ばんばんばん。

近所迷惑になりそうな程大きく乱暴な音で扉が叩かれたのは、幸村がもう眠ろうかと思っていた頃だった。
こんな非常識な時間に、ベルも鳴らさない突然の訪問者など、幸村には一人しか思い浮かばない。
覗き口から見える玄関先には、案の定が居た。

口元を引き結び、今にも泣きそうな顔をしている彼女を追い返すわけにもゆかず、黙って扉を開ける。扉が開いたのと同時に、挨拶のひとつも無しにはずかずかと部屋へ上がり込んだ。
そのまま幸村の座椅子を占領して座り込む彼女に、理由を聞くべきか聞かないべきか迷いながら部屋の鍵をかける。
かちゃん、と小気味のいい音がした。


「如何した」


沢山の意味が込められた問いだった。
どうして泣きそうな顔をしておるのか。
今日は確かの両親ともに家に居ったはずなのにやってきたのは何故か。
親にはきちんと言い置いた上での訪問なのか。

はむくれた顔で一言「別に」と言った。


「今日ここ泊まるから」
「…構わぬが、家の者等には伝えておるのか」
「知らない」


ぷい、とそっぽを向いたに、どうやら親と喧嘩したらしいことを知る。
溜息をつきながら、苛々と爪を弄るに冷たい麦茶を注いでやり、窓を開けた。
ふわ、とあのキンモクセイの甘い香りが部屋になだれ込み、瞬間、落ち着かないような焦りにも似た気持ちが湧き上がる。
思いなおして窓を閉め、暑がりなの為にクーラーを入れた。


「なに、珍しい。クーラーの風嫌いなんじゃなかったの」
「部屋が暑いとが文句を言うからな」
「言わないよ」


抗議の声をあげるのグラスを見ると、先程注いでやった筈の麦茶はもう無くなっていた。


「幸村、もう寝るの?」
「…まだ眠らぬ」


寝るの、と聞いておきながら、のその声も表情も全てが「まだ寝るな」と言っている。
先程まで眠るつもりだったことも伏せて、性に合わぬ嘘をついた。
は嬉しそうににこにこ笑って、座椅子からベッドに移動して、俺に向かって先程まで自分が座っていた座椅子を勧めてきた。


「まあどうぞ、汚いところだけどゆっくり座って」
「俺の部屋だぞ」
「気にしない気にしない」


失礼なことを言うに文句を言いつつも、勧められるままに(俺の)座椅子に座る。
ベッドの上で枕を抱え込みながらあぐらをかいて、はまた不機嫌そうな顔に戻り、徐に口を開いた。


「お父さんがね、あたしが幸村の家にたまに泊まってるって知ったらキレたの」
「…」


当然だ、と思った。年若い男女が同じ部屋で寝ているなどと、世の父親が聞いたら嘆き悲しむに決まっている。
これについてはなんの反応も出来ず、幸村はただ話の続きを待った。


「そんなんじゃないって言ってんのにさー」
「…父君はを心配しておられるのだ」
「べっつに、いいじゃんって思うんだけど」


良くは無い。だがこれにも答えず続きを促す。
は頬杖を突きながら、もう片方の手で枕の端を弄っていた。


「ちっちゃいころからずっと一緒だったのに」
「そうだな」
「差し入れはいいけど、それ以外ではもう幸村の家に行っちゃ駄目ーとか言ってさ」
「そうか」
「ちょっと、なんでそんな無関心なの!」


そうかという相槌しか打たない幸村に、が身を乗り出して声を荒げた。
こちらを指差しながら、「幸村はあたしと会えなくなってもいいの!?」と言う。


「会えぬわけではなかろう」
「あたしとゲーム出来なくなったり宿題できなくなったりドラマ見れなくなったりしてもいいの!」
「いや、そういう話では…」
「いいの!?」
「……良くはないが」


の勢いに負けて、彼女の望むとおりの答えを返す。
すると途端に機嫌を直したは、「そうそう、そうだよね」と一人納得したように頷いた。

「よし、今日は朝まで寝ないでいようよ!」と興奮気味のと他愛もない話をしながら、ベッドの上のの体勢が座位からどんどん崩れて最後に伏せて、そうしてとうとう目蓋を閉じたのは結局彼女の方が先だった。









天鵞絨の静寂







こうして、結局今日も寝床を取られた俺は、床の上に適当に寝転がることにした。
を床に寝せるわけにはゆかぬからいつもは布団を出しているのだが、自分のためにそんな面倒なことはしたくない。
幸い、季節は秋のはじめ。まだ十分に暑い。
のためにつけたクーラーを消すと、部屋は瞬く間に暑くなった。

床にごろんと横になって、目を瞑る。
一度去ってしまった眠気はなかなか訪れない。
部屋が暑くなったためか、がベッドの上で盛んに動くその衣擦れの音がいやに耳につく。


(眠れぬ)


