その日、幸村さまはとても上機嫌でいらっしゃいました。
お付きの忍びに何やらうまい団子を買って来て貰った、とかで、濡れ縁で茶と一緒に団子を頬張る幸村さまは、とても幸せそうでいらっしゃいました。
幸村さまは戦場で名を馳せる、とてもとても凄い方です。
俺は、戦で親も家も失いただ死を待つばかりの何のとりえもない子供だったけれど、勿体無くも幸村さまの部屋付きの小姓に召し上げて頂き、いまは毎日が幸せです。


幸村さまは、最近、ある女のひとに夢中みたいです。
一体どこから来たのかわかりません。ある日、突然幸村さまが連れてこられた方で、もしかしたら俺のように、戦で家を無くした女子を女中として召し上げようという話かと思ったのですが、どうやら違うようです。
とても肌が白くて、足も手も傷ひとつなくて、世間知らずで何もできない、どこかの姫君のようなひとです。
名前を、さまと言います。
さまは、「自分はそんな大層な身分の人間ではないから、様、なんて付けないで」とか、俺に向かって「なんだか弟ができたみたい」などと仰るのですが、幸村さまのいいひととなれば、おいそれと声をかけるわけにも参りません。


俺は、幸村さまはさまを御正室か御側室に召し上げるつもりだと思ってみていたのですけれど、さまは相変わらず女中と同じような仕事をして暮らしていらっしゃいます。
お召し物も、幸村さまがいくつか美しい着物や帯、簪に帯飾りなどを贈っているところを見ましたが、あんまり綺麗な着物に興味がないのか、さまがそれらを身に着けているところを見たのは数えるほどしかありません。
あんなに綺麗な着物や簪に興味がないなんて、やはりきっとさまはどこか大きな家の姫さまなのだと思います。たくさん持っていたから、見向きもしないんだろうと思います。







それは、確かとてもよく晴れた日のことだったと思います。
いつものように、部屋のそばに控えていたときのことです。
突然、幸村さまがさまを抱えて自室にお戻りになられました。
礼をとろうと居住まいを正しましたが、幸村さまはただひとこと、「人を払え」とお命じになって、そのままさまと一緒にお部屋にお入りになられました。
俺は言われたとおり、暫く人を近づけぬようにとの仰せだ、と女中に言伝し、近くにいたものたちをそこから離れさせました。


暫くすると、ぱたぱたと他の小姓が近付く気配がしました。
俺が「いまは誰も近付けるな、と」と言うと、その小姓はとても困ったような顔をしました。
どうやら、お客人がいらしたようです。
誰かがいらっしゃる、などというお話は聞いていなかったので、どなたかと尋ねてみても、約束も無く名前もわからないということでした。
しかし、どなたか大切なお客人であったら大変だと、申し訳なく思いながらも幸村さまのお部屋に向かいました。


部屋の前に膝をついて、幸村さま、と声をかけようとして…中の様子がすこしおかしいということに気付きました。
ぎしりぎしりと何か軋むような音がして、何か動いているようです。
一体何事かと、耳をそばだてると、誰かが荒い息をついているような気がします。
時折、小さく呻くような声もします。

何か大変なことが起こっているのではないか、という心配と、一体中では何が起こっているのだろうかという好奇心とで、いけないこととは分かっていながらも、俺はすこしだけ障子を開けて、中の様子を伺ってみました。




中には、幸村さまとさまがいらっしゃいました。
けれど、どうにもお二人の様子がおかしいのです。
畳の上に倒れるさまの着物は寝乱れたようになっており、その上に幸村さまが覆い被さっていました。
着物が肌蹴てさまの足は剥き出しになっておりました。
幸村さまはその足を抱え上げて、殿を見下ろしながらすこし笑っているようでした。
何がおこっているのか、お二人の身体は揺れ、さまは泣いているような気がいたしました。
田の泥の中を歩くような音もします。

どうしてだか目を離すことができず、その様子をぼうと眺めていると、ふいにさまが何事かを仰いました。


「ゆ、ゆき、むらぁ」


ただお名前を呼んだだけでしたのに、なぜか俺の背筋がぶわ、と泡だって、思わず息をのみました。
その瞬間、幸村さまが目をこちらに寄越しました。
見たこともないような鋭い目でした。
俺はまるで金縛りにあったかのように動くことも、息をすることもできなくなりました。

幸村さまはそれを見て、ふ、と口元を緩めました。
そうして、抱えていた足を思い切り押して、さらにさまの上に乗り上げました。
「ぁあ、ああっいやっ、そんな、ゆきむらっ、やめ、ぁああっ」
さまが泣きそうな声で叫ぶので、さまをそんなに苛めないでと言いそうになりました。
殿…」
幸村さまは、聞いたことも無いような声でさまの名前を呼ばれて、耳を食んでいました。



突然、本当に突然、俺は何がおこっているのかを悟りました。
ほんのすこし聞いたことがあるだけで、実際に見たことはありません。
でも、多分そういうことなのだと思います。

理解した途端に顔が火のように熱くなって、俺はそっと障子を閉めて急いでその場を離れました。
そして、俺の帰りを待っていた小姓に、「幸村さまはいまとてもお忙しいようだから、今すぐお会いするのはとても無理だ」と伝えました。
小姓はしぶしぶ引き下がり、幸村さまの準備ができたらば教えてくれと言って去っていきました。






その後のことは、あまり覚えておりません。
幸村さまの部屋の近くを通ろうとするものたちを悉く必死に遠ざけて、誰も来ないときには先程見た光景を思い出しておりました。
その度に、顔がかっかと熱くなりました。
どれほどそうしていたのでしょうか。
幸村さまはふらりと現れて、誰かに湯の用意をさせよとお命じになられました。
勝手に主の部屋を覗き見たことを叱られ、罰せられるかと覚悟しておりましたが、幸村さまはとくに何も仰せになりませんでした。
かしこまりまして、と俺がその場を離れようとすると、ふと背中に声がかかりました。


「見たか」


さあ、と背が冷えました。
何を、などと言うことはできず、ただそこに平伏して謝罪しました。
しかし幸村さまはとくに声を荒げることもなく、ただひとこと、

「可愛らしかろう、あの女子は」

と仰いました。
その時、俺の耳はたぶん椿よりも赤く染まっていたと思います。
はいともいいえとも答えられず、額を床につけていると、幸村さまはちいさく笑いました。



「そのうち、お主にもわかる日が来よう」



そう言葉を残して、幸村さまはまたお部屋にお戻りになられました。
俺は暫く顔を上げることができず、その場に平伏したまま顔を赤くしておりました。











(080210)