本日、快晴。
庭の李が生った。
赤くて重そうな実がいくつも落ちてしまった木の下で、虫に食われていない良く熟した実を選んで器用にもいでいく茶色の頭を見ながら、は麦茶を一気に飲み干した。季節は夏、太陽は真上、腰掛けた縁側は焼けてしまいそうに熱い。
「何故、そなたの家族は誰も李を取ろうとしないのだ」
このままでは全部落ちてしまう、とぼやきながら李を収穫していく彼の、シャツから出た腕はすこし日に焼けて黒くなっている。「だって面倒くさいよ、今日みんな出かけてるし」「別に今日やれと言っているわけではござらぬ。時間ならいくらでもあっただろう」「しかも暑いし」「某も暑い」「じゃあやめればいいじゃん…」実のない会話を続けている最中も、ひとつ、またひとつと木から赤い実が消えていく。
昔は、この庭の李をもぐのはの役目だった。しかしこの男、真田幸村が近くに越してきた頃からその役目はから幸村に移った。毎年この季節になると、家の庭の李の木にたくさんの実が生るけれども、このままにしておけば幸村がもぎに来るとわかっているから、は絶対に自分で李をもがない。
じりじりと焼けるような太陽に、焦げる匂いすら漂ってきそうな日だった。
「暑い…」と呟くと、幸村は「家の中で待っていればよかろう」と言って汗を拭った。拭いきれなかった汗が、彼の首を流れていくのをじっと見る。汗に濡れたあの首に噛み付いたらきっとしょっぱいんだろうなあと、ぼうと霞む頭で思った。
「」
呼ばれた名と共に、急に投げつけられた何かを反射的に掴む。ぐにゅっという感触と、手首を汁が流れる感覚に、受け取った熟れきった李が自分の手の中で潰れたのだということが分かった。べとつく手に、思い切り眉間に皺を寄せながら幸村を睨む。
「投げること無いじゃない」
「すまぬ」
口だけで謝りながら、幸村は笑っていた。「あらかた取り終えたぞ」と、あの太陽に負けぬ程に輝いて見える笑顔で、籠の中にいっぱいになった李を見せてくる。赤い実をたくさんつけていた李の木は、すこし寂しげな外観になっていた。は幸村が座れるように少しだけ隣にずれて、彼の分の麦茶を注いでやった。冷たかった筈の麦茶は、すこしぬるくなってしまっている。
幸村が、籠の中からひとつ李を取り出して、自分のシャツで適当に拭いて齧り付いた。熟れた李は幸村の歯によって簡単にくずれ、彼の手と口元を濡らした。彼はそれに慌てながら、もう少し早くもいでおくべきだった、とぼやいた。
その様子を見ながら、も潰れかけた李に噛り付く。
「幸村、今日部活は?」
「今日は道場が使えぬから、休みだ」
「ふうん」
「そうでなければ、わざわざ李などもぎに来たりせぬ」
幸村が口元を拭う。は少しだけ口を尖らせた。李が無ければ、会いに来なかったということか。
昔は夏になると進んで李をもぎにやってきたくせに、ここ数年はなんだか嫌々といった様子だ。実際、他人の家の李なんてもぎに来たくはないだろう普通。未だに毎年来てくれること事態が奇跡だ。
「無理して来なくても良かったのに」と言うと、幸村もちょっと怖い顔で「ならば来年からは来ぬ」と言った。顔には出さなかったけれど、それを聞いてちょっとだけ泣きそうになってしまった。自分、可愛くない。
それを隠すように、籠の中からもうひとつ李を取る。赤い実に齧り付くとこれもまた熟れすぎていて、ぼたぼたと果汁が零れ出してきた。慌てて上を向き音を立てて啜る。口の端から、啜りきれなかった汁が流れた。手も顔もべたべたで気持ち悪い。
ふと横から視線を感じてそちらを見てみると、幸村がじいとこちらを見つめていた。「なによ、何か用」と口元を拭いながら問うと、幸村は「いや…なんでもござらぬ」と視線を李の木に移した。そうして、もうひとつ李に手を伸ばし、同じようにして食べた。幸村の食べた李もやっぱり熟れすぎだった。
「あともう数日早ければ良かったのだが」
「幸村が早く来ないからだよ」
「……」
横から、今度はすごく何かを訴えている視線を感じたから、そちらは向かないでおいた。
太陽を遮ってくれる雲ひとつ無い、底抜けに青い空を見上げながらまた「暑い」と呟く。幸村が「李は取り終えたのだ、中に入るか」と言ってきたけれど、は首を振った。幸村は不思議そうに首を傾げて、中に入ったほうが涼しいぞ、と薦めてくる。
「幸村先に入っていいよ。疲れたでしょ。お疲れ様」
「は入らぬのか」
「んー…」
「暑い暑いと言うくらいならば、中で涼めば良かろう」
幸村の少し呆れた言葉に対し返事もせず、そのまま李の木を見上げる。幸村は小さくため息をついて、それでも一人で中に入ることはしなかった。
茹だるような暑さの中、無言のままに二人で縁側に座る。端から見たらおかしな光景だ。暑い。暑くてたまらない。でも家の中に入ったら、きっとお茶の一杯でも飲んで幸村はとっとと家に帰ってしまうだろう。それが嫌だった。
