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「様を、この真田源二郎幸村の妻に頂戴致したく!」 無二の主君たるお館様に、褒賞は何が良いと問われ、まっさきに出てきた言葉がそれだった。 己でもどうしてそのような言葉が出て来たのか全く分からない。 いや、本当は分かっていたが、それを自覚して居なかったのだろう。 欲しいもの、欲しいもの、と考えた時、それしか出てこなかったのだ。 言ってから、ああ己はそんなに姫が欲しかったのか、とまるで他人事のように思い、何故か目が覚めたような心地だった。 一瞬遅れて、お館様の拳が飛んだ。己の身体も飛んだ。 殴られた頬が痛み、打ち付けられた身体が痛んだが、口に出してしまった時点で最早撤回する気は毛頭無かった。 遣れぬ!と大きな怒声が聞こえたが、引き下がれなかった。 「然りとて退けませぬ!某は姫をこそ妻にしたいのでござりまする!」 そう言って、繰り出した拳が届く前にまたお館様の鉄拳が見舞われた。 遣らぬ退けぬの問答が繰り返された後、とうとうお館様から、 「其処まで欲しいのならば己が腕で取ってみせい!」 とのお言葉をもぎ取った。 「然らば必ずや、姫を取ってご覧に入れまする!!」 そう豪語して、早数日。 幸村にしては珍しく積極的に姫に関わっているつもりであるのだが、姫を勝ち取るどころかむしろ、警戒が強められているような気さえする。 終いには、「幸村は父上に言われて、を監視しているのでしょう!」と怒られる始末。 勝ち取ってみせる、とは言ったものの、何処をどうすればあの姫を勝ち取ることが出来るのか、そもそも勝ち取るとは具体的に何をすれば良いのか、皆目見当も付かぬ。 姫に己の想いを告げて、うんと頷かせられたら良いのか。 それとも、唇を奪ってみせれば良いのか。 はたまた、唇ばかりでなく… そこまで考えて、己の頭に過ぎった疚しい思いに、素早く蓋をした。 悶々としながら迎えた、幾度目かの夜。 そろそろ眠ろうかと、油に灯した火に向かった時だった。 する、と室の外から聞こえた衣擦れに、一瞬身体が強張った。振り返らず、気を研がせて息を整える。 武器は、と刀が置いてある褥を確認してから、ふと、外にある気配が見知った誰かであるように感じた。 「…誰だ」 低い声で尋ねると、外に在った某かが、驚いて息を詰めた気配がした。 どうやら、闇討ちやら物騒なものの類ではないらしい。 瞬き二回程の沈黙の後、「ゆ、幸村、起きてる?」と外から聞こえた小さな声は、己がこの幾日か、頭の中から離れなかったおなごのものであった。 驚いて、すぐに障子を開けると其処には、が所在なさげに座っていた。 「な…何ゆえこのような時分に」 「あの、聞きたいことがあったんだけど、幸村今日忙しかったみたいで、昼間に声をかけられなかったから、それで」 「言うて下さればすぐに会いに行きましたものを…」 「毎日何回も来てくれてたから、そのうち来るだろうと思ってたら来なくて、夜になっちゃって」 は下を向いて、羽織の袖口を弄っている。 そういえば、最近ばかりに感けていたツケが溜まって、今日は一日中政務に追われに会っていなかったような気がする。 「明日でも宜しかったのでは」 「…今日が良かったの!」 「そ、そうでございましたか」 「うん…」 「…では、お入りくだされ。暖かくなったとはいえ、夜はまだ少し冷えまする」 見れば、長い羽織で隠れてはいるが、その下は湯帷子。 誰にも言わずに褥を抜け出してきたのだろう。忍びが見張りに居たはずであるのに、見逃したというのか。 館の中とはいえ、かような時間に姫を部屋の外に出すとは…と怒りすらこみ上がる。 するとそれを察したのか、部屋の中へ入った姫が、「忍びを怒らないでね、わたしが我儘を言ったの」と弁明した。 「…して、何をお聞きになりたいのでございましょうか」 「ええと…」 意図してかそうでないのか、姫が座ったのは幸村の褥の隣だった。 仕方が無く、幸村も姫の目の前に腰を下ろす。 油の火ひとつだけで照らされた部屋の中で、姫にかかる影はいつもより一層黒く、それが何処となく艶やかだ。 姫の桜色の唇が開く。その奥に見えた赤い舌に、唾が溜まった。 ごくり、と己の喉が鳴る。これが姫に届いていなければ良いが。 