われたり引ったくりに会ったり、なんか不幸にばっかり見舞われてきたけど」 「…」 「それら全てが幸村さんに出会うための必要不可欠な条件だったのなら、それで良かったと思うんだよね。あのとき、急にこの世界に来なかったら、あの落ち武者に追いかけられなかったら、引ったくりに会って無一文にならなかったら、あたしとあなたが出会うことはなかった」 桜色の唇が、弧を描く。 黒い髪が夜の風に揺らされている。 そこから目が離せない。 「これで、おしまい!」 おしまい。 何故だろう。別に出て行くと彼女が言ったわけではない。だがおそらく少なくとも、明日の夜からが幸村を訪れることはない。 昼間はは女中の仕事をし、幸村は政務と鍛錬に追われる。 だからきっと、明日からと幸村の接点は失われてしまうのだろう。 それを思うと、胸が詰まった。 咄嗟にの手を握ったのは、無意識だ。 ぴくり、と白い手が驚いたように震えて、けれど幸村を振り払うことはしなかった。 「…まだ、ある」 「へ?」 「殿から、まだ貰っておらぬものが、ある」 気が付けば、己の口はそんな言葉を呟いていた。 なんと強欲な。殿は持てるものは全て某にくれたと言っているのに。 そう思っても、言葉は止まらない。幸村の意思を無視して、それらはするすると口から滑り落ちていった。 横に寝そべる殿が、不思議そうな目でこちらを見ている。 言葉が詰まった。 貰っておらぬものが、ある。 けれどそれが一体何なのか、幸村自身にも分からなかった。 だが、思うのだ。 まだ欲しい。まだ足りない、と心が身体が駄々をこねている。 一体何が足りないのか分からぬままに、幸村の何かが、の何かを求めてやまぬのだ。 「何が欲しいの?」 「…某にも、分からぬ」 「なに、それ」 が笑った。幸村も笑いたくなった。 一体何が欲しいのかも分からぬままに求めたところで、どうなるわけでもないというのに。 だが、と星空に目を戻す。満天の星までもが、幸村を笑っているかのようだ。 ぎゅうと握り締めた小さな手が、躊躇いながらも握り返してくる。 「それが分かるまで、傍に居てくれぬか」 「言われなくても、お城にいるよ。出て行けって言われるまでは」 「そうではない。そうではないのだ…」 ああ、なんと言えば伝わるのだろう。歯痒さに、繋いだ手に力が入る。が痛いと呟いた。 「殿、傍に居てくれ」 「…はいはい」 「何が欲しいのか分かったら、一番に殿に伝える」 「あたしがあげられるもの?」 「おそらくはそうだ。そうしたら、…殿はそれを某に下され」 「うん」 横を向くと、もこちらを見ていた。ふ、とが笑う。幸村も笑った。 約束だぞ。 そう呟くと、繋がるの手の力が強くなった。 君の知らない物語 (090930) 化.物.語.の12話に感動した記念。タイトルはエンディング曲より。あれ最高だ。 |