#01
前の席に座っている男の子は、背が高い。だから当然、座高だって高い。
対してはあんまり背が高くないほうだから、背の高いひとが前に座っていると黒板が見えにくくて大変だ。だからくじびきでこの席が決まったとき、前の席の男の子にくじを交換してもらおうかなと思ったのだけれども出来なかった。前田君とは、ほとんど話したことも無いし仲が良いわけでもなかったから。

席が前後になったから、これからは話すようになるだろうし、そしたら席の交換のことを言ってみようかなと思っていた。けれど、席替えから一週間経ったあとも特に前田君と話をする機会はなかった。前田君には友達が多かったから、が入る隙なんてゼロだ。


古典の時間には、とくにこの背の高さの違いが死活問題になる。古典の先生は黒板に書いたことをすぐに消してしまうから、もたもたしているとノートに書き写せなくなってしまうのだ。

ちょっとだけ苛々しながら、前田君の背中を見ると、背中に何かが貼ってあるのを発見した。値段の書かれたシールだ。書かれた額は105円。きっと前田君の友達の悪戯だろう。
放っておけば良かったのかもしれないけれど、なんだかすごく気になってそわそわしてしまう。そんなにぺったり貼られているものでもないし、そうっと取れば気付かれずに済むかも、と思い手を伸ばした。静かに、そうっと慎重にシールを取った…筈なのに、前田君はそれに気付いてぱっと振り返ってしまった。


「なに?」


ごく小さな声で尋ねられる。ど、どうしよう。別に悪いことをしているわけでも無いのに、ちょっと挙動不審になってしまう。「これ、ついてたの」とこちらも小さな声でシールを見せると、前田君はそれを受け取って「あ、くそ。元親だな」と呟いた。


「ありがとね」


シールを丸めて、前田君がにっこり笑った。人懐こそうな可愛い笑顔だった。びっくり。
と、そこまでは良かったのだけれども、前田君が「じゃあにこれあげるよ」とその丸めたシールをあたしの机に置いてきた。いきなり呼び捨てにされたことにまずすごく驚いてどきっとしたけれど、すぐに我に返って「いやいらないよ」とそのシールを前田君に返す。

そこで先生が突然前田君を指して、前田、今のところを訳せと言ってきた。当然のことながら、それまでの話を聞いていなかった前田君は答えられない。すると今度はに訳が回ってきたのだけれども、前田君と同様に話を聞いていなかったも答えられない。


「まったく、授業中にいちゃつきおって」


先生の冷やかしの言葉に、クラスの皆も前田君も笑ってたけど、あたしはなんだか気恥ずかしくてあんまり笑えなかった。














#02

「ねえってさ、どこに住んでるんだい」


いつもは授業が終わるとすぐにどこかに行ってしまう前田君が、大きな身体をこちらに向けてきたのは、とても天気のいい日のこと。
なんで突然こんな質問…と思いながらも、家の場所を説明する。すると、前田君が「ああやっぱり」と何か納得したように言ったから、首をかしげて何がやっぱりなのかと聞いてみた。


「あの角のコンビニのとこでさ、よくを見かけるから」


それを聞いて、身体を固まらせてしまった。の家のすぐ近くにはコンビニがあって、確かにそこにはよく行っている。だが、問題はそこでの服装のことだった。家のすぐ近くだし、あんまり学校からは近くないところだから、その、油断してよく適当な部屋着のままそこに行くことがあるのだ。
み、見られていたら、どうしよう。と思っていると、まるでその心を読んだかのように前田君が、「なんかいつもリラックスした格好で出てきてるよな」と言ってきた。
そういうことは知らないふりをしておいてよ、もう!


「実は俺の家もあそこの近くでさ」


前から、もしかしてもあの辺に住んでるんじゃないのかなって思ってたんだ。
前田君が近くに住んでいたなんて、初耳だった。前田君は色んな意味で目立つ人だから、近くに住んでいたら気が付きそうなものだけれど。「そんでさー」と前田君は言葉を続ける。


「家も近いことだし、一緒に帰らない?」


急な申し出に、目をまるくする。
でも断る理由が見付からなくて、流されるように頷いてしまった。

やった、俺もっとと話してみたかったんだよね。
なんて、またにこにこしながら言うものだから、うっかりときめきそうになってしまったわけで。














#03
慶次でいいよ。
帰りに寄ったコンビニで買ったアイスを食べながら、前田君が唐突にそう言った。
なんだかんだで一緒に帰るようになってからあっという間に二週間。確かに、前田君、だとよそよそしい感じがするかもしれない。もう今更だけど。
「慶次君でいい?」と尋ねると、彼は、君は余計、と首を振った。


