ひたり、冷たい滴で目蓋が開いた。
だるい。身体中が布団に根付いてしまったようで、痛む節々に顔を顰めながら、それでも首を回した。
さらりと前髪を退ける冷たい手が気持ち良くて、つい目を閉じまどろんでしまう。
しかし発熱に回りの悪くなった頭が一つ二つ間を開けて、漸く今の現状を理解した時、
跳ね起きようとした半身は片腕一本であっさり布団へと押し戻されてしまった。

「寝ていろ」
「・・・何で?」

寝ているように言われた事が不思議だったのではない。つい今しがたまで、自分はこの部屋に
一人で眠り込んでいたはずだ。
布団へ潜った頃はまだ外も明るかったはずが、視線だけで見やった窓はすっかり暗く塗り潰されていた。
どれだけ眠り込んでいたのだろう。
ちらりと視線を戻せば、「何で」と言われこちらを見返す、呆れ返った幸村のこの顔。と、細く長い嘆息。
何となく居心地が悪くなって、布団を鼻先まで引張り上げた。

「風邪気味だとメールを寄越したのはお前だろう」
「・・・そう、だっけ」
「覚えておらぬのか」
「・・・ ・・・ すこしも」
「その一通以降、うんともすんとも言わなくなったからな。よもや部屋で
くたばっておるのかと思って寄ってみれば案の定だ」
「・・・ごめんなさい」

もう一つ嘆息を洩らした幸村が、濡らした手拭いで首筋を拭い始める。
それが少しこそばゆくて、逃そうとした肩を掴まれる。どの道このだるさでは腕一本動かす事さえ
億劫だったのだから、大人しくそれに従う事にする。
幾らか拭き終えタオルを放った幸村が、別のタオルを水に絞る間、ちらちらと髪を揺らす姿をじいと眺めていた。
あれやこれや、言おうとした言葉はひりついた喉に張り付いたまま出てこない。
寧ろ下手な事を言えばまた説教をされそうで、大人しく黙りこんだまま、一つ小さく咳き込んだ。
つと幸村が振り向いて、かち合った視線を慌てて逸らそうとするより早く、べしん、と冷たいタオルを
額にぶつけられる。それをずらして恨みがましい視線を向けたに、やはり同じ、恨みがましい視線が返る。
どうして自分までこんな目で見られねばならないのか。

「・・・ゆきむら、痛い・・・私病人・・・」
「済まぬ。・・・お前もついてないな」
「・・・何よ」
「毎晩遅くまで起きておるからだ」
「・・・そんな遅くまで起きてないよ」
「あれだけ体調に気を付けるよう言っておいた筈だろう」
「・・・幸村、怒りに来たのか看病してくれるのか、どっち」
「怒ってはおらぬ。はそれ程俺の心労を増やしたいのかと思ってな」
「・・・怒ってるんじゃないの・・・」

心配してくれたの?
少し口を尖らせて、せめてもの反撃に呟いた。
ねぇねぇ、布団から伸ばし幸村を突付いた手は、早々に布団へ押し込まれてしまった。
無言のまま、それでも拗ねたようにそっぽを向いた幸村がおかしくて、つい小さく笑ってしまう。
じろりと視線だけで睨まれはしたものの、あの顔ではどうにも迫力に欠ける。
暫しにやにやと笑んでいたが、しかしバツの悪そうな顔をした幸村が、

「明日の予定は全て取りやめる事だ」

さらりと言ってのけた声に、一瞬遅れ、思わず素っ頓狂な声を上げて飛び起きた。
そうしてまた、片腕一本で布団へと戻される。どうでも良い話、先程から布団へ戻すこの力が強すぎる。
ぼすんと倒されるだけで頭が揺れる病人なのだから、もう少しお手柔らかに出来ないものか。
でも、だとかだって、だのと口中でもごつかせていると、幸村の細まった双眸がちろりと向けられる。
常ならば有無を言わせないものではあるが、今度ばかりは黙っていられない。

「あしたは、だめ、」
「そうだな、駄目だ」
「違、そう言う意味じゃ、なくて・・・!あしたは、」
「・・・それ以上熱を上げる気か、子供じゃあるまいに」

だって、と言いさした口を、とうとう噤んでしまった。それに小さく苦笑した幸村が、少し冷えた手で
頬を撫ぜて来る。離そうとするのを追いかけて、大きな掌に擦り寄った。
冷たいのが心地良くもあるし、単に幸村の手が好きだと言う事もある。
少しかさついていて、ごつごつと無骨な細い指。その癖酷く繊細な動きをしてみせたりもするのだ。

「冷たいだろう」
「んん・・・気持ちい」
「暫く寝たきりだな」
「・・・やだ」
「我侭を申すな」
「だって、買い物行こうって言ったじゃん・・・」

誕生日にどこかへ行こうと言ったのは、元々幸村の方だ。
今年の誕生日は日曜で二人とも休み、これは好機と何週間も前から色々と考えを巡らせていた。
あれもこれもと雑誌を見せては幸村も笑みながら頷いて、しかし期待が大きかっただけに落ち込みも激しい。
しょんぼりと布団へ潜り込んで、己のタイミングの悪さを呪う。どうせ発熱するなら来週でも良かったではないか。

「悪化させてはミもフタもなかろう」
「・・・すんごい、楽しみにしてたんだよ」
「俺も同じだ」
「あれもこれもって」
「あれを買ってやろうかこれも買ってやろうかとな」
「映画も見たいし腕なんか組んじゃってさ」
「腕にしがみ付いたを連れて、夕食は前言っておったレストランだな」
「ちょっと、お酒のんでさ」
「ケーキも食べ終えたら後は予約していたホテルだな」
「・・・それは聞いてない」
「言っておらぬからな」
「言っ・・・ あ、日付変わっちゃった」

泣きそうな声でそう呟くなり、悪戯をしたような顔で、幸村が小さく笑った。
あーぁと大袈裟に洩らした溜息に尚笑い声を立てて、の髪を柔らかく梳き始める。
幾度も同じように繰り返す掌の感触に、再びまどろみが滲み出して、瞬きの間隔も減り始める。
あれだけ寝たのに、とぼんやりとした頭で呟いた。

「今日は一日中ここにおる・・・だから大人しく寝ておれ」
「・・・ずっと?一緒に?」
「ずっとだ。・・・出掛けるのはお前が完治してから改めて行けば良い」
「・・・じゃあ我慢する・・・」

ちぇ、とむくれながらも、いい子だと頭を撫でる手に口元が緩んでしまう。
ずっと、と言うのだから、今日が終るまで傍にいてもらう事にでもしようか。
それならば、今日が始まってから丸一日一緒にいられる事になる。それはそれで嬉しい。
ふと思い出したように腕時計を見やった幸村が、すいと首元へ顔を寄せ、吐息混じりに呟く声がする。
「おめでとう、」
(お前が産まれた今日と、母君へも礼を)
「明日ゆっくり寝ていられるよう、家事も全て済んでおるからな・・・と言うか何だあの薬缶はまた何をした」
「え、えへ、ヤカンはあの、黙秘で・・・  ・・・全部?あ、あのあれ、せ、洗濯も?」
「無論」
「む、無論ってだってあれ、あの中にはほら、」
「下着もあったな・・・もう少し色気のあるものでも俺は良いぞ」
「ぎゃー!ば、馬鹿!」
「騒ぐな、熱が上がる」
「誰のせいだと・・・!!」







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華焼さんから頂いたお誕生日夢!大感謝…!