いつか来ると分かっていた終わりの時は、物凄く唐突にやってきた。



「あ、ちょうど良かった。俺今日ここ出ていくから」



仕事を終えて家に戻ると、リビングに居たオレンジ色の頭がにこにこしながら振り向いた。
佐助が何を言ったのか分からず、暫く呆然と立ち尽くす。
遅れてその意味が理解されて、あ、そうなんだとまるで他人事のように思った。

佐助の生活スペースになっていたリビング、其処に置かれていた佐助の大きい鞄とか、佐助が買ってきた漫画本とか、そういうものは何一つ見当たらない。もう片付けてしまったのだろうか。
元々荷物の多いひとじゃなかったけれど、それでも佐助の物が何も無くなったリビングは、いつもの2倍広く感じられた。

予想していたような衝撃は無かった。いや、突然過ぎて衝撃を感じる隙も無いんだと思う。
分かってはいたが、心の準備なんて出来ていなかった。せめて前日の内に知らせてくれれば良かったのに。そうしたら、昨日もっとちゃんとご馳走作ったのに。ああ、なんだ昨日手抜きしちゃったんだろう。

何か言おうと思ったけれど、舌が口の中に張り付いて動かない。ただ驚いて、別れのときにと準備していた言葉は何も出てこなかった。なんというかこう、感動のお別れみたいなものになるんじゃないかと予想していたんだけれども、そういう雰囲気じゃない。
悲しいという気持ちよりも、むしろ空虚感の方が大きかった。



ちゃーん。聞いてる?」

「あ、うん、分かった」

「今、荷物全部送り終えたとこ。ま、最初からあんまり無いけどね」

「そうだね」



あー疲れた、とか言いながら佐助は肩を解している。
その声は相変わらず飄々としていて、態度だって全くいつも通りとしか言い様が無い。
なんて言えば良いんだろう、こういう時は。
お疲れ様?これは違う。じゃあ、これから頑張ってね!これも何か違う。

床を見つめながらぐるぐると考える。
そうだ、これが最後なのだ。何か、何か気の利いたお別れの言葉を言わなくては。
佐助、今まで有難う。とっても楽しかったよ。これから大変だと思うけど頑張って。佐助は良いペットだったよ。本当に良い子だった。ペットライフに嵌っちゃったから犬でも飼おうかな。犬の名前は佐助にするけど怒らないでね。風邪引かないように、あったかくして寝るんだよ。佐助はそういうとこ無頓着だからちょっと心配。それから、たまにでいいから、わたしのことも思い出して。





「うん」

「猿飛佐助は本日をもちまして、のペットを卒業します」

「うん」

「今まで有難う、ご主人様」

「…」




じわりじわりと、隠れていた涙が浮き上がってきた。
衝撃によりなりをひそめていた悲しみとか寂しさとか、そういう気持ちが一気に膨れ上がる。

ああ、終ってしまった。終ったのだ、とうとう。

佐助と出会ってから、どれくらい経ったんだろう。
異物でしか無かった筈なのに、彼はいつのまにかの生活と心の内の、一番大事な部分に入り込んで居座ってしまっていた。お帰り、。今日も頑張ったね。お疲れ様。そういって佐助はいつだってに優しくて、佐助のことを可愛がっているふりをして彼に甘えてきた。

今日ここで、ついに猶予期間は終わり、佐助はのものではなくなった。

目に溜まった雫が溢れそうになって、は慌てて下を向いた。髪がばさりと落ちかかって、の顔を隠す。
それだけでは足りなくて、急いで佐助に背を向けた。最後なのだ、みっともない泣き顔は曝したくない。
「ちょっと待ってね」
いま、顔酷いから。そう言った声は震えていた。

佐助が小さく笑った気配がして、ぺたぺたという足音が背に近付いてくる。
お腹に、佐助の腕が回った。そのまま、優しく優しく引き寄せられて、背中に温かい体温がくっつく。



「そのまんまでいいから、聞いてくれる?」

「…」

「いままで、のペットという立場上、言えなかったことがあるんだけど」



佐助の髪が、首に当たった。本当に鼻が垂れそうになったから止むを得ず、ずずっと啜る。佐助は笑い混じりに、泣くのはもうちょっと後にしてよ、と言った。そう言われるとますます悲しくなってきて、喉がひくりと鳴った。



「あ、あんまり、聞きた、くない」

「そんなこと言われたら俺様泣くわ」

「…」



お腹にあった手が離れて、頭を撫でられる。宥める手が逆効果になるって、佐助はわかってないんだ。



「俺、のことがすっごく好きなの」

「知ってるよ」

「そうじゃなくて。本当に好きなの」

「…」



肩を掴まれて、身体を反転させられる。
向かい合わせなんかになりたくないのに、佐助はこちらの顔を覗きこんできた。やだやだ、こんな涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔なんで見られたくない。その一心でぷいと横を向いたんだけれど、佐助の手が顔を包んで、無理矢理正面を向かせた。ひどい。




「あなたのことが好きです」




そう言った佐助の顔は、見たことがないくらい真剣だった。
ペットとしてじゃなく男として好きなんだ、と続いた佐助の言葉に頭が真白になる。
ちょっと待って。



「え?」

「ということでね、ペットとしてのお付き合いは今日で終わるけど、今度はちゃんと人間同士ということで俺と付き合って欲しいわけ」

「え?」

「勿論将来のこと考えたお付き合いということで。俺、今年で大学卒業だし就職先決まったし、とりあえず今すぐは無理だから二、三年先くらいを目処に」

「は?」

「これさ、一応プロポーズだから」

「え…」

「今すぐは無理だろうから、三日位考えてみて。あ、やっぱ二日。こういうのって勢いも大事だと俺思うんだよね。OKなら二日後の…そうだな、お昼にでも駅前のあの長い名前の店に来て。いつもコーヒー買うとこ」



混乱の内に、佐助が一気にまくしたてた。先程までのしんみりとした気持ちはどこへやら、またしても訪れた驚愕に、流れていた涙も引っ込む。展開が急すぎる。感動のお別れから一転して、まさかのプロポーズだ。事態を呑み込めずほとんど置いてけぼりになってしまった状態で、呆然と佐助の顔を見つめた。
佐助は、悪戯が成功した子供のような表情をしていた。



「一応、けじめとして此処を出て行くけどさ」

「はあ…」

「俺は、この先もずっとと一緒に居たい」

「…」



佐助が、未だに魂が抜けたような状態のわたしの額に、ちゅ、と音を立てて口付けてきた。
続いて頭を撫でて、ぎゅうっと抱きしめられる。
拒絶することも、腕を回すことも出来ずにされるがままにしていると、満足したらしい佐助が身体を離した。



「ということで、俺様これからまだちょっと片付けなきゃならない用事あるから」

「はあ…」

「もう行くね。それじゃまた」



そういって最後に笑顔を寄越し、その場に立ち尽くしたままのの横を佐助が通り抜けた。
靴を履く音がして、がちゃりと扉が開き、閉まる。
感動するほどあっさりとした引き際だった。

足音が遠ざかるのを聞いて、急に力が抜けた。

―この先もずっとと一緒に居たい。

佐助の言葉が頭に反芻される。




…どうしよう。







(090110)