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じわじわと暑い、むしろ熱い日差しを乱暴に引いたカーテンで遮り、は歴史を語る教師の声をバック・ミュージックに机の上へ突っ伏した。夏の太陽に温められた机は快適とは言い難かったが、じわりと忍び寄る睡魔の障害には成り得ない。目蓋が重力に引かれるままに目を閉じて、次に意識が浮上したときには身体にじっとりと汗をかいていた。 野生の勘が働いたのだろうか、目を開けた次の瞬間日直と思われる声が「きりーつ」と拘束時間の終わりを告げる。耳障りな音を立てて椅子が引かれ、「れーい、ちゃくせーき」という号令に従い着席した人数は極僅かだった。 まるで葬式のような授業時間が終わり、静けさは一掃された。 眠い目を擦りながら首の後ろに手をやると、そこは汗でじとりと湿っていた。不快感に眉を顰めると、隣からだるそうな声がかかった。 「この暑い中でよく寝れたな」 同じくこの暑さに参ってしまっている様子の元親が、の背へと視線を向けていた。視線の先にあるのは、輝く太陽と青々と冴えた快晴の空。日が傾き移動してきた日差しへの抵抗のつもりだろうか、元親は日が当たらなくなるところまでずるずると机を移動させている。 「なに逃げてんのよ」 「逃げてんじゃねえ。日に焼けるだろうが」 そう言って、日差しからの一時的な避難に成功した元親の肌は白い。の肌よりも余程白くて綺麗な肌をしている。それをちらりと見遣って小さく感じるのは憧れと妬みだ。 自分の腕をちらりと確認し、聞こえないくらいの小さな溜息をつく。の肌はこんがりと焼けて、焼けすぎて少し粉を吹きかけている場所まであった。 「お前、ちゃんと日焼け止め塗ってんのか」 その言葉に、は咄嗟に自分の腕を隠した。あんたに関係ないでしょと言い捨てて机の中を漁る。別に何を探しているわけでもなく、わたし忙しいから話しかけないで、というアピールのつもりだった。 は正直元親のことがあまり得意ではなかった。 元親は勉強としての成績はあまり芳しく無いものの、スポーツに秀でたこの高校のなかでも屈指の実力を誇るバスケ部の主将を務めている。 同じ運動部でも室内と室外では条件がまったく違う。 は陸上部員、しかも長距離だ。日焼け止めなんて塗っても塗らなくても結局焼ける。先輩も後輩も皆こんがり小麦色の部活内では気にもしていなかったが、元親と並ぶと自分の黒さが際立つようで正直あまり愉快ではなかった。 おまけにこの男少し前に盛んに言われていた所謂乙男というやつで、料理も家事もそつなくこなし細々とした気遣いにも長け、ハンカチなんて持ち歩いて唇が乾けばこっそりリップバームを塗るなんてことをしているにも関わらず、人の気持ちを掴む能力に長けているのだからいやらしい。 さらに迷惑なことにお世辞にも女の子らしいとはいえないに対して親切なのか嫌味なのか、盛んに女子たるものという定義を説いてくる。 いわく、元親のなかでは女子というのは清楚で可憐な守るべき存在であるらしい。 はそれも気に入らなかった。 「は陸上部なんだろ?腕ぼろぼろじゃねぇか。部活前にちゃんと塗れよ」 「勲章よ、くんしょー」 「んなもんが勲章なわけねぇだろ」 呆れた様な声に、自分が否定されたような気分になる。だから元親と話すのは苦手だった。 自分が陸上部員として輝かしい成績を収めていても、女子としては完全失格であると突きつけられたような気分だ。 おとこまさりなくん。 そう言われ続けて半ば意地になって女らしさを捨ててきた自分だが、可愛らしくなりたくないわけではない。けれど今更どうすればいいのかなんて、これまで全てを怠ってきたには分からなかった。 元親に聞いてみれば、あんたよりずっと女らしいよなんて耳にたこができるほど聞かされた文句だ。 