|
「俺さ、今日からちょっと帰り遅くなるから。先寝てていいよ」 数日前にそう突然宣言された。 佐助は一応学生らしいから、もしかしたら試験や課題で忙しいのかもしれない。 一応、それとなく遅くなる理由を聞いてみたけれど、「んー、ちょっとね」と誤魔化されてしまった。 帰宅が11時を過ぎることもあれば、本当にが寝るまで帰ってこなかったりする。 でも、朝になるとちゃんといつもの寝床に居るのだ。出勤のときも、玄関まで送ってくれる。 いつもノブを掴む前にドアが開いて、佐助がひょっこり顔を出して「おかえり」と声をかけてくれていた。 それに慣れきってしまっていたから、帰宅した時に家の電気がついていないのが寂しい。 ご飯を食べるのもひとり。ドラマを見るのもひとり。 まるで、佐助が居なかった頃に戻ってしまったみたいだ。 顔にパックをしながらソファの上に寝そべって、ストレッチをする。 時計がかちかちと時を刻む音と、テレビから時折聞こえてくる笑い声がこの部屋の音の全てだ。 ほかほかと温かかった夕食は、ラップをされてテーブルの上で冷たくなっている。 今頃、佐助は一体何をしているんだろう。 前から思っていたけれど、結構長いこと一緒に居るような気がするのに、は本当に佐助のことを何も知らないのだ。 ひとつには佐助が話したがらないのもあったし、自身が詮索をしないように、と己に言い聞かせている所為でもあった。 佐助が何をしているのか、頭の中で予想を立てようとして、やめた。 なんだか考えが良くない方向に走ってしまいそうな気がした。 時計は11時30分を指している。 眠るにはちょっと早いような気がするけれど、見たいテレビも無いし、仕事は終わらせてきちゃったし、何より暇だ。紅茶でも一杯飲んで今日はもう寝てしまおうと思って、はソファから跳ね起きた。 ふと物音に目が覚めると、誰かがベッドの脇に立っていた。 一瞬、それが誰なのか理解できずに身体が強張ったけれど、「あれ、起こしちゃった?」という低くて小さな声で気付いた。 「ただいま。起こしちゃった?」 「おかえり…」 寝起きであった所為か、自分の声もすっかり掠れてしまっている。 時計を確認しようとしたけれども、佐助の影になっていて見ることが出来なかった。 「いま、何時…」と尋ねると、佐助は小さく笑って目を塞いできた。 「いいよ、寝てて」 「んー…ごはんは?」 「テーブルに上がってたやつ後で食べる」 「じゃあ、味噌汁あっためるから…」 「いいって。自分でやる」 おやすみー、とひそひそ話のように囁かれる。 そのまま佐助が離れようとしたから、咄嗟に彼の服の裾を掴んでしまった。 佐助が、少しだけ驚いたように目をまるくして、それから優しげに顔を緩めた。 「なーに、どうしたの」 「や…、なんでもない」 「は寂しくて一人じゃ寝れないのかなー俺様が添い寝してやろっか」 「おやすみ」 ぱっと裾を離して布団を引き寄せると、佐助が喉の奥で笑った気配がした。 頭を撫でられて目を瞑ると、額にちょっと湿った感触がした。それから、頬っぺたにも。 「なに?」 「おやすみのちゅーです」 ばかじゃないの、と言って笑うと、佐助もへらりと笑ってぎゅうと抱きしめてきた。 ふわ、と煙草の香りが鼻腔をくすぐる。佐助、煙草吸ってたのかな。煙草のことなんて、聞いた事もなかった。 ベッドに寝たまま佐助の背中に手を回しながら、どこに行ってたの?という喉まで出掛かった言葉を飲み込む。はあ、という佐助の満足げな溜息が聞こえた。 佐助は最近、やたらとスキンシップが多い。 それは単に甘えているんじゃなくて、そろそろ時間が近いからだろうな、とは思っていた。 いつもなら甘えていた筈のことを、自分でやろうとすることが多くなった。家事だってちゃんと手伝ってくれる。 喜ぶべきことなんだろうけれども、にはなんだか、佐助が今までの恩を返そうとしているように映るのだ。多分、思い違いではない。終わりは確実に近付いていた。 一週間くらい前、佐助の前で泣いてしまったことがあった。 それまでは漠然としか考えたことが無かった"終わり"を、佐助という誰よりもの近くに居るひとが居なくなるという現実を目の前に突きつけられて、は立っていられなくなるほどの衝撃を受けた。自分が、佐助にどれだけ精神的に依存してしまっていたかを知ってしまった。 あのとき佐助は、一生懸命「ずっと傍に居るよ」と囁きながら、不安で押しつぶされそうになっているを慰めようとしてくれた。 嘘でも嬉しかった。本当に。 だから、決めたのだ。 少しずつ、佐助が居なくなった時のための準備をしよう、と。 この生活を思い切り楽しみながら、ちょっとずつ離れていこう、と。 「佐助」 「うん?」 「大好き」 「…知ってるよ」 俺も、すっごい好き。 思わず溢れた、という感じの声だった。 ぎゅう、と胸が締め付けられて、愛しさが込み上げる。 「もうちょっと待っててね、」 「何を?何の話?」 「わかんなくていいんだ」 「なによ」 「ほんと、好きだよ」 佐助の腕に力が篭もる。 オレンジ色の髪の毛の中に手を差し入れてわしわしと掻き混ぜると、佐助は小さく「頭ぐちゃぐちゃになる」と笑った。 外から帰ったばかりで少し冷たかった佐助が、と同じ温度になる。 じわりと行き交う体温が愛おしくて、その少し硬い髪の上にひとつキスをした。 今はまだ、もう少しだけ、この腕を離したくないのだ。 (080930) |