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ペット思いのご主人様は、夜遅くに帰ってくることは滅多にない。酒も機会飲酒だけで、家の中では滅多に飲まない。たまに実家からいい酒が送られてくるから、それを飲むときくらい。別に酒が弱いというわけではない。むしろ中途半端に強くて、しかも飲んでも顔色が全く変わらない。だからこそ厄介だ。まだ大丈夫だろうと思って自分も飲んでしまうし相手にも際限なく勧められてしまうから、気が付いたら泥酔状態で大変なことに、という場合も多々ある。 今日は、大学時代の友人とばったり出会って一緒に飲んでくることになったから、という連絡が入った。なんだか嫌な予感がして、飲み過ぎないようにねと注意したのだが、やっぱりそれは無駄だったようだ。 「ただいま〜〜」 不規則なヒールの鳴る音がして、まさかと思って玄関のドアを開けると、案の定酷く酔っ払ったが雪崩れ込んできた。そのまま突っ伏してしまいそうなの身体を間一髪で支える。ちょっと、いやかなり酒臭い。もう立っていることもできないようで、は全体重をこちらに預けてきている。別に重いわけではないのだが、軟体動物のようにぐにゃんぐにゃんに力の抜けた体は思ったよりも支え難い。 「ごしゅじんさまが、お戻りになられたぞー!」 「ちょ、!静かに」 「嬉しいか、さすけー!」 いい具合に酒の入っているはもうなんだか楽しくなってしまっていて、軽い躁状態だ。上機嫌で笑い声を抑えることもなく、可愛いやつめーと叫んでいる。自ら首に手を回して佐助を押し倒そうとしてくるこの状況は、常であれば結構美味しいかもと思えてしまうところではあるが、酔っ払い相手では話が別だ。 「もー、だから飲みすぎ注意って言ったのに…」 「飲んでません、全然酔っ払ってもいません」 「はいはい…」 酔っ払いの言うことはいつも一緒だ。どうして泥酔している人間っていうのはいつも、自分だけは酔っていないと主張するのだろうか。は佐助に凭れ掛かりながら、時折気持ち悪く笑いながら何かぶつぶつ言っている。 これは自分では動かないなと判断して、の膝の裏に腕を入れ、背中を支えて持ち上げる。 「うひゃーお姫様だっこ!」 が何か嬉しそうに足をばたつかせたが、正直持ち上げにくいから大人しくしていて欲しい。 暴れるに髪を引っ張られたり胸に拳を食らったりしながら、足で寝室の扉を開けて、をベッドへと運び込む。 ぼすん、とスプリングのきいたベッドにの身体を落とすと、彼女は何が面白いのかやっぱり楽しそうに笑っていた。 「さすけ、お水!」 「わかったから、そこで寝てなさい」 まったく、ペットにご主人様の世話をさせてどうする。 冷蔵庫からペットボトルに入った水を取り出して持って行く。ついでに、メイク落とし用のコットンと、お湯でしぼったタオルも持っていった。 「ホラ、水」 の上半身を起こして口にペットボトルを宛がうと、は喉を鳴らしながら一気に水を飲んだ。口の端から飲みきれなかった水が零れている。あーあ。これは多分、明日は二日酔い決定だ。 ベッドの上でごろごろと転がるを押さえつけてコットンでメイクを落としてやる。 完全武装されたメイクが落ちて、女ならばみんな嫌がるスッピンが曝される。は目をつむったまま、「くるしゅうない、褒めてつかわす」とか意味のわからないことを言っていた。 アイメイクを落として、唇にのっていた色を落として、最後に熱い湯で絞ったタオルで顔を拭いてやる。が何かむーむーと文句らしきことを言っていたが無視した。 「さすけー」 ペットボトルを枕元に置き、コットンとタオルを片付けようと立ち上がると、機嫌の良さそうな声を出しながらが目を開けた。おいでおいでと手招きしながら、その表情は悪戯を思いついた悪餓鬼顔をしている。 やれやれ…と内心色々なことに呆れながらもの方に身体を近づけると、もうちょっと近くに来い、とまた手招き。 「なあに、…」 さらに顔を近づけると、突然襟首をつかまれて強く引き寄せられた。咄嗟に身体を引いたが、急なことにバランスをくずしてベッドの上に倒れこんでしまった。ベッドの上、正確にはの身体の上に。 の腕が首に巻きついて、さらに佐助の身体を引き寄せる。 「佐助…」 が吐息に乗せて、名前を呼んだ。先程までの悪戯小僧の表情は消え、今そこにあるのは艶かしい大人の女の顔だった。 思わず、息が止まる。 