暑くても日焼けしても、もう少しだけ一緒に居たい。幸村を見ていたい。
幸村はまたひとつ李を齧っていた。果肉を噛んで飲み込む度に、出っ張った喉仏が上下する。幸村のそれなりにごつくて大きな手が潰さないように優しく李を持っている様子を、は目を細めながら見つめた。
「幸村」
「なんだ」
「やっぱり来年も李取りに来て」
「……も手伝うのならば」
手伝うから、来て。そう言いながら、縁側にばたんと横になる。幸村は「本当に手伝うのだぞ!」と釘を刺してきた。
仰向けに寝転がったことで、太陽の光が直に顔に降り注ぐ。ああ、日焼け止め塗るの忘れていた。今日の夜は顔が赤く酷いことになってしまいそうな予感がする。
暑くて死にそう、と言うと、幸村がの口の上に李を乗せながら「死ぬな」と言った。
「李さ、まだ木に生ってるやつ、いつもぎに来る?」
「そなた、自分でもごうと言う気は無いのか」
幸村がこちらを見下ろしながら、ちょっと怒ったような顔をしている。その首元には、まだ汗が流れている。
太陽を遮る幸村の肌が、逆光でますます黒く焼けて見える。後ろで結っている尻尾みたいな髪の毛が、流れてこちらに落ちかかってきそうだと思った。
茹るようなこの夏の熱気に、頭が沸いてしまっていたんだと思う。いつもは絶対に言わないけれど、眩しくて熱い夏の太陽の化身みたいな幸村を見ながら、ついぽろりと言葉が零れてしまった。
「幸村はいつ、あたしをもいでくつもりなのかな…」
小さな声だったけれど、近くにあった幸村の耳にはばっちり届いてしまったらしい。
彼は口を半開きにしたまま、こちらを見下ろして固まっていた。
も自分が口にした言葉をよくよく考え直して、遅れてやってきた羞恥に顔を赤くして固まった。いま、いま自分は、何を。暑さのせいにしたって、これはちょっと、恥かしすぎるかもしれない。
「いまの、無し!」
そう言って、跳ね起きる。ぶつからないように幸村がぱっと身を引いた。その幸村の顔も見れずに、窓を開けて家の中へと逃げるように入る。クーラーのきいた家の中は、外の熱気と比べてひんやりと寒いくらいで身体が一気に冷えたけれども、顔の熱さばかりは取れる気配はない。
遅れて、幸村も家の中にやってきた。身体が強張る。ああ、こんなときに限って家族のみんなはを置いてお出かけ。なんてタイミングの悪い家族だろう。
「お茶、冷たいのあるよ。飲む?」
逃げるように台所に行って、冷蔵庫を開けながら全て誤魔化されてくれと願う。幸村は、持ってきた李の籠をテーブルの上に置きながら、ぺたぺたとこちらへ歩いてきた。こっちこなくても持っていくから、そっちで待ってて。そう言った言葉も聞いていないのか、幸村はまっすぐこちらへ歩いてくる。
「…」
「水の方がいい?お茶でいい?」
「」
「アイスもあるよ。どれがいい?」
「」
の話を遮って、冷凍庫を開けようとした手首を後ろから幸村が掴んできた。汗と、李の果汁とですこしべとべとしている。は全ての動きを止めて、振り返ることもできずにその場に固まった。クーラーで冷え切った部屋の中で、幸村の手がまるで火みたいに熱い。さらに一歩、幸村が後ろに近付いてきたのが感じられた。近い、近すぎる。いま、幸村がどんな表情をしているのか…知りたいけれど知りたくない。
「某がもいで良いのか」
クーラーの音と時計の音しかしない部屋の中で、幸村の声が低く響いた。
心臓が跳ね、どきどきと駆け回る。とまれ、とまれ。
「もいで食らってしまって良いのか」
李のこと?それともあたしのこと?茶化して笑いながら聞き返そうと思ったけれどもやめた。その答えがもしもの予想していた通りの答えだったら、きっと、きっと死んでしまう。
全部聞き流して、笑って無かったことにしてくれればいいのに。そうして今日はもう疲れたとか言って帰って、また三日後くらいに、すごく呆れたような顔をしながら残った李を取りに来てくれればいいのに。が言ったことも全部忘れてしまえばいいのに。
「良いのだな、」
なに言ってるの。李と一緒にしないで、駄目に決まってるじゃない。
そう言葉を発する間も無く、幸村の熱くて熱くて燃えそうな手が痛いくらいに肩を掴み、ぐいとの身体を反転させた。
夏、灼熱、もがれた李
がぶ、と噛り付かれた唇はぬるくて甘い李の味。掴まれた肩と太陽に焼かれた肌がひりひりと痛い。
ああ本当はずっと、もがれた李が羨ましかったのかもしれない。幸村の手でもがれて、幸村の口に食われるあの赤い実が。
「、 …某はずっと、そなたをもいでしまいたいと、」
遠くで、籠に盛られた李が、落ちて潰れた音がした。
(080728|お誕生日に間に合わなかった!!!)