むくりと身体を起こし、ベッドに横になるを見る。
彼女はこちらに背を向けながら限りなく壁際に寄って、まるで壁に張り付いた蛹のようになっていた。


(相も変わらず、寝相の悪いおなごだ…)


は起きている間もそうだが、寝ている間もよく動く。己があまり寝ている間に動かぬから余計にそう見えるのかもしれぬ。
窮屈そうに寄ったの身体を中央に戻してやろうと、膝をベッドにかける。
ぎし、とスプリングが小さく軋む音がした。

そう、との腹の下に腕を入れ、ずるずると引き摺る。
「うー…」という呻き声が聞こえ、起きたか、とも思ったが、またすぐに寝息が聞こえてきた。

(…細い)

引き寄せるまま腰に手を回しながら、そんなことを思う。
細いがそればかりでないの腰は、緩やかに曲線を描いていて、柔らかい。
直線的で硬い己の身体とはまるで違う、同じ種族だとはとても思えない。
知らぬうちに、腰に回した手がの腰から腹にかけてを彷徨う。

ごくり。

存外に大きく鳴ったのが己の喉だと気付き、一瞬頭がふわっとした。


(手を)


離さねば。

そう思っても、まるで己のものでは無いかのように、手が離れない。
クーラーは消したはずなのに、部屋が乾燥しているのか、唇がいやに乾く。
それなのに口の中は湿っていて、飲み込んでもまた直ぐに唾が溜まった。

するするとシャツの上から腰と撫でていた手が、幸村の意志に反して、彼女の紺のシャツの下へ潜り込んだ。
すべらかな肌が直接触れる感触に、背筋が震える。
思えば、に直接触れたことがあるのは腕くらいのものだ。


(だめだ)


これ以上は駄目だ、と頭の中で警鐘が鳴る。
俺は一体何をしようとしているのだ。
寝ているのを良い事にその身体に触れるなど、そのような卑劣極まりない行為など。

だが、まるで幸村の思考とは切り離されたかのような手は止まらない。
もっとすべらかな場所を、もっと居心地の良い場所を、もっと柔らかい場所を探して、己の手がのシャツの下を這い回った。

その手が上へと滑って、指先に硬い布地が触れる。
それが下着だと知って顔が熱くなったが、もはや自制が聞かなかった。
知らぬうちに荒くなる息を必死に抑えながら、そう、とその布が守る双丘を手で包む。


(本当に、やめねば)


まずい、本当にまずい。
そう思いながら、手がその布の下へ、するりと潜り込む。
手に直に柔らかいそれの感触が伝わって、思わず溜息が漏れた。


その時だった。



「ん……!」



寝言などではない、鼻にかかったその声。
それを耳が捉え、頭で認識した次の瞬間に、幸村は弾かれたように手を引き其処から離れた。

胸の鼓動が信じられない程早く打ち、顔も身体も全部が熱い。
ベッドの上のは微動だにもしない。
口の中にたまった唾を一度ごくりと飲み込んで、しわがれた声で、やっとのことで言葉を吐き出した。




、起きて、おったのか」




寝ていてくれ。どうか、どうか、と祈るような気持ちで問う。
だがしかし、幸村の祈りも虚しく、暫くの沈黙の後に返ってきた答えは
「うん」
という肯定の一言だった。
はこちらに背を向けたまま、動かない。



「い、いつから」
「…ちょっと、前」



眩暈がした。
ちょっと前とはいつだ。どのタイミングで、目が覚めたのか。
さあ、と血の気が引いた。
掌には、まだあの柔らかい感触が残っている。
乱暴に手を引き抜いたせいで、のシャツが少し捲れ上がり、白い背が見えていた。



「…、そなた、もう帰れ」



どくどくと心臓が高鳴る。
頭の中は真白だが、それでもするすると言葉は出てきた。
帰らせねばならない。
ここにを置いてはならない。



「すまぬ」
「ゆ、幸村」
「もう帰るのだ。二度とこの部屋に来てはならぬ。そなたの父君は正しかった」
「幸村、あたしね、」
!」



が何事かと言おうとしたのを遮る。
目の前がぐるぐると回る。
頭の中は混乱しているというのに、口から出る言葉は冷静だった。



「帰るのだ、



己の出した声は、存外に低く、恐ろしげだった。
が身体を起こしてこちらを見つめる気配がする。
だがそれを見返すことも出来ず、幸村は手を握り締めながら俯いた。

かち、かち、と時計の音が大きく響く。

数十秒か、数分か。
時計の針以外の音が全て消えた時間が続いた。

「ゆきむら」

と小さく、懇願するようなの声にも応えない。
駄目だ。彼女が此処に居ては。



ひどく長く感じる静寂が終わって、とうとうがベッドから飛び出した。
鞄を取る音、サンダルを履く音がして、かしゃん、と鍵が開く。
扉が開いて足音が飛び出したのが聞こえた。


それが聞こえなくなってもまだ、幸村はその場から一歩も動くことが出来なかった。















(090501)