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空は秋晴れ。学園祭が終わり喧噪は去り、魂が抜けたかのような無気力な日々が戻ってきた。 学園祭という免罪符を失った生徒達は不確かな未来に向けての片道切符である学業という名の重圧を押し付けられながらも、監視の目を潜り抜けて思い思いの日常を営んでいる。 もまた、非日常の騒がしさを失ったいつも通りの学生生活を問題なく消費していた。 いや、いつも通りというのは少し違うかもしれない。 学園祭から、の周りで変化したことがいくつかある。 祭の雰囲気に呑まれた周囲の学生たちに、いわゆる恋人同士というものが急増したこと。 そしても、その一人(仮)であることだ。 学園祭で、伊達政宗という学校でも屈指のイケメン(というのは何か悔しくてあまり口に出したくはないのだが)に告白まがいのことをされて以来、彼との関係はすこし変わった。 「Hey,。今日ちょっと付き合え」 「えっ…」 「部活の備品が切れてる。今マネージャーが補習で買い出し行けねえからな。手伝え」 「あ、そう…」 少し…いや、実際のところあまり変化していなかった。 実を言うと、告白まがいのことをされはしたものの、は政宗から明確な言葉を貰っていない。 即ち、恋人同士が囁き合うという好きだの愛しているだの俺たち付き合おうだのお前がいないと駄目なんだおれのために毎日味噌汁を作ってくれだのという定型文的な文句を、未だかつて政宗の口から聞いてはいなかったのだ。 こうやってパシリのように買い出しに付き合わされることも、一緒に放課後にアイスを食べにいくことも、そういえば学園祭の前でも普通にやっていたことだ。 つまり、と政宗のやっていることは、告白まがいのあの一件から何も進歩していないということだった。 付き合っているのかすら定かではない。 「わたし今日チャリ持ってきてないんですけどー」 「Ah?」 英語かぶれの発音の良い非難の声が政宗から上がった。うまいことバスに間に合う時間に起きることに成功したので、今日はそちらで登校したのだ。 政宗は面倒くさそうに首の後ろをかいて溜息をついている。 チャリの籠というの増援を期待していたのだろう。こうなってはを買い出しにつれていくメリットは無くなってしまった筈だ。 あからさまに不満を顔色に出されてしまい、も唇を尖らせた。大体、はれっきとした帰宅部というつまり無所属の人間であり、政宗の部活の買い出しに付き合うような身分ではない。それに買い出しであれば、二年の政宗ではなく一年にだって後輩はいるはずなのだ。 「ったく仕方無ェな…」 眉間に皺を寄せながら、鞄を持って政宗が教室を出ようとする。「悪かったわね」とこちらも不満たっぷりにその背に舌を出しながらはのろのろと荷物を鞄にしまった。 不機嫌が伝わった筆箱や小物入れががちゃがちゃと乱暴な音を立てながら鞄の中に放り込まれる。 「おい、何やってんだ」 「え?」 「早くしろ。置いてくぞ」 教室の扉の壁に寄りかかって腕を組みながら、政宗がその端正な眉を寄せながらHurry up!とわたしを焚き付ける。チャリの籠という増援設備を持たないわたしは用済みなのではないのだろうか。そうは思いながらも、惚れた弱みというやつだ。来いと言われれば自然に足が向かってしまう。 早く行くぞ、日が暮れる。 そう言いながらの手首を掴んだ大きな手に引きずられるように教室を出た。 政宗の手は、よりも随分と温かい。 「あのさ」 「あ?」 「…なんでもない」 チャリ、ないんだよ?という喉まで出かかった台詞はそのまま飲み込まれ腹に落ちた。 んじゃあいらねえ、という一言が政宗の口から放たれるのが怖かったからだ。 から離れてしまえば、きっと政宗は追いかけてこない。そんな予感が胸を蝕む。畢竟、と政宗は何も変化などしてないのだ。 自転車置き場まで来ると、政宗は自分の深い紺色の自転車を無秩序な列の間から引きずり出した。 まさか、は走ってついて来いと言われるのだろうか、政宗ならば言いかねないという不安は杞憂と化した。 