ぴちち、と鳥が鳴いている。
乱世、というものの存在を疑いたくなるほど平和なひとときに、佐助は欠伸を噛み殺した。
目の前には、本当にこれが戦国かと疑いたくなる光景が広がっている。
此処は奥州の地。その長谷堂城で、だらしなく脚を崩して茶を啜っているのは、奥州の竜だ。その右目と呼ばれる男は、だらしない主とは対照的にきちりと膝を揃えて、鋭い眼光でこちらを睨んでいる。
今は休戦しているとはいえ、やはり警戒は消えないようだ。
さらに独眼竜の隣に座っているのは、どこかの農村の娘だ。
先日一揆を起こした村の娘が捕えられたと聞いたが、如何見てもそれは捕えられたというよりも、単に遊びに来ているだけのただの子供だった。噂というものは当てにならない、とつくづく思う。
縁側で足をぶらぶらさせながら、皿に盛られた餅にかじりついている子供は、こちらと目が合うとにこりと笑って手を振ってきた。


「佐助さんも、木から下りて餅を食うといいだ」
「いや、俺様は結構。ここが好きなんだよ、ほっといて」
「頭に血がのぼったりしねえだか?」
「昇ったりしねえの」


そんな会話をしていると、目つきの怖い右目の旦那が「そんなにぶらさがってんのが好きなら甲斐の木でやったらどうだ」と文句を言ってくる。
俺様だってそうしたいよ、と心の中だけで愚痴を言った。


「それは真田の旦那に言ってよ」
「てめえが言えばいいだろう。子守役なんだろうが」
「やめてよ、俺様は忍びであって子守じゃねえの!」


まったく、ついていない。こんな目つきの悪い男に嫌味を言われるはめになったのも、全てはあの考え無しの主のせいだった。
いつものことだが、突然「奥州に行くぞ!」と言って馬を飛ばし(おかげで馬を二頭潰すはめになった)、長谷堂城へ乗り込みあやうく一騎打ちを仕掛けるところだった。
休戦の約束が破られることを防ぐために佐助が払った努力と犠牲には、きっと頓着もしていないのだろう、あの主は。


「ha、俺はいつでも勝負を受ける気だったんだがな」
「…勘弁してよ」


ここ最近、このように幸村が奥州へ訪れる回数が増えてきている。
勿論そこの独眼竜との手合わせも目的なのだろうが、それ以外にもうひとつ目的があることを、佐助も、そしてきっと勿論奥州のふたりも知っているのだろう。
最初は露骨に嫌な顔をしていたふたりだったが、あの猪突猛進の主があまりにも必死だったためか、最近ではほとんど諦め顔であった。


「…もうとっとと連れて帰ればいいじゃねえか」
「そうしたいのは山々なんだけどね、本人がうんと言わないんだよね」
「ったく、真田は何をやってやがる…」


忌々しそうに舌打ちをする伊達政宗に、こっちだって早いとこしてほしいよ、と呟く。

伊達政宗との手合わせ以外の、もうひとつの目的。
それは奥州のとある侍女のことだ。名前はという。
最初に奥州に「頼もう!」と言って乗り込んできたときに、旦那が一目惚れをしてしまった女だった。
休戦の申し出をしたのが武田であったがゆえに、全力で手合わせが出来ないということもひとつの理由であろうが…最近では、手合わせよりもむしろ女のほうがより重要な目的に摩り替わりつつあった。

見かねた伊達政宗が、「そんなに気に入ったのならば連れていけ」とうんざり顔で承諾してくれたのはいいのだが、肝心の本人が首を縦に振らない。
それで、今回もこうして会いに来てしまったというわけだ。


は赤いお侍さんのこと、嫌いなんだべか?」
「嫌いってわけじゃないと思うんだけどねえ。どうよ、竜の旦那」
「俺に聞くな、小十郎にでも聞け」
「…」


右目の旦那に視線を向けると、あからさまに不快な顔をされた。
はあ、と溜息をつく。俺様はやく帰りたい。
もう面倒くさいから、いっそのこと力ずくで甲斐に連れて帰ってやろうか、と物騒なことを考え始めたときだった。


