騙された。まあ、予感はしていたけれど。
目の前、クリスタルカットのグラスの中の飴色の酒を揺らしながら、俺は結構不機嫌だった。
勿論そんなことは顔に出したりしない。そんな空気の読めない行動をとれる程神経太くもない。

ペットなんかやっちゃっている俺にも当然人間としての生活がある。大学生活、それも一つ。
そして今やっている、飲み会という名の合コンだってその一つ。

あんまり授業に出席しない俺だが、大学生活を円満にするために、つまりは講義のノートとか出席代返の協力者を得るために影ではそれなりの努力をしている。いろいろな意味で友人関係というものは大切だということだ。
そんな友人から「Hey、猿飛。飲みに行くからお前も来いよ」というお声がかかった。ちなみに提案ではなく強制だ。
正直とっとと帰りたかったのだが、雰囲気に流されてというか半ば引き摺られるように連れてこられた店には、当然のようにこちらの人数と同じ人数の女の子がズラリ。
あーあ、やっぱり。そうだと思ったよ。うん。

ここまで来てしまったら、もう「俺用事あるから…」なんて後戻りはできない。仕方なく、メールでに『今日友達と飲んでくから』と送る。暫くして『はーい』という句読点も何も無いメールが返ってくる。忙しいのだろうか。
のメールはとても味気ない。顔文字もなければ絵文字もない。酷いときには句読点も漢字もない。
一度にそのことを指摘したことがあった。
返答はこうだ。

「自分から遠い関係にあるひとに送るメールほど、絵文字が増える傾向にあるの」

分かるような分からないような。

視界の端で、女の子にアド交換しよーと迫られちょっと焦ったような顔をしている旦那が見える。おそらく、旦那も無理矢理連れてこられたクチだろう。苦手なのにね、こういうの。ご愁傷様。

始めた時間が遅かったから、気付いたときにはもう時計は22時をまわっている。今日は、が毎週楽しみにしているドラマの日だ。テレビのチャンネルの決定権はが掌握しているから、当然のことながら俺もそれを毎週一緒に見ていた。きっと今頃、はあのお気に入りのクッションを抱えながら、あのアイボリーのソファに座ってオープニングを見ているところだろう。本当ならば今頃、と一緒にテレビを見て、あの柔らかい手を享受しているはずだったのに。
あー早く帰りたい。

にこにこと適度に愛想を振りまいて、適当に女の子のご機嫌を取りながら、二軒目の店へ向かおうとした時だった。



「ね、二人で抜けちゃわない?」



腕に押し当てられる柔らかい感触に振り返ると、柔らかい茶色の髪の女の子がひとり。なかなかの美人。しかも巨乳。スカートから伸びた足はすらっとしていて綺麗。評価はAプラス。口に出したら張っ叩かれそうなことを思いながら、「あー…」と曖昧に言葉を濁す。
「だめ?」
世間ではこういう女の子を可愛いと評すのだろう。小首をかしげてこちらを見てくるその計算ずくの仕草は嫌いではない。

よく見ると、髪形がに似ている。アプリコットブラウンの柔らかそうな髪。今この提案に乗れば、たぶん、いや確実にイイ思いができるんだろう。それはちょっと魅力的な話だ。久し振りだし。
しかし、の顔がちらついた。膝を抱えてソファにすわり、ユニクロで買ったワンピース型の部屋着と縞模様の毛糸の靴下を履いて、カフェオレボウルを両手で持ちながらテレビを見ているであろうの様子が。
目の前の非常に魅力的な提案と、家で待っているご主人様とを天秤にかけて、結局俺の口から出た言葉は
「んー、ごめん」
だった。信じられない。



