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「某の子を産んで下され」 月明かりに蒼白く照らされたその端整な顔、その口から吐き出された言葉に、部屋の中が一気に凍りついた。 ぱち、と火鉢の炭が弾ける音がした。 その夜遅く、突然彼はやってきた。 彼は白い寝間着を着ていて、もうそろそろ寝ようと思っていたも、同じく寝間着だった。 すこしいいだろうか、と障子越しに掛けられた声に二つ返事で了承し、部屋に招きいれた。 寝る寸前だったその部屋には当然布団が敷いてあって、はその上に座っていた。 彼が障子を開けて入ってきて、その布団のすぐ脇に座る。端から見ればきっと随分とあやしい光景なんだろうな、と頭の片隅で考える。 なにか、御用ですか。 彼は、少しだけ躊躇う素振りを見せた後、だがしっかりとした声で、先程の言葉を放ったのだ。 耳から入った言葉が脳内で処理され、理解されるまでに暫くかかった。 虎の若子、紅蓮の鬼と戦場で恐れられる彼ではあるが、普段の生活では全くその影を見せない。 些細なことに頬を染め、破廉恥破廉恥と大声で連呼し、純情と初心をそのまま体現しているかのような青年だった。 しかし今、の目の前に座る男は、平生の彼とは全くの別人のようだ。 きり、とした目元はまっすぐに力強くこちらを射抜き、背筋は伸びて座る姿すら美しかった。 彼、真田源次郎幸村はその時、可愛らしい青年ではなく一人の男という生き物としての前に在った。 「…ええと、何ですって?」 「某の子を産んで下され、と申し上げた」 幸村はもう一度先程と同じ台詞を吐き出し、聞き間違いかもしれない、いやそうであってくれというの願いは打ち砕かれた。 は混乱しながらも考える。 一体どういう経緯で、この男がそのようなことを言い出すに至ったのか。 そもそもの話、はどこぞの姫君などといった大層な身分の女ではない。 それどころか、この世の者ですらなかった。 この世、とは即ちこの戦国乱世のことである。 突然この世界に飛ばされた、謂わば完全なる異分子である。 飛ばされた異世界で野垂れ死ぬ寸前であったところを、幸運にもこの男、真田幸村に拾われて今は客分として(とはいっても流石に申し訳無いのでほとんど女中と同じように働いているのだが)不自由無く過ごしている。 本当に世話になった。感謝している。懐いてもいた。 だが、幸村にこのようなことを言われるような何かを、自分が持っているとは思えなかった。 一体、どういうことだろう。 には、この時代の風習とか慣習とか、そういったことがよくわからない。 元の世界では、一部例外を除いて、子を成すとかそれに至る行為をするというのは、愛の上に成り立つものだ。 少なくとも、はそう思っていた。 「…ええと、」 しかし、の世界での(ひいてはの)常識が、こちらでは必ずしも通じないということは、よく分かっている。 まして、幸村は武士だ。次男坊とはいえ、武田の一番槍と謳われ、重鎮として立つ男だ。 この時代では、身分のある男は、血と家の存続のため、一夫多妻の制度がとられていたと聞く。 しかも、公に正室や側室と認められておらずとも、そこかしこにいわゆる妾腹がいたとかいないとか。 まあ全ての想像と偏見ではあるが、有り得ないとも言い切れない。 幸村から求婚された記憶は無い。 ただ寝てくれというのならば、まあわかる。 だが、子を産んでくれ、とは。 「幸村さんの、子、ですか」 「左様にござる」 「…な、んででしょうか」 幸村は、きょとん、と目を丸くした。まるで、わけが分からない、というように。 だが、それはの方も同じだった。 「何故、とはどういうことでござろうか」 「いやあの、なんでかな、と思って…」 「殿が好きだからでござる。だから抱きたい。そなたとの子が欲しい」 瞬間、顔から火が出るかと思った。 幸村の目は、言葉と同じくどこまでも真っ直ぐだ。 え、あ、う、とか意味の無い言葉を羅列させて視線を彷徨わせるに向かって、幸村がゆっくりと近付いてくる。 反射的に逃げようとするが、手を捕らえられて引き寄せられた。 幸村が、捕らえた手を口元に運ぶ。 ゆっくりと、少しかさついた唇が、指に触れた。 「…お嫌、でござるか」 ゆっくりと身体が倒される。 真剣な目に射抜かれて、心臓が早鐘のように鳴った。 目の前には、男の顔をした幸村と、その先に見える天井。 恥ずかしさと緊張と混乱とで、硬くなってしまった身体をほぐす様に、幸村の硬い手の平がの髪を撫でる。 「殿、慕っておりました。そなたが愛しい。この心、もはや抑えられませぬ」 「え…」 「某のものになって下され。某の子を、産んで下され」 殿、と耳元で囁かれる吐息が熱い。 顔が熱くて、溶けてしまいそうだ。 「然らば、頂戴致す」 はっきりと有無を言わさぬ声がして、流れ落ちる幸村の髪がまるで檻のように、顔を赤くする女を捕らえた。 (080203) |