「幸村あのさ」

ちょっとキスしてくれませんか。

そう言うと、彼は酷く驚いた顔をしながら読んでいた雑誌から顔を上げた。
目は真ん丸く開かれていて、口だって半開きだ。
そんなに驚かれるとは思わなくて、の方が一瞬たじろいでしまった。


「…いきなり何を言い出すのだ」
「前もって予告すれば良かった?」
「そういう話ではござらぬ」


そっけなく、怒った様な声でそう言って幸村はまた雑誌に目を戻した。
けれどにはちゃんと分かっている。幸村がこういう風にそっぽを向いたときは、拗ねている時か、照れている時のどちらかなのだ。
照れてる?と問いかけてみると、案の定無視される。


「ねーねー」
「何故今しなければならぬのだ。真昼間から破廉恥な」
「なんで破廉恥が出てくる…」
「俺はせぬぞ」
「じゃああたしがしてもいい?」


幸村は黙って、ソファの上で器用に身体を回してこちらに背を向けてしまった。徹底抗戦の構えだ。
けれどこれくらいの抵抗なんてそれこそ屁でもない。
この奥手で糞真面目な彼を「わかった」と頷かせるまでに、は丸一年粘ったのだ。
幸村はその性格上、人前で手を繋ぐことさえ嫌がる。
破廉恥の閾値が低すぎて、二人きりで居たってなんにもしてくれない。
が何度「好き」と言っても、恥かしがっているのか、全然答えてくれない。
幸村から「好きだ」という言葉が聞こえるのは、夜暗くなってから、幸村が堪んなくなったときくらいのものだ。
友達は皆「あんたたちほんとに付き合ってんの…?」と心配する。もたまにそう思う。


は少しくらい、恥じらいを持つべきだ」
「幸村は少しくらい恥じらいを捨てるべき」


ぺら、と幸村が雑誌のページをめくる音がする。
相手にもしてくれない背中を指でぐりぐりと撫でると、くすぐったかったのか幸村が背を反らせて「やっ、やめぬか!」と怒った。


「わかった、キスは諦めるからぎゅってして」
「断る。そんな話をしている暇があるのならば課題を終わらせたらどうだ。明後日締め切りであろう」
「明後日締め切りなんだから明日やればいいんだよ。ねー幸村」


なおも向けられる背中に、べったりと張り付く。見た目は細いけれども、その背中は抱きついてみると意外に広い。
お腹に腕を回すと、腕にがっしりした感触が伝わってきて、とても気持ちがいい。
幸村は「暑い!」と言いながら身を捩ったが、ここで放してやるではない。さらにぎゅうと抱きつくと、諦めたらしい彼は大きな溜息をついた。


「あー幸せ…」
「某は不幸せだ」
「…そんなにあたしのこと嫌いですか」


背中に顔を埋めながら、わざとらしく声を沈ませてそう聞いた。
たっぷり三拍ほどの間の後に、幸村はとてもとても小さな声で「別に嫌いではない」と言った。
素直じゃない彼の最大限の譲歩だ。嫌いじゃない、イコール、好き。


「じゃあキスくらいなんだってのよ。明日あたしがうっかり死んじゃったりしたら、幸村はあたしにキスしなかったこと一生後悔するかもよ」
「そのような仮定の話は好かぬ」
「明日あたしが違うひとのこと好きになっちゃったりしたら、幸村はあたしを抱きしめなかったことを後悔するかもしれないじゃない」
「……何を莫迦な」
「幸村あのね、悪いけど女の子ってのは幸村が思っているよりもずっと移り気なもんなんだよ」


明日になったら、幸村じゃなくて、幸村の周りにいっぱいいるあのかっこいい男の子達に夢中になってるかもよ。
政宗とか慶次とか佐助とか元親とかさ。
幸村に冷たくされて傷ついてる時に、ああいうかっこいい男子に口説かれたらあっさりそっちに行っちゃいそう。

幸村の背中に額を押し付けながら、そんな有り得ない仮定の話をする。
触れた額から、腕から、幸村が少しだけ動揺しているのが伝わった。思わず口元がにやけてしまう。
あともうちょっと、もうちょっと…


「ね、幸村」


幸村の背中から離れて、彼の肩に手をかける。少し力を入れると、幸村は簡単にこちらを振り向いた。
不機嫌そうに引き結ばれた唇を見る。
これ見よがしにゆっくりと幸村の首に腕を回して、それから彼が逃げちゃう前に不機嫌な唇にひとつ口付ける。
すぐに離れた幸村の口は、先端がちょっとだけ光っていた。


「あ、ごめんグロスついた」


幸村はグロスが嫌いだ。口がべたべたするから嫌なのだそうだ。
文句を言われるかなと思って見ていると、幸村は特に怒ったりせずに、黙ってその口についたグロスを舌で舐め取った。
それから突然、ごつ、と頭突きのように額をあわせてきたものだから、予期しない衝撃に「いだっ」と可愛くない声が出てしまった。


「やはり、は破廉恥だ」
「なんでよもーおでこ痛い!」
「なんだかんだと理由をつけて、真昼間から接吻など強請るのが悪い」
「意味わかんない、幸村もっとあたしに優しくしたらどうなの……んむ!」


突然の攻撃にブーイングをかます口が、無理矢理に閉じられた。
ほんの数秒の呼吸停止。
それが終わって、ちらりと見えた幸村の唇が、さっきよりもべたべたにグロスで濡れているのが見えた。
「…もっかい」と強請ると「もう一度するなら、こうなるぞ」と言いながら幸村の手がシャツをめくってお腹を撫でてきた。
くすぐったさに身を捩る。幸村の手はあつい。


「なに、あたしが誰か他のひとに惚れるかもとか言って嫉妬しちゃった?」
「そのようなこと如何でも良い。で、どうするのだ」
「どっちが破廉恥なのかわかんないね」
「こうなると分かっていて強請るが、だ。それで如何する」
「もっかいして」



Baby, kiss me again!



「心配しなくても、当分の間は幸村に惚れっぱなしだよ」
幸村の茶色くて硬い頭を抱きしめながら、小さく呟く。
それを耳にしたの恋人が、「当然であろう」と不機嫌な声を出した。











(090603/「o.n.e. m.o.r.e. k.i.s.s.」というボカロ曲から妄想した)