さすけ、ともう一度が名前を呼んで、唇が触れ合った。 上唇を甘噛みされて、下唇をちゅっと吸われる。舌でぺろりと舐められて、思わず薄く口を開いた。 の手が背中に回される。薄っすらと開いた唇の中に、の舌が侵入してきた。 「さすけぇ…」 ぬるり、と舌が触れ合う。それが合図だったかのように、身体に火がついた。 侵入してきた舌を捕らえて、逆にの口腔内を蹂躙する。噛み付くように角度を変え、強く吸って、歯の裏を舐める。 先程飲みきれなかったミネラルウォーターの伝ったそこに、今度は唾液が伝った。 「んぅ…」 の口から、鼻にかかった声が漏れる。それが直接脳髄を叩いて、眩暈がしそうだった。 から漂う酒のにおいすらも、佐助を煽る材料になる。 やばい、やばい、これはやばい。 頭の中で警鐘が鳴る。ここで止めろ、戻れなくなるぞ、と。 がその足をするりと上げて、佐助の身体に擦り付けてきた。タイトスカートがめくれ上がって、白い脚があらわになる。 それを視界の端で捕らえながら、頭の中では未だ激しい葛藤が続く。 (どうする?このまま続けちまってもいいか…) (いや、それはマズイ。後が怖い) (仕掛けてきたのはの方だし) (俺はペットだろ、この生活失ってもいいのか) (そろそろ潮時だ、もうこのまま頂いて消えちまえばいいじゃないか) の手が、佐助の腹をゆっくりと確かめるように撫でる。 「…はっ」 唇が離れるわずかの間に漏れる息が艶かしい。 (もういいじゃん。欲しかったんだろ、ずっと) の、うっすらと開いた目が涙を湛えてこちらを見ている。 そうだ、欲しかった。いつからかは覚えていない。 ペットとして頭を撫でられているときも、優しく名前を呼ばれているときも。 本当はペットとしてじゃなく、男として、に触れたくて触れて欲しくて堪らなかった。 恋とか愛とかそんな綺麗な感情じゃない。 確かに自分は、薄汚い欲を以ってを見ていた。 この唇を貪り喰って、その身体を抉って、ペットとしてではなく一人の男として、自分の名前を呼ばせたい。 目を背け続けていた感情が、一気に腹の底から湧き上がって来る。 「さ、すけ」 白い手が佐助の髪に絡まる。 ああもう、どうにでも、なれ。 そう思って、の脚に手を這わせたその時だった。 どすっ! 「………っ!!」 油断しきっていた身体に、突如として衝撃が走る。 突然の出来事に、まったく意識がついていかないまま激しく咳き込む。 の拳が鳩尾に入ったのだと気付くまでに少し時間がかかった。 (一体なんなの…!?) わけもわからず組み敷いたの顔を見ると、先程までの艶っぽい表情は消え失せ、また悪戯小僧の顔に逆戻りしている。 「おいこらさすけ、ごしゅじんさまに欲情するとはなにごとだ」 「げほ…え、な、なに?」 「小生意気なペットめ、こうしてやる!」 「ちょ、まっ…」 未だ涙目で腹を押さえる佐助の肩を押して、今度はが馬乗りになった。 展開についていけず、されるがままに押し倒される。 はそのまま佐助の頭を抱きかかえ、満足そうに息をついた。 「あたしのかちね」 「…」 もう勘弁して。誰かこの酔っ払いなんとかして。 どっと疲れが襲ってきて、佐助は力いっぱい溜息をついた。 先程までの態度は一体なんだったのか。いや、酔っ払いにそんなことを聞いても仕方が無いか。 彼女はまた、女からご主人様という生き物に変化してしまっていた。甘い声で名前を呼び、舌を絡めていたは今、どこにもいない。 中途半端に興奮した身体と意識が一気に醒める。 「佐助、イイコ。大好きよ」 がいつものように、ペットに対する愛情がつまった手付きで髪を撫でた。 ―佐助、イイコ。 撫でる手がだんだんとゆっくりとなり、やがて佐助の髪に絡まったまま止まる。 抱きかかえる腕の力が緩くなり、の唇から穏やかな寝息が聞こえ始めた。 ―大好きよ。 頭の中で、ご主人様としてのの言葉と、先程見せた女としてのの顔が交互に現れる。 優しくて柔らかくて温かくて、惜しみない愛情を注いでくれるご主人様。 甘い声で自分の名前を呼び、白い指先で情欲を煽るという女。 ―佐助、イイコ。大好きよ 暖かい寝床と優しい腕だけあればいいと思っていた。 だが、急速に心と身体を侵食してゆくこの感情を、どうやって誤魔化せばいいのだろうか。 「俺このままじゃ、悪いコになっちゃうよ……」 酒のにおいが充満するベッドルーム。 白い女の腕に抱かれながら、ペットになり切れない男は重い溜息をついた。 (070104) |