今日、幸村が突然手の上にキスしてきた。一体何事かととても驚いた。
まるでどこかの社交界の紳士がするみたいにとても優雅で、わたしは突っ込むことすら出来なかった。
幸村はスーツを着ているわけではなかったしわたしはドレスで着飾っているわけでもなかった。それどころか、二人ともジーンズにTシャツというなんとも気の抜けた格好。(もう少しおしゃれな格好をしてみたほうがいいのかもしれないけれど、幸村とわたしの間でそんなことをする必要性も感じない)

「どうしたの」
「いや、別に」

特に理由などない。
幸村はそういってまたテレビを見始めたから、わたしもさっきのことは無かったことにして雑誌を読んだ。

少し経ってからさっきのことが急に気になってきて、また幸村に「さっきのあれ、なんなの」と聞いた。幸村はただ小さく笑うばかりで何も答えてはくれない。

また暫くしてから、幸村が「俺はを尊敬はしていないが、侮り難い女だとは思っている」と言った。失礼な発言だ。尊敬してよとわたしが言うと、幸村は「一体どこを尊敬しろと」と軽口を叩く。


「侮り難いってどういうことよ」
「油断していると痛い目をみるからな」
「すぐ手が出るって意味で?」
「それもあるな」

わからなければ良い、とそれきり幸村は口を閉ざした。意味不明な幸村の発言は無視することに決めて、わたしはまた雑誌を読むことに専念する。
ただ幸村はテレビの方は見ずにひたすらこちらを見つめていて、それを気にしないように雑誌を見ることはとても大変だった。




手の上なら尊敬のキス





そういえば、風の噂で幸村が剣道の大会で優勝したという話を聞いた。さらに実は、結構頻繁に優勝していたらしいということをわたしはその時初めて知った。幸村はあまり自分のとった輝かしい功績とかそういうものをわたしに言ってきたりはしない。だから、わたしも幸村がそんなに強いんだということを全く知らなかった。

そのことをふと思い出したので、テレビに視線を戻した幸村の方に向かって「ねえ」と声をかける。

「幸村、大会勝ったんだってね」
「ああ」

おめでとう。そう言うと、幸村はひどく驚いたような表情をした。表情だけではなく「熱でもあるのか」と驚きを言葉でも表現してくれた。失敬な。わたしが褒めることがそんなに意外だとでもいうのだろうか。

「なによ、たまに褒めればそういう反応だもんね」
からそんな言葉を聞くとは思わなんだ」
「でしょうねーもう言いませんよ」

そういって横を向くわたしの頬を掴んで、ぐいと首を曲げさせられる。いたいっつの!と抗議すると、幸村が静かに額にキスをした。そうして、おでこに温かい息がかかって、幸村の少し嬉しそうな声が聞こえた。「ありがとう」




額の上なら友情のキス





お昼には生まれて初めてカルボナーラに挑戦した。結果は惨敗だった。
とろっと出来るはずだったそれは、面白いことに炒り卵になった。これは…ひどい。

「失敗したな」

ひょいと顔を覗かせた幸村をぎろりと睨みつける。うるさいわかってるよばか。
幸村は笑いながら台所にやってきて、炒り卵入りパスタとなったそれを指ですこしとって食べた。結果「慣れぬことはするものではないな」という評価が下った。じゃあ食べんな!と盛大に文句を言いながらも、心の中はどんぞこ。

「しかしこういうものだと思えば、これはこれでうまい」
「嘘付け。もういいよ無理しなくて!」

幸村はフォークを持ってきて、フライパンから直接それをとって食べる。一口、また一口とカルボナーラに成り損なった哀れなパスタが消えてゆく。食べなきゃ良いのに。食べなきゃ良いのに…

「うまい」

ぺろ、と唇を舐め取りながら幸村が言う。後からこういうフォローを入れるくらいだったら最初から何も言わなきゃ良いのに。
「無理すんな、ばか」といって幸村のほっぺたにキスをしたら、幸村は笑ってカルボナーラ失格品をわたしの口に運んだ。不味かった。




頬の上なら満足感のキス





幸村はたまに、とても丁寧…というのも変かもしれないけれど、そういうキスをする。
両手で頬を包まれて、ゆっくりと食むようなキスは気持ちがいい。
唇がべたべたになるようなやつじゃなくて、乾いたキスのほうがどちらかというと好きだった。
幸村はキスするとき目を閉じない。あいつが目を閉じててくれればわたしは目を開けていられるのに、といつも思う。だから今日は、幸村の視線に屈しないように目を開いたままにした。
唇が離れて、額をこつんとくっつけたまま、幸村は小さく溜息をついた。

「何故目を閉じぬ」
「なんとなく」

幸村は目を開けたまま、またゆっくり唇を塞いでくる。その目が今度は威圧的で、目を開けているのがとても辛かった。わたしはこの目があんまり好きじゃない。だってどきどきしてくる。
唇がだんだん濡れてくる。幸村もわたしも目を逸らさない。ああ、やばい。
「口付けの時に目を閉じぬ女は信用するな、と何かに書いてあった」
唇を掠める吐息に乗せて、幸村は囁くようにそういった。すこし笑っているみたいだった。