「幸村、け、結婚したいひとが居るって、ほんと…?」 「………は?」 の口から飛び出た言葉に、先程まで滾っていた何かが、すっと冷えた。 そして次には、ぼうと顔が熱くなった。 誰かが、にお館様とのやり取りを教えてしまったのだろうか。 を妻にと強請ったことを、知ってしまったのだろうか。 焦りと羞恥とが湧き上がってきて、頭が混乱した。 しかし次のの言葉に、それもすうっと冷めてしまった。 「それ、どんなひと…?」 どんなひと、とは。声も出せずぽかんと見つめる先の姫の表情は暗く沈んでいて、握り締められた指が白くなってしまっていた。 どんなひと、とはどういうことだ。そう考えて、はっとした。 はおそらく、幸村がお館様に「何処かのおなごを妻としたい」という願いを口にしたことは知っている。 だが、それが己だということは知らされていないのだ。 故に誤解して、それが己であると知らずに、どんなひとかと問うている。 誤解を解こうかと口を開いたが、の顔があまりにも落ち込んでいるので、そのまま口を閉じてしまった。 心が、期待に逸る。 幸村が何処かのおなごを妻として娶りたい、という話を聞いて、こんなにも気落ちしている姫を見ていると、勘違いのひとつもしたくなるというものだ。 「綺麗な、ひと?」 「……はい」 「優しい?」 「はい」 「そのひとのこと、幸村は、好きなの?」 「はい、好いております」 そう、と言って俯いたの潤んだ目が、灯を受けてゆらりと光る。 桜色の唇が震えている。 その柔らかそうな唇はきっと食えば甘いに違いない。そう思いながら、ゆっくりと口を開いた。 「某の想い人は、とても可愛らしいおなごでしてな」 「…うん」 「少しばかりお転婆でまるで童のようなところがありますが、時折眩暈がする程の色香を漂わせて某を惑わすのです」 「そ、なんだ」 「おまけに、案外焼餅焼きのようで…そこもまた、かわゆい」 「……」 「そなたのことです、姫」 そう、と白い頬を包んで、出来うる限り優しい声で真実を告げる。 己からこのような声が出るなど、知らなかった。 姫は大きな目をぱちりと開いて、「え?」と小さな声を洩らしながら、こちらを見上げてくる。 黒い目が涙に覆われ、睫がしとりと濡れている。 「某が嫁に貰いたいと言ったのは、様です」 目をまんまるに開いた姫が、口をぽかりと開けてこちらを見ている。未だ飲み込めていないのか、それとも考えもしていなかった答えに呆然としているのか。 たっぷり三拍ほど置いて、姫の顔がほんのり赤みを帯びてきた。 己の心の臓が、どくどくと強く胸を叩く。 「姫を頂きたいとお館様に申し上げたのだが、欲しければ己で勝ち取れと叱られてしまい申した」 と伝えると、は真っ赤になった頬を隠すように俯いてしまう。 その頬を手で包んで顔を上げさせると、潤んだ目元と視線が合った。 「姫、某と夫婦となっては下さりませぬか」 「幸村、」 「長い間、姫を慕うておりました。某、姫を生涯の妻としてお迎えしとうござりまする」 己でも不思議な程に、しっかりとした声が出た。 こんなにも簡単なことならば、どうすれば良いのかと悩まずさっさとこの心を伝えてしまえば良かったのだ。 心臓は早鐘のように鳴ってはいるが、頭は驚くほど冷静だ。 何の根拠も無いが、幸村には「おそらく姫は否とは言わぬ」という確信があった。 そうしてその確信の通り、姫は長い睫を伏せ、頬を包んだ己の手の上に、その小さな指先を当てた。 「幸村、あのね…」 耳を澄まさねば聞こえぬ程の小さな、姫の口が囁いた言葉が耳に入った瞬間、考える暇もなく、己の腕が姫を捕えた。 ぎゅうと抱きすくめた身体は小さく細く柔らかく、姫が己とは違う、おなごだということを改めて思い出させる。 幸村苦しい、と呟いた姫の声すら逃がしたくない。指先で梳ったの髪はさらさらと絹のように滑った。 すうと息を吸い込めば、かすかに甘い香がする。 「姫、姫…!この胸の昂ぶり、どう言葉に表して良いやらわかりませぬ!」 「幸村、ほ、ほんとに苦しい」 「某は、この世で一番の幸せ者にござりまする…!!」 強く抱きしめた姫が、苦しげに呻くがそれにも構っておられず、「やりましたぞ、お館様ぁあああ!!」という無意識の内に溢れ出した大声で、屋敷中の者達がなんだなんだと起き始めるまで、そう時間はかからなかった。 (090821)ボツ作品をお蔵だし |