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やくそくだよ
約束だよ 頭がぼうっとする。 朝ごはんでは、目玉焼きに醤油をかけすぎちゃったし、学校の授業には全然集中できなかった。 ぼーっと教科書を見ているその様子が先生にはすごく真面目に教科書を読んでいるように映ったらしく、いきなり当てられてしまうし、それに答えられなくて課題を出されちゃったし、もう散々だ。 暇さえあればぼーっと唇を触っているを見て、友達からは欲求不満なんだよとかなんとか言われた。 次来たら、もっと先のことするから。 佐助の言葉が頭の中で反芻される。その意味がわからないほど子供ではなかったけれども、だからといって知っているのかと言われれば項垂れるしかないあたりやっぱり子供なのだ、自分は。 佐助は、中学生のころから彼女だっていたし、そりゃ、いろいろ経験もあるのだろう。 だが生憎と、はもう佐助ばかり見て佐助ばかりを思って青春時代を台無しにしてきてしまった報われない女だ。クラスの男の子に告白されたことはあっても、付き合ったことなんてない。 こんなとき、どうすればいいのか分からないのだ。 だから、恥を忍んで友達に聞いてみた。勿論、相手は佐助だとは伝えずに。 こたえは、「相手ものことが好きに決まってる、いってしまえ!」だった。 そうなんじゃないのかなあと朧げには思っていた。が、他人の口から聞くと、それが急に現実味を帯びてくるから不思議だ。 佐助も、のことが、好き。 そうだとしたら、本当に嬉しい。こんな嬉しいことって他にない。どうしよう。ずっとずっと好きだった。今も昔も、の心の中は佐助でいっぱいなのだ。妹とか兄とか、そんなことどうでもいい。 佐助が好きだ。佐助が好きだ。 確かめるにはどうすれば良いか。そんなことは決まっている。 晩飯は友達と一緒に食べてくるから。 そう言って、夕飯にも顔を出さず、風呂の時間もずらして、徹底的にと顔を合わせないようにした。 朝は、寝不足と熱に飽和した頭で勢いのままに行動してしまったが、授業中にたっぷりと眠って覚醒した頭で考えると…。やってしまった。その一言だった。 知られぬようにここまで隠し通してきたのに、この有様だ。 あの時のの顔。予想すらもしなかったのだろう。いや、もしかしたら佐助の意図が理解できていないのかもしれない。 どちらにしろ、何事もなかったかのように振舞うにはもう暫く時間が必要だった。 ベッドに寝転び、ヘッドホンでいつもの音楽を聴きながら天井を見上げる。 初恋だった。想いを告げることなど許される筈もなく、隠し通すことだけが自分に出来る全てだった。言えば、全てが壊れてしまう。息子としての立場も、兄としての役割も。いずれはどこかに行ってしまうとわかっていて、それでも諦め切れなかった。 恋人などできてしまわないようにと、出来うる限り一緒に居た。に気のある素振りを見せた男が居れば、影から圧力をかけた。 まったく、馬鹿げている。 妹への恋などと、無意味な想いに囚われた日々もここで終わりだ。ヘッドホンから聞こえてくる曲も、いい具合に失恋の歌。こんなところで空気を読んでしまうi-podが憎らしい。 ヘッドホンを外し、とっとと寝てしまおうと部屋の明かりに手を伸ばしたときだ。 「佐助」 部屋の外から聞こえてきた声に、耳を疑った。 返事も出来ずにその場に固まっていると、「入るよー」という声とともにドアが開いた。 頭の中が混乱する。 朝の言葉を覚えていないのだろうか。それともやはり、理解できなかったのか。 「佐助、怖いから今日も一緒に寝て」 枕を持って、今日もまたホットパンツにタンクトップ。本当に、理解していないのだろうか。「あのさ、」と口を開いて、また閉じる。口の中が渇いて粘膜がくっつく。