「慶次?」


名前を呼ぶと、満足そうに頷く。彼…慶次は図体はでかいくせに、ときどき可愛らしい仕草をする。それがなんだか憎めない。話も楽しいし気をつかってくれるし顔は格好良いし、こうやって毎日毎日一緒に帰っていると、なんだか恋人同士であるかのような錯覚にすら陥る。

「そういえばさ、は恋してないのかい」

…発言も、図体に似合わず可愛らしいというか恥かしいというか…。慣れてはきているけれど。「慶次は恋してないの?」と聞くと、彼はとても優しそうに目を細めて「してるよ」と答えた。

そっか。してるんだ。そっか。

なんとなく胸のなかがもやもやして、融けかかっているアイスに齧り付いた。





それからまた何日も過ぎて、いつものように一緒に帰ろうと慶次に声をかけると、ごめん、と手を合わせられた。
「今日寄るとこあるから、先帰って」という慶次の言葉に頷いて、そういえば一人で下校するのは久し振りだなあと思う。早々に教室から居なくなった慶次の後姿に軽く手を振って、自分も帰ろうと鞄の中を整理していると、後ろから「ねえ」と声をかけられた。
振り向くと、おなじグループの友達がにやにやしながらこちらを見ていた。


「ね、やっぱと慶次って付き合ってるの?」


からかう気まんまんといった表情にちょっとうんざりしながら、溜息をつく。この手の話が大好きな子なのだ。尾ひれどころか胸びれ背びれまで付けられてあることないこと流されてしまうはめになりかねない。


「違うよ。家の方向が一緒だから、一緒に帰ってるだけ」


そう答えると、この子はとても変な顔をして首をかしげた。おかしいな、と腕を組む。
そうしてその後に続いた言葉に、口をぽかんと開けてしまった。



「だって、慶次の家って学校のすぐ近くじゃん」



………え?














#Last...?

慶次の家は学校のすぐ近く。まさか、と思っていたのだけれど、慶次と仲のいい友達に聞いて、それが真実なのだとわかった。の家の近くに住んでるなんて、嘘だったのだ。
思えば確かに、家が近くだという割には登校のときには全然会わないし、これまで家の近くで慶次を見たことなんてなかった。
どうして?っていう気持ちはすごくあったけど、結局慶次には聞けず仕舞いのまま、変わらずに一緒の下校を続けている。「なんで?」って聞いたら、きっと慶次はもう一緒には帰ってくれなくなる、そんな気がしたからだ。
慶次と一緒に帰れなくなるのは、正直嫌だ。理由なんてわからない。とにかく嫌だ。


ぽかぽかとあったかい昼休み、後ろから服をつんと引っ張られた。
一体誰だろうと思って振り返ると、そこに居たのは件のおとこ、前田慶次だった。
これ付いてた、と慶次が見せた人差し指には、値段のついたシールが貼られている。
記された額は、105円。誰の悪戯だろう。


の値段は税込み105円なんだな」

「うわーペットボトルのお茶より安い。お買い得だよ」


買っとく?と笑いながら105円のシールを受け取る。次の授業中、隙をみて慶次の背中にそっと貼り付けてやろうと思って、丸めたりはしなかった。くだらない悪戯だけど、これが結構楽しいのだ。


「買って良いの?」


随分上の方からかけられた声に「へ?」と間抜けな返事を返す。見上げると、慶次が柄にもなく真剣な顔をしていてびっくりした。
買う?なにを?え?あたしのこと?
「105円で買えるなら俺買いたいんだけど」と続けられて、さっき聞いた言葉が夢じゃないんだと知った。慶次の目は至って真剣だった。心拍数が一気に上昇する。た、大変だ。


「あたしそんな安い女じゃないの!慶次が石油王くらいのお金持ちになったら買われてあげてもいいよ」


慶次の真剣な目をそれ以上直視できなくて、笑いながらそんなことを言ってしまった。その場にそれ以上居ることも憚られて、せっかく綺麗に受け取った105円とかかれたシールも丸めて慶次に背を向ける。すぐに、笑い混じりの慶次の声が聞こえてくるかと思ったんだけど、残念ながら慶次の口から出てきたのは全く別の言葉だった。


「俺ん家、実はの家の近くじゃないんだ。知ってた?」


慶次の手が、すごく弱い力での手首を掴む。あったかくて大きくて、ごつい。
きゅう、と心臓のあたりが締まる感じがした。なんだろう。でも、嫌じゃない。


「…帰り、あのコンビニでスーパーカップのバニラおごってくれたら買われてあげてもいいよ」


振り向いて見上げると、慶次はあのにっこりと眩しい笑顔で笑った。
また、ぎゅうと心臓を締め付けられる。
ねえ慶次、105円であたしを買ったら、慶次はあたしをどうするつもりなの?














(080525)