「おら」 ぽん、と腕を何か硬いもので叩かれ、目線だけでそれを確認した。 SPF50、PA+++。 「…なに?」 「見てわからねえのかよ?日焼け止めだ」 それを一体どうしろっていうの。そう目線で訴えると、元親は「知ってるか?ひやけどめ。日焼けを防ぐクリームで…」と説明し始めたので慌ててそれを遮った。 「日焼け止めくらい知ってるって馬鹿にしてんの」 「そうか?じゃあ、ほらよ」 「なに」 「貸してやる。使いな」 一度受け取って、その容器の軽さに元親の肌の白さの理由を知る。なるほどこれが努力の賜物というやつかと感心すると同時に、腹の底に残った意固地な心がそれを突き返した。 まさか返されるとは思っていなかったのだろう。 目を大きく開いた元親の表情が可笑しくて、は小さな仕返しをしてやった気分になった。 「いらない」 「なんでだよ」 「手がべとべとするから嫌い」 そう言い捨てて、元親との会話を終わらせる。 安堵と、それから後悔が魚の骨のように刺さった。思っていたよりもずっと、の声は乱暴になってしまっていた。元親は善意で言ってくれただけかもしれないのに、本当に自分はどうしてこんなにも可愛くないのかと、ある種の絶望にも似た泥のような感情が足元から這い上がってくる。 元親からの返答はない。おそらく呆れたか、それとも怒ったか。 いずれにせよそれを確認する勇気はにはなかった。 日差しに熱された机に肘をつき、カーテンの隙間から空を覗く。 「仕方ねぇな」 「!」 呆れたような言葉とともに、腕を攫われた。大きな熱い手のなかに自分の前腕が納まっているのを見て、反射的にその腕を引こうとするがそれは叶わなかった。 開いたほうの元親の手が、日焼け止めを落とす。 ぬるいそれが大きな手によって自分の手に、腕に伸ばされていくのをは信じられない気持ちで見つめていた。 「あの炎天下で走ってんだ、あんたの努力の結果だから仕方無ェと思うし悪くもねぇがよ。自分の身体くらい、気遣ってやんな」 節くれだった手が、の指の間に入った。 の焼けた肌と元親の白い肌が指の間で対比を示す。だがそれはいつものような、嫉妬に近い感情を呼び起こしはしなかった。 まるで優しく大事なものを扱うかのような元親の手に目を奪われていることに、自身気付くこともできなかった。 ただぼんやりと、大きな手が日焼け止めを伸ばし、粉を吹いていた肌が治まっていく様を見つけている。 「は、女なんだからよ」 呟くように囁くように、その声は恐らく休み時間の喧騒のなかでにしか届かなかっただろう。元親の長い睫が瞳に影を落としている。 その目が自分のこの、焼けた腕へ向けられていることに対し、急激に膨れ上がる羞恥を感じた。 指先から手の甲、前腕から上腕まで大きな手が滑る。腕も手も爪も、元親のそれはのよりもずっと綺麗で、そして男らしかった。 制服の、半そでの際まで丁寧に塗り込んで元親はの手を離す。 「おら」と反対の腕も差し出せと伸ばされた大きな手を、思わずは振り払ってしまった。 同時に元親の持っている日焼け止めをひったくって、半分叫ぶように声を出す。 「じ、自分で塗るからいい!!」 ギャ、と耳障りな音を立てて椅子から立ち上がる。そしてそのままぬるい温度の日焼け止めを握り締めて教室を飛び出した。 「おい!」と背中に声がかかったが振り返る余裕はなかった。 間抜けな音の予鈴が鳴る。教室に戻り始める生徒の波に逆らって、女子トイレに飛び込んだ。 ちらりと見えた鏡の向こう、焼けた肌の女の子が、頬に日焼け以外の赤みを帯びてこちらを見ている。 元親から奪い取った日焼け止めが、からんと涼しい音をたてた。
太陽を殺す日 おんなのこがおんなのこに変わる日 (100629)S●nkiller安いよね |