やっと出した声は掠れてしまっていた。 「…なにが、怖いの」 問いながら、佐助は自分の渇いた唇を舐めた。 佐助は己が怖くなった。今夜一緒に寝たら、己が幽霊よりも暗闇よりも怖いものになってしまいそうだ。 全部忘れて、自分の欲求のままに行動して、何もかもをぶち壊してしまう気がする。 はドアの前から枕をかけたままこちらへ歩いてきた。その表情は、どこか不安そうだ。 一体何が怖いのかと待っていると、の口から飛び出したのは意外な言葉だった。 「佐助が怖い」 「……俺が?」 「佐助が…佐助が…」 わたしのこと、好きじゃないって言うかもしれないことが、怖い。 今度は、佐助が表情を無くして口を開けてしまった。 が言った言葉の意味を必死で考える。それはつまり、あれか、つまり、ええと。 「佐助のことが好き」 「…は」 「家族としての好きじゃなくて、男の人として、佐助のことが好きなの」 言葉が、耳から脳へと伝わるまでに時間がかかった。お互いに無言のまま見つめあう。あまりの衝撃に言葉を発せぬままでいると、の顔が泣きそうに歪んだ。 「ごめん…」と謝り、くるりと背を向けたの腕を咄嗟に掴んで引き寄せる。 その腕をばたばたと振り回し、は癇癪を起こしたように離せと言った。 「部屋に戻る、離して」 「ちょ…俺の話も聞けって!」 「やだ!ばかはなせ、阿呆さす…」 ぐいと顎を掴んで、嫌だ離せと喚く唇を無理矢理に塞いだ。は目を丸くして体を強張らせていたが、やがて力を抜いてこちらに身体を預けてきた。 小さく音を立てて唇が離れる。が息をしたのを確認して、もう一度塞いだ。 後頭部を抑えて、腰を引き寄せる。が抱えていたはずの枕は下に落ち、小さな手が佐助の胸元でぎゅうと握られた。 こいつは妹だとか、親のこととか、色んなことが頭の中を巡ったけれどもそんなことはもう全部どうでも良い。 グロスなんてもう塗られていない筈なのに、その唇は甘くて柔らかくて、このまま食らってしまいたいと痺れる頭の片隅で思った。 「…俺もさ、好き」 「佐助も?」 「そう。ずっと前からだよ」 「おんなじだね」 同じ布団の中に潜り込みながら、顔を合わせて笑いあう。まるでシェルターのような布団のなかでひそひそと、今までのことを語り合う。佐助は優しくの背をなでてくれる。幸せだ。 「さて、これからどうするかねえ」 「何が?」 「んー色々」 「?」 「はいいよ、分からなくても」 ひとつしか歳が違わないのに大人ぶって自分だけ分かっているふりをする佐助がちょっと腹立たしくて、どんとひとつ胸元を叩くと、いってえ馬鹿力、といつもの返事が返ってくる。「わかってるよ、お父さんとお母さんには内緒なんでしょ」と言うと、そりゃ当然でしょ、と呆れたように言われた。勿論、それだけじゃなくて、佐助には色々と思うところがあるのだろう。は、佐助が同じ気持ちであったことに満足して、それ以上の面倒くさいあれやらこれやらを考える余裕もないのだが。 佐助の胸に頬を摺り寄せながら考える。この関係に、なんて名前をつければいいんだろう。恋人、というのもちょっと変な感じがする。家族、とも違う。彼氏彼女、も違う。よくわからない。それを佐助に伝えたら、別にそんなこと気にしなくていいんじゃないと言われてしまったので、もう一度胸のあたりを殴った。 「それより佐助、しないの?」 「…」 「次に一緒に寝るときは、先のことするって言ったよ」 「……しない」 下に親いるでしょうが…と少し困ったように佐助は笑った。その言葉に、ちょっぴり安心する。よかった。その安堵の気持ちが、あからさまに現れてしまっていたのだろう、佐助がちょっと怖い顔で口を開いた。 「でもいずれするから」 忘れないでね、と凄まれて、こくこくと首を縦に振る。 それを見て、満足げに佐助が笑った。 (080509) |