「信用できない女ですかあたしは」
「目を閉じよ」
「やだ」

幸村の手が顎にかかって、幸村の口とわたしの口が開いた。




唇の上なら愛情のキス





幸村が閉じた瞼に口付ける。こういうとき、わたしは昔のことを思い出す。
わたしも幸村もまだ子供だったころだ。小さい頃のわたしは大変な泣き虫で、わたしが泣くたびに幸村がこうして瞼の上にキスをくれた。
そうやって幸村に優しくして欲しくて、嘘泣きしたことだってある。

あのときは優しいだけの男の子だったのに、幸村は随分変わってしまった。きっとわたしも変わった。男の子と女の子が男と女になって、幸村は嘘泣きしなくてもこうしてキスしてくれるようになった。

「何を考えている?」
「なーんにも。幸村のこと」
「白々しい」

幸村は笑っている。わたしも笑う。引かれたカーテンの隙間から、まだ高いところにある太陽の光が部屋に差し込む。外で車の音がしている。鳥も鳴いている。あと犬も。でも幸村の呼吸の音が一番大きい。

「昔ね、あたし嘘泣きばっかりしてたんだよ」
「知っておった」
「知ってたの?」
「ああ」

幸村は瞼から唇を離して、こちらを覗きこんできた。「また泣くか?」と聞いてきたから、「絶対泣かないもんね」と答えてやった。

「そうか」
「そ。もうぴーぴー泣いたりしないの」
「では泣かせてやる」




閉じた目の上なら
憧憬のキス





「だめ」
「何故」
「やだ」

泣かせるならやだ。そう言って拒否すると幸村はもう一度「を抱きたい」と真っ直ぐに言ってきた。幸村はいつだって直球だ。別に嫌いではないけれど…

「泣かせない?」
「それは出来ない」
「じゃあやだ」

やだ、なんて言ったって無駄なことはわかっている。でもなんとなく嫌だといってしまうのはわたしの悪い癖かもしれない。なんでもかんでも、まずはじめに「嫌だ」とついつい言ってしまうのだ。
幸村が、わたしの手を持ち上げて、掌にそっとキスしてくる。目はこちらをまっすぐ向いて、まるで睨んでいるみたいだ。

に、いれたい」

掌に息がかかる。幸村はとても卑怯だ。婉曲的な言葉よりもこういうのに弱いと知って、幸村は、この男は、
」ともう一度幸村に名前を呼ばれて、掌を舐められて、とうとうわたしは降参した。




掌の上なら懇願のキス





幸村の唇が、掴んでいた手から腕へと、そして首へと昇ってくる。
くすぐったくて身を捩ったら、幸村がなんだかとても楽しそうに笑った。ふたりとも何も言わない。でも、全部伝わっている気がして胸がきゅうとなる。
カーテンの隙間からもれる太陽が目にかかって眩しい。と思ったらそれは直ぐに幸村の頭で遮られた。

「幸村」
「なんだ」
「なんでもない」

幸村は特に気にもせずに、こちらの服を脱がせる作業を始めた。とはいっても、ジーンズとTシャツだけなのだからあっと言う間だ。

幸村とは夜には会えない。何故なら、わたしも幸村も学生で、夜になると親が帰ってきてしまうからだ。
暗いほうが恥かしくないっていう話を聞いたことがあるけれども、そもそもそんな暗くなるほど遅い時間に幸村とこういうことをしたことが無いからよくわからない。
いつだって部屋の中は薄暗くて、でもその暗さに慣れた目は何もかもを脳に伝える。
また目に光がかかって「眩しい」と言うと、幸村は少しだけ乱暴にカーテンを引いてその光を遮った。部屋がまた少し暗くなる。

、」

幸村に首を舐められるのと同時に、大きな手が背に回ってぷちんと小さな音がした。




腕と首なら欲望のキス





幸村は見えるところには絶対に痕をつけない。
それはたぶん、うっかり目に見えるところにつけて政宗とか佐助とかに見付かったら、さんざんからかわれて弄られるから。

ちゅう、ちゅう、と幸村の唇が近付いて離れる度に音がした。
窓の外の音が随分遠い。幸村の息が大きくなる。自分の息も煩くなる。
手の上に、額の上に、頬の上に、唇に、目に、掌に、腕に、首に。
胸に、腹に、心臓の上に、足の甲に、太股に。
幸村の息が体中をたどってくすぐったい。胸がいっぱいになって、やっぱりちょっと泣いてしまった。

昼間から二人して息を荒くして、一所懸命になって、まったく狂っているとしか思えない。そう言ったら、幸村は笑った。「そうだな、俺もも狂っておるのやもしれぬ」

「だが俺は、もっと狂いたい」

そういった幸村が体を倒して、燃えるような熱さにぎゅうと目を瞑ってしまった。




さてそのほかは
みな狂気の沙汰






(080829)by グリルパルツァー