見上げた空は抜ける程青く、どこまでも高かった。
白く流れる雲は早い。強く吹き荒れる風に煽られ、さるがままに流され何処かへと消えてゆく雲、あれはまるで己のようだ。
夢を抱きながらも時代の流れに飲み込まれ、そうして今、無力にも掻き消えようとしている己の命。

(矢の様な生であった)

只ひたすら、必死に走り続けてきた。
夢を抱き、大志を抱き、信念を抱き。
走って走って、息が切れて肺が潰れるまで走って、辿り着いた終着がここだというのならば、それも悪くない。
全てを賭け、全力で挑み、そして負けた。

(お館様に、またお叱りを受けてしまうやもしれぬな)

最期まで共にあった紅蓮の二槍は、戦いの果てに遂に折れ、その役目を終えた。
幸村の影として戦っていた忍びも、もう生きてはいないだろう。
累々と横たわる幾千の屍、その中に横たわる自分も、もうすぐ死者の参列に加わる。


「真田の首はどこだ!大将首を探せ!」


遠くから怒声が鳴り響く。
手柄という名の首を求めて、幽鬼のような武者達がゆらゆらと死者の間を歩く。
まるで、地獄に住まうという餓鬼のようだ。
潔く名乗りを上げ、最期の力を振り絞って立ち上がって見せようかとも思ったが、ひゅうひゅうと息の抜けるこの身体では、それも適わない。
指先が幾らか動いただけで、まるで泥の中に囚われたかのような身体はぴくりともしなかった。


(ああ、空が青い)


いつだっただろうか。このように地べたに寝そべって、空を見上げたことがあった。
あの時も今日と同じように、青く抜けるような、空の高い日であった。
ただしあの日は、鉄錆びて生臭いにおいではなく、ふわりと花が香っており、
隣にあったのは白く膜を張った目ではなく、黒く瑞々しい光を湛えた目であった。



――幸村見て、あの雲、まるでわたしと幸村みたいよ。
某には、よく分からぬ。どれのことだ。
――ほら、あれ。二つ一緒にくっついて流れているの。
あれが何故、某と殿だと?
――だって、ずっと一緒に流れてる。

わたしと幸村も、ずっと一緒でしょう。



自分の隣に在った彼のひとは、この肉刺だらけの手を握って、ふうわりと笑った。
あの時、自分は一体どう返事を返したのだろうか。

(思い出せぬ)

どう答えたのかは分からないが、残念ながら幸村と彼女との道は分かたれてしまった。
もう己の殆どを捕らえてしまっている死そのものには、然程恐怖を感じない。
だが、己の死を知ればきっと彼女は、あの黒い目から滝のように涙を流して泣き伏せるだろう。
そうなったとき、己以外の誰が、あの涙を拭ってやるというのだろうか。
ただそれだけが心残りだ。

目の裏に、さめざめと涙を流すあの娘の姿が思い浮かぶ。
柔らかい頬を流れる雫を拭い、紅を引かずとも桜に色づく彼女の唇に己のそれを重ね、心配するな大丈夫だとあやすのは、いつも幸村の役目であった。
他の誰かが自分の代わりにそれをしてくれればいい、と思いながらも、己以外の誰かがそうやって彼女を慰めるのかと思うと、嫉妬の心がちらちらと燃える。
(なんと、愚かな)
死ぬ間際にさえ醜い未練を残すことになろうとは、恋着とはまこと恐ろしい。


「どこかにある筈だ!首を捜せ!大手柄だ!」


男達の怒声が遠い。
その代わりに、頭の中で自分を呼ぶの声が、だんだんと大きくなってゆく。
幸村、幸村、幸村。
あの娘が己の名を呼ぶだけで、幸せであった。


「幸村」


天の青が霞む。
頭の中で、が己を呼ぶ声がする。
まったく滑稽な話だ。戦に槍に生きてきた自分が、最期に心に想うのが、いつか拒絶してきた筈の恋着の相手だったとは。


「幸村、好きよ、はやく帰ってきてね」

(それがしも、そなたが、そなたのことが、)


もう、彼女の声しか聞こえてこない。
目まで閉じればその姿すら見ることが出来るだろうかと、
恋焦がれたおんなの顔を思い浮かべながら、静かにそっと、目を閉じた。






(081103)