からしてみれば随分高い位置にあるサドルへまたがった政宗は、後ろについてある荷台をぽんぽんと叩いて、「はやく乗れ」と短く言った。 「いいの?」 「何がだ。日が暮れる、早くしろ」 肩にかけていた鞄を背負って、お邪魔します、と固い荷台に座る。ごつごつと内腿にあたる金属の感触はあまり気持ちのいいものではない。 行くぞ、と言う声のあとに身体にぐんと加速度がかかった。 「重っ」 「うっさい!」 「痛ェよ馬鹿力」 背中を拳で殴りつけると全く痛くなさそうな、笑いを含んだ声が上がった。 政宗が笑ってくれたからもなんだか嬉しくなって一緒になって笑った。惚れた弱みというのは恐ろしい。 政宗のこぐ自転車はまるでを乗せているとは思えないほど軽快に、ふらつくこともなく真っ直ぐに進んだ。 買い出しと称して政宗の目指す店を回る。何に使うのか、筆記用具や、弓道に使うものを置いている店に入ってなにかを注文しているらしい背中を見ながら、なんとなく、これはいわゆるデートなのだろうかと思い始めた。 買い出し手伝いという名目でを連れてきたはずなのに、政宗は結局何一つに荷物を持たせなかった。 紺色の自転車は、籠に荷物、荷台にを乗せて淀みなく走る。 学校へ戻る途中のコンビニで、政宗はを置いて中に入ってしまったかと思うと、次にはふたつガリガリ君を持って戻ってきた。 「ん」 短い音と共に渡されたアイスはひやりと固い。中を開けると、オーソドックスな水色のソーダ味が納まっていた。 「いいの?」 「いらねえのか」 「いる」 特にお金を要求されることもなかったから、素直にごちそうさまとお礼を言ってそれを食べた。 秋とは言っても、日の出ている間はまだ随分暑い。 青いソーダ味は舌を冷たく焼いた。政宗は、あちィ、といって襟元を仰いでいた。それはそうだろう。ただ乗っていただけのとは違って、政宗はずっと自転車をこいでいたのだ。を連れてこなければ、もっと楽をできただろうに。 赤く焼けた空を見上げながら、無言でアイスを食べる。 ふとそんな気分になって、は口を開いた。 「これって、デート?」 「は?」 「政宗とわたしって、付き合ってるの?」 まるで独り言のように呟かれたそれに、政宗が驚いているのがわかった。 ちらりと横目で見ると、彼の切れ長の目が大きく開かれている。その様子が少し可愛い。 がり、とかじったアイスは下のほうが既に溶けかかっていた。それを慌てて啜る。じゅう、と音が立った。 「おい、」 影がかかって間近に響いた声に、驚いて顔を上げる。 視界いっぱいに何かが広がり、焦点が合わないまま唇に冷たいものが触れた。 一秒にも満たない接触は呆気なく終了し、近付いていた端正な顔がすぐさま離れる。 唇に触れた冷たくやわらかいものが、と同じように氷菓を食らっていた男の唇たと気付くまでの時間が0.5秒。その更に2秒後には、は全身の血が顔に集まるのを感じた。 水色の人工的な色をした冷たい塊を口に運びながら、不敵な表情の捕食者が「で?他に質問はあるか」と傲慢に言い放った。 それどころではないはただ俯いて、アイスをがりがりと齧りながら頷くだけだ。 よりも随分早くに食べ終わった政宗は、噛み痕のついた棒を無造作にゴミ箱に投げ捨てる。溶けかかったアイスを無理矢理口に入れて、も彼に引き続いて自転車に乗り込んだ。 部室に荷物置いてから帰るぞ、という政宗の言葉に頷きながら、白い、少しだけ汗を吸ったシャツの端を掴む。 彼のかためがちらりと後ろを振り向いて、ちゃんと掴まんねェと落とすぞと凄むから、恐る恐る腕を彼の腹の回す。 洗剤と汗の匂いがした。 そういえば、こんなにも政宗の身体に密着するのは初めてのことだったような気がする。 自転車は、赤く焼けた夕日を背にして学校へ向かって真っすぐに進む。 政宗の、黒に近い焦げ茶の髪も赤く焼けていた。 思ったよりも随分広くて固い背中に頬を寄せながら目をつむる。 額を擦り付けると、政宗がくすぐってぇと言って笑った。 「政宗、好き」 自然に零れた言葉も、そういえばこれを本人に言うのは初めてだったような気がする。 くつくつと笑った背が「やっと言ったな」と彼の勝利を告げた。
あおが告げる勝利 (10.10.11) |