、少し休ませてくれぬか」

そう言って幸村がの私室を訪れたのは、ぽかぽかと暖かい午のことだった。
の膝の上で微睡んでいた猫が、突然の訪問者に耳を立てて起き上がる。どこか不機嫌な様子の幸村に少し驚きながらも「布団を用意させようか」と問うと、幸村は首を振っての横に腰を下ろした。
そうして…


「わっ…」


止める間もなく膝の上の猫をどかし、その代わり己自身がの膝に頭を乗せた。
無理矢理安眠を妨害された斑の猫は、不機嫌そうに鳴いて縁側から出て行ってしまった。
普段は大人の余裕を漂わせながら決して弱みを見せようとしない幸村が、このように感情を荒立てて不貞腐れたように寝転がったことに、内心で酷く驚く。
茶色の硬い髪の毛の恐る恐る手を置いてみたが、幸村は抵抗もせずされるがままに大人しく撫でられていた。

幸村がこうしてにくっつくのは、夜、日が落ちてからだけだ。
お天道様が空にある間は、決してに触れようとはしてこなかった。そんな幸村が珍しく、真昼から膝枕を強請る(正確には有無を言わさず、だが)だなんて、一体どうしたことかと思いながらも、滅多に無い機会に胸が高鳴った。

(髪の毛、硬い…)

梳く手が引っ掛かるのすらも楽しみながら、丁寧に撫でる。少しばかり膝が痛いが、そんなことを言うとすぐに起き上がってしまいそうだから我慢した。


「何か、気に入らないことでもあったの?」

「いや」

「じゃあ万事順調なの」

「…そうそう全てが思い通りに運んでは、面白みが無い」


その返答から、どうやら幸村の思い通りにならないことがあったらしいということを知る。
女のには知らされない話だ。きっと尋ねたところで教えてはもらえないだろうから、は幸村の頭を撫でながら「ふうん」と気の無い返事をした。


「幸村にも、思い通りにならないことがあるのね」

「思い通りにならぬことだらけだ」

「でも最後には何もかも思い通りにさせるんでしょ」

「無論」


妙に自信たっぷりな返答に、思わず笑ってしまう。
くるくると後に長く垂れた髪を指で弄ると今度は絡まってしまい、それをまた丁寧に解いた。
流石に痛かったのか、幸村が一瞬顔を顰める。痛い?と聞くと、否と答えが帰ってきた。


の殿は優秀だから、結局殿の思い通りにならないことなんて一つも無いのね」

「…そうとは限らんぞ」

「あるの?」

「無数にある。例えば…」


膝の上で横向きに寝ていた身体が仰向けになり、大きな手がの頬を包んだ。
幸村の手はいつもより冷たい。いや、己の顔がいつもより熱いのだろうか。
端整な顔がふうわりと緩み、気恥ずかしさには顔を背けてしまう。


がその最たるものであろう」

「…そうかしら。わたし、いつも幸村の言いなりになってる気がする」

「そなたの行動は突拍子もなく予測出来ん。俺は振り回されてばかりだ」


目尻の辺りを指で撫でられ、思わず目を瞑ってしまう。それを見た幸村が一言、「は猫のようだ」と言った。心外だ。

「わたしはちゃんと幸村の言う通りにしてるわよ」

そう言うと、幸村の冷たい手が頭の後に回り、ゆっくりと引き寄せられた。視界に広がる彼の、精悍で柔らかな甘い笑みを浮かべるその顔に、いつもいつもどきどきしてしまう。
思わず、掠れた溜息が漏れてしまって、それに気が付いた幸村がにやりと口の端を上げた。


「では。この詮議が俺の思い通りにいった暁には、俺の言う通りのことをしてくれるか」

「…なんか、嫌な予感がするよ」

「なに、大した事ではない」

「何をすればいいの?」

「それは、こちらが上手くいってからだ」


低い声でそう言って、幸村が首裏に回していた手を離す。拘束は既に解かれたというのに顔を上げることが出来なくてそのままの体勢で幸村を見つめていると、彼は少しばかり意地の悪い笑顔を浮かべて口を開いた。


、そろそろまた詮議が再開される。行かねば」

「うん…」

「…早うせねば、夜が来る前に我慢の利かなくなった虎に食われるぞ」


囁かれた声に頬がぼうと熱くなって、弾かれるように顔を上げる。
くつくつと喉で笑いながら「然様に慌てて退かずとも良かろう」と言う幸村の肩をばんと一発強く叩くと、全く痛く無さそうな顔から「痛い」という声が上がった。
億劫そうに身体を起こした幸村の背を押して、早く行ってしまえと急かす。


、先程の約束、忘れるでないぞ」

「世の中は幸村の思い通りにならないことだらけだって、さっき自分で言ったでしょ!」

こそ、先程俺にこう言ったろう」


障子に手をかけこちらを振り向きながら、幸村が不敵に笑う。
それが妙に様になっていて、どうしようもなく胸がざわめく。
笑みを刻んだその顔が真午のお天道様を遮って、濃い影を落としていた。


「最後には全て思い通りにさせる、とな」



















(090608)