「俺、やっぱこれで帰るわ」



柄にも無く幹事なんてやっちゃってる伊達の旦那に耳打ちすると、思いっきりしかめっ面された。
ちらりとあのアプリコットブラウンの髪の女の子を横目で見て、
「Ha,いいのか?」
て聞いてくる。うん、良くは無いけど、ま、いいよ。
「そんなに抱き心地のイイ女なのか、今の女はよ」
覗いた左目が、面白そうに細められた。からかう気満々、という表情。



「…ヤッてないよ」
「What?どうした、病気なんじゃねーのか?」
「だって俺、彼女の従順なペットですから」



伊達の旦那が、わけわかんねえ、って顔をしている。
詳しく説明する気もなかったから、そのままひらひらと手を振って背を向けた。
















家に帰ると、案の定クッションを抱え込んで座っているの姿があった。
テレビを付けっぱなしのまま、眠ってしまっている。
いつも見ているドラマはとっくに終わってしまっていて、が自分でチャンネルを変えたのか、今はひとむかし前の映画が画面に映りこんでいた。

予想通りの光景だが、ひとついつもと違うところがある。
が座っているのは、定位置である筈のソファの上ではなく、いつも佐助が座っている、床の上。
正確には、ベージュのラグの上だった。
そこに、ソファに寄りかかりながらが座っている。



「このラグ、いつ…」



今日の朝までは、ソファの下にラグなんて無かったはずだ。今日買ってきたものなのだろうか。
着ていたダウンジャケットをハンガーに掛け、足音を忍ばせての傍に寄ろうとラグに足を乗せると、足の裏がじんわりと暖かくなった。どうやら、電気カーペットのようだ。
見ると、ラグの端から無粋なコードが床を横切り、部屋の隅のコンセントに伸びている。



「なんで、急に…。…!」



「んー」とが身じろいで、うっすらと目を開けた。起こしてしまったみたいだ。
はふらふらと視線を彷徨わせたあと俺の姿を確認すると、ゆるく微笑んだ。
「おかえり、さすけ」
まだ半分眠っている声に、ただいま、と答える。



「はやかったね」



はそう言いながら、こっちにおいでと手を動かす。
毛布にくるまりながら座るの隣にしゃがみこむと、いつものように儀式的に頭を撫でられた。



「髪、つめたいねえ。さむかったの?そと」
「うん。寒かった。だから早く帰ってきちゃった」
「おいで、ここあったかいよ」



が、毛布をめくって隣をぽんぽんと叩く。俺は導かれるままに、彼女の隣に座った。
さっきまで眠っていた所為なのか、それとも毛布と電気カーペットの力によるものなのか、の体はとても温かい。
小さな毛布は、大人二人が包まるにはちょっと大きさが足りない。
テレビから、英語の歌が流れている。意味は分からないけれども、ゆっくりとしたテンポの穏やかな歌だ。

の細い腕が、こちらに伸ばされる。白い手が冷たい俺の髪を撫でて、優しく頭を抱き寄せられた。
胸に抱きこまれて、優しい香りと温かさが一気に身体に広がるようだった。

「カーペット、どうしたの?」

と聞くと、まるで子供をあやすように、背中を撫でられた。



「これで、佐助もさむくないよ。フローリング、冷たかったでしょ?」



いつも佐助ばっかり床に座らせてごめんね。そう言って頭のてっぺんにキスをひとつ。

ぎゅう、と息がつまるような感覚が胸に押し寄せてきた。
心臓から喉へ、何かが押し寄せてきてうまく呼吸ができない。
頭の芯がじんじんする。

あ、俺、今幸せなんだ。



「大事なペットのためだもの」



の手が俺を撫でる。身体だけじゃなくて、心も一緒に。
今まで感じたことのない、お湯みたいなあったかい感情がふつふつと湧いてくる。

ここが良い。
すらっとした足よりも柔らかい胸よりもつやつやした唇よりも。
古くさいクッションとベージュのラグと縞模様の毛糸の靴下の方がいい。
ここが良い。
今はまだここがいい。



誰も見ていないテレビの中では、二人の恋人達が微笑んでいた。











(071220)