「おお、もう八つ時でございましたか」


渦中の人物が、暢気な様子でこちらへやってきた。
朝に顔を合わせて以来、一体どこをほっつき歩いていたのか。
…大方のところで散々ちょっかいをかけた挙句、追い出されてきたのだろう。

から追っ払われて来ただか?」

とあの農民の子供が聞く。旦那は顔を赤くして、「殿はそのようなことはせぬ!」と言い返している。
ぎ、と廊下を軋ませて歩み寄り、その農民の子供の隣に腰を下ろした旦那は、やけに清々しい表情をしていた。


「ほらよ」
「かたじけない」


ぽい、と伊達の旦那が餅を投げる。それを受け取った主は、なんのためらいもなく餅にかじりついた。佐助としてはとても複雑な気持ちだ。
その餅に毒が入っていたらどうするつもりだったのだろう。
…まあ、奥州の人間がそんなことをするとは思えないが。

旨そうに餅を頬張る旦那を、独眼竜が呆れ顔で見ていた。

全く、馬鹿みたいに平和な光景だ。
ああ、俺様なにやってんだろ…
そう思いながら体を本来の向きに戻して木に上がったときだった。

農民の娘のひとことで、その場の平和な空気が入れ替わった。



「…赤いお侍さん、なんかにおうだ」



におう、と言われた旦那は、少しだけ傷ついたみたいだった。そりゃそうだろう。
こんだけ直球に臭いと言われた日には、たぶん佐助だって多少傷つく。


「そ、そうか。相済まぬ…」
「なんか汗とあと…いいにおいがするだ」
「いいにおい、でござるか?」


旦那は自分の袖口に鼻を近づけて、すん、と匂いを嗅いでいる。
季節は夏だ、旦那が汗臭いのはいつものことだとして、いい匂いとはいったいなんなのか。
残念ながら佐助のところまでは匂いは届かない。
子供の横では、胡坐の膝に頬杖をついた独眼竜が、一体何かと様子を伺っていた。

「なんの匂いだべ、これ」

くん、と子供が鼻を鳴らす。そうして、あ、と気付いたように大声を出した。



「わかっただ!!とおんなじ香の匂いだべ!!」
「…は、は?」
がいつも懐に入れてる匂い袋とおんなじだ!赤いお侍さん、おんなじ匂い袋貰って来ただか?おらも欲しいだ」



目を輝かせる子供とは対照的に、旦那はかちんと凍り付いていた。
ぴち、と鳥の鳴き声がひとつ、近くで響く。
右目の旦那が、ずずと茶を啜った。


「おい真田幸村ァ」


にやにやと厭らしい笑いを含んだ独眼竜が、固まった旦那を覗き込みながら楽しげに言う。



「てめえ朝から今まで、汗かいて匂いが移るほど、と一体何していやがったんだ?」



木から数羽の鳥が飛び立った。
「何してただ?」と独眼竜を真似した農民の子供が、旦那の顔を覗きこみながら無邪気に聞く。
子供は無自覚にこういうことをするから怖い、と暢気にそんなことを思った。
石のように固まった旦那が動き出すまでまた暫く間があった。そして、案の定…


「な、なななな、な、なん、なん、」
「なん?」
「そそ某は!!疚しいことなどましてやは、破廉恥なことなど何もしておりませぬ!!!!」


ここまで正直だと、いっそのこと清々しい。
眼光鋭い真顔を保っていた右目の旦那すら、眉を下げて盛大な呆れ顔を披露してくれた。
独眼竜は酷く楽しそうに、さらに旦那をからかう。
日本一の兵が、なんてざまだ…思わず額に手を当てながら、しかしこれでようやくか、という思いがあった。
もうこんな奥州くんだりまで来なくてよくなるかもしれない。


「〜〜〜〜っ!!そ、某は失礼いたす!!!」


独眼竜の悪意に満ちたからかいと、農民の少女の悪意なき攻めに耐えかねた旦那が席を立つまでにそうそう時間はかからなかった。
どすどすと足音も荒く立ち去る旦那を後ろ姿を見ながら、ここに来て初めて右目の旦那から「よかったな猿飛。もう来なくて済むぞ」と労いの言